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障がい児を育てる親にとっての生きがいについて

僕は知的障害がある子どもを19年間育ててきました。

ときおり「この19年間にどのような意味があったのだろうか」という思いがふと浮かぶことがあります。

そんなとき、育児はときに「生きがい」となっていたのだと感じるのです。


障がい児の子どもを持つことは健常な子どもを持つことに比べれば、大変なことが多いのは言うまでもありません。

にも関わらず、生きがいだと感じる時間はどんな時間に存在したのでしょうか。

少し掘り下げていきたいと思います。




「生きがい」とは一般的には「生きることの喜びや張り合い」のことを言います。

精神科医でらい病で隔離された人たちの支援に携わっていた神谷美恵子は、その著書の中で生きがいとは「やりたいからやる」という自発性を持っていて、生活上の実利実益とは必ずしも関係ないものだと述べています。


障がい児の育児は親にとって自発的に行うことなのかと考えると、必ずしもそうではありません。

育児以外のことを生きがいする自由も存在するからです。

自身の子どもに障害があったとしても、その人の価値観に照らし合わせて育児よりも大切なことがあることは悪いことではありません。

にも関わらず、なぜ自分は育児に生きがいを感じていたのか。

それは自分が頑張った結果、子どもにわずかな成長が見えたことや、子どもの世界が広がる様を見届けられたことに、心の底から楽しみを感じていたから。

そして子どもに必要とされること自体に、喜びを感じていたからなのだと思います。




しかし育児に対して、いつも生きがいを感じていたわけではありません。

時には嫌になることや少し距離を置きたいと思うことも、当然ありました。

障がい児の育児を生きがいとして感じられる時には、いくつかの条件が存在したように思います。



ひとつは「育児に余裕がある」ことです。

言うまでもなく危機的な状況、例えば家事や育児のタスクに忙殺されくたびれきっているときや、育児ストレスがMAXな状態だと、育児は生きがいとはなりえません。

つまり、自発的に育児を頑張ろうと思えるようになるために、余裕を持って育児に取り組むことができる環境を、作ることが必要なのだと思います。



もうひとつは「育児に対して希望が持てる」ことです。

子どもに関わっていく時間を重ねることにより、少しずつでも成長していく実感が持つことがあれば、育児に対して希望が持てます。

自身の関わりが子どもにとってプラスになっていると感じられ、充足感を得ることができるでしょう。

そのために必要なのことは、子どもを理解するための知識や専門職のサポートを受けることだと思います。



また、子どもが成長することが難しい状況にあるとしても、ありのままの愛情を子どもに表現できていれば、それは将来への希望になります。

子どもと出会えたことの喜びを心から感じられる瞬間は、実利実益に関係なく、そのこと自体に生きがいとしての価値があります。

張り合いを持って日々の生活を重ねていくことが想像することが、生きがいに通ずるのではないかと思うのです。

ただ自身の体験から言うと、そういった感覚も多忙だったり個人的な何かを犠牲にしているような状況だと、感じにくいのではないかと思います。

自分の時間を持つことで、改めて子どもに対する愛情に気づくこともあります。

愛情だけでなく、無理や我慢をしないということが、結局は育児を生きがいだと感じられるためには、必要になるのです。




生きがいは極めて個別性が高いので、前述の内容に当てはまらないケースもあるかと思います。

ただ、育児は自分にとってどのような価値があるのか、といったことは障がい児を育てる親にとって見過ごすことができない事柄なのではないでしょうか。


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