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「5年後どうなっていたい?」に対する僕の返答

今回は昔から違和感を覚えている、
掲題の質問について。

この質問をする人を
批判してるわけでは全くないので、
「そんなふうに受け取る人もいるんだな」
ぐらいで読んでもらえたらと。

(という予防線を張ってみる)

キャリアを描かせようとする人が苦手


例えば、
「どんなキャリアを目指してるの?」
「キャリアを描くのが大切ですよ」

そういう会話ってよくあると思うのだけれど、
僕はこれがとても苦手だ。

こういう場面って、
理想もしくは常識的な
キャリア形成のパターンを持ち出され、
それに沿ってるか沿ってないかを
判断されているだけのように聞こえてしまう。

(そして沿っていない場合は
型にはめようとしてくることが多い。)

もしくは、

未来を見据えていることが絶対的な正義
として捉えられていて、
「正義か否か」を問われている気がして
ならないからだ。

質問に本心で答えない理由

「5年後どうなっていたいですか?」

これもよくある似たような質問だ。

こういった類の質問に対して、
僕は本心で答えた事がない。

新卒で入社した会社の採用面接でも
この質問をされたが、
思ってもないことを適当にぶちかました。

ただ今となっては
それなりの年数を生きてきてるので、
適当に答えることは得意になってきた。

(この先まだ僕にこの質問する人がいるとしたら、
その人がこの記事を見ないことを祈る。)

なぜ本心で答えないのかと言うと、
未来の自分を今の自分が一番信用していないからだ。

極論、今その質問に答えても明日の自分は
別の答えを言うかもしれない。
するとその質問に答える意味ってあるのかなと。
(我ながらめんどくさいやつ)

そして、
こうなりたいというロードマップを描けたとして、
心の底では「その道を歩きたくない」
と思っているのだから答えようがない。

未来の自分を信用していないと言う件

日々思考を張り巡らせて生きていれば
やりたいことや行きたい場所はどんどん変化するし、
やりたいことをやり、
行きたい場所に行くと自分の考えも変わる。

経験を重ねてインプットを続けると自分が変化するイメージ


「言ってる事がこの前と違う」と言うのは
ネガティブに捉えられがちだけど
ある意味そんなの当たり前とも思っている。

未来の自分を信用していない、
というのはそう言う意味で
「今」の自分のことはめちゃめちゃ信用している。

と言うより、
「今」この時の自分の感情や想いを
一番大切にしたいのだ。

描いたロードマップを歩きたくない件

がしかし。

なりたい職業や叶えたい願望があって、
それがちょうど5年後に叶いそうなら
それを答えれば良いと思ってる。

それに向かって努力することはとても重要だし
それが間違ってるという意味ではない。

だけど必ずしも5年後10年後を見据え続けること
大切かというと、全くそう思わないのだ。

1、「こうなりたい」を描く
2、「こうなりたい」のために努力する
3、「こうなりたい」になれた

キャリアを描き、そのステップを踏むことって
言葉を選ばずに言うと「答え合わせ」でしかなく、
それだけだと僕にとっては
全然気持ちいいことではないのだ。

だって、
もし本当にこの通りにいってしまったら
嬉しいことだとしても想像の範囲内でしかない。

「予定通り」以外のものを求めてしまう性格の自分

想像を超えた世界に行きたいという想いが
ベースにあるからそう思うのかもしれない。

だから僕はロードマップは描きつつも、
そのマップを壊すことも並行して考えてたりする。

「5年後どうなっていたい?」に対する僕の返答

未来を描くことはとても良いことだと思う。
僕も実際、今でもかなりの未来志向。

だけど、未来を描くことに夢中になりすぎて
「今」を見つめることをおろそかにはしたくない。

当たり前のように
明日(5年後10年後)が必ず来ると思っていると、
それも結構特別なことだったりもするからだ。

だから、
掲題の質問をされた時の僕の本音の返答は
これだ。


「そんなの5年後の自分に聞いてくれ」

・・・。


まぁ、
未来を考えるのも今を見つめるのも、
こういうのってどちらかに振り切りすぎても
うまくいかないし、
要はバランスなのかもしれない。

ってことで。(めっちゃずるい結論)

おしまい。



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