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どんなに忙しくとも古典は読みたい。

どんなに慌ただしい日々を過ごしていても、
三度の食事や風呂や着替えや睡眠は欠かせないのと同じで、
1日に15分でもいいから古典文学を読むのを忘れないようにしたいと思う。
バッハやモーツァルトを聴くことが魂の必需品なのと同じで、
常に古典を読むのも、心の栄養を摂取するうえで欠かせない。
話題の本もいいけれど、読書もクラシックを大切にしたい。
それは、ほんの少しでもいいと思う。

「現代語訳 徒然草」(嵐山光三郎著 岩波現代文庫)は、
吉田兼好の古文そのものではなく、嵐山光三郎の大胆な意訳が楽しく、
まるで誰かのブログの文章のようにすらすらと読める一冊である。
中高生のころに学校の古文の授業で習ったエピソードも出てくるが、
それでもかなり新鮮な気持ちで大人でも接することができる。

中でも素敵な逸話が、「月夜にあった人」(第三十二段)。
恋人を見送った女性が、すぐに戸を閉めて中に入り、
鍵をかけてしまうのではなく、戸を開いて外の月を見ている。
客が帰った後も、その余韻を見ているその奥ゆかしさがいいね、
という内容の一文だ。

「徒然草」を読んでいると、吉田兼好という人は実は嫉妬深くて、
自慢が多いし、田舎者を馬鹿にする傾向があるけれど、
志は高く、虚栄心を憎み、美意識の洗練を尊ぶ人であることがわかる。
その美意識でも「余韻を味わう」というのはかなり重要なポイントである。

私たちは、日常生活の中で、どれだけ「余韻」を大切にしているだろうか。
誰かを見送った後、そのまま夜空の月を眺めるような心はあるだろうか?
人付き合いにしても、季節の風物やさまざまな芸術作品を楽しむにしても、
余韻という考え方は、もっと強く意識してもいいのかもしれない。

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