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「魚服記 太宰治」【5/19執筆】

↑青空文庫なので0円で読めます、オススメ


「魚服記」全体として、不思議な物語であると感じた。

とりわけ印象に残っているのは、「スワを茶店にひとり置いても心配はなかった。山に生まれた鬼子であるから…」の描写である。

ここまで読み進めて初めて、スワが鬼子であることが明らかになるのだが、私は鬼子の解釈に些か戸惑った。

文字通り「鬼の子ども」だと思ったのであるが、念のため辞書を引くと「両親に似ない子。歯が生えて生まれた子。荒々しい子。」等の意味がある。

一旦疑問を抱えて読み進めると、「あかちゃけた短い髪」の描写があり、ここで初めて「鬼の子ども」だと納得することができた。

スワの描写に着目して読み進めることで、「鬼の子」から「おんな」、そして「鮒」への変化もより一層際立って感じられた。


ここからは、反省である。

私は解説資料を読んで愕然とした。

「作品を読む際、このように細かい描写が見過ごされ、登場人物を分かりやすいイメージとして捉えてしまうことも多いだろう。」の一文に、私の太宰治に対する読み方のクセを強く指摘されたからだ。

先入観を排した(と思われた)感想では、「鬼子」に対する解釈について言及したが、私の視点はスワの一挙手一投足に注がれており、父親の細かな描写を看過してしまっていたのだ。

「呟きながら」、「だまつて」、「ぎくつとすぼめた」、「もぢもぢと手をおろした」などの描写の記憶が薄いことから、一語一句の丁寧な読解が出来ていないことを実感させられる。

このようなありさまでは、とても先行研究に対して反論を述べ立てるような資格などないように思える。端的に言って「読みが浅い」のだ。

太宰治の作品を、太宰治と切り離して読むために、細かな描写にも留意して他作品を読んでいきたい。

余談だが、私は学びの違いにも驚きを隠せない。政治経済学部の学生としてではなく、文学部の学生として、太宰治の文学に向き合っていかねばならないという決意を固めたのである。


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