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子どもの障がいをカミングアウトして、育児環境を整える


会話のなかで子どものことが話題になった際、子どもの障がいのことを話すべきか迷った経験があります。

当時の僕は、子どもの障がいについて口にすることに、自分の弱みを晒してしまうような言いようがない不甲斐なさを感じていました。

伝えられた相手もどう反応をしたらよいか迷うだろうし、気まずい気持ちになるのではないか。


この「子どもの障がいのことをまわりの人に伝えるべきか」についてはしばらく悩みましたが、結果的に多くの人たちにカミングアウトすることを選びました。

それから17年経ち子どもが成人になったいま、カミングアウトは育児生活がしやすくなる一つの手段だったと考えています。

子どもの障がいのことをまわりの人と共有することから始まった交流や支援に何度も救われたからです。







子どもの障がいのことを家族以外ではじめて漏らしたのは友人達です。

伝えたときの反応は人それぞれでしたが、その後からほとんどの友人が気にかけくれるようになり、積極的に子どもの相手をしてくれるようになりました。

幼少の頃からたくさんの人に相手をしてもらったことは、子どものコミュニケーションが拙劣であったにも関わらず外交的な性格に育ってくれたことに大きな影響を与えています。

そして滅多なことでは愚痴を言わない僕が、挫けそうなことがあったときに思いを吐露する相手も友人でした。


友人達にカミングアウトしたことは、結果的に子どもや親である僕へのインフォーマル(非公式の/形式ばらない)なサポートにつながりました。

公的な機関からサポートを受ける関係性は、少し冷たい言い方をしてしまうと利害関係に近いものがあります。

友人からのサポートには公的機関とは異なり、人間的な温もりや情緒の交流があります。

になって振り返ったとき、友人達から受けた手助けの一つ一つが、何ものにも代え難い価値を持った思い出になっています。

友人へのカミングアウトから親自身の人生を豊かにしてくれる交流が生まれることがあるのです。






以前参加した勉強会で、世界で初めて自閉症の診断を受けた人は親が亡くなった後も地域の人たちによって手厚く守られていたという話を聞いたことがあります。

理由は、その人の親が地域に貢献された方で、町の人たちからとても慕われていたから。



その話から地域の人たちとコミュニケーションをとった方がいいと考えた(単純な)僕は、ご近所さんになるべくこちらから声をかけるようになりました。

その過程でご近所さんの人柄をリサーチし、信頼できる人だと判断した場合は子どもの障がいのことを何気なく伝えるようにしたのです。

僕ら夫婦は共働きであるため、子どもが1人で過ごすようになったときに少しでも見守りの目が多くなって欲しい、という淡い期待もありました。



同じ子育て世代のご近所さんは「そういう子もいるよね」という感じで意外なほどすんなり受け入れてもらえ、いくつかは家族ぐるみでお付き合いをさせてもらうようになりました。

高齢のご近所さんからは、「大変ね」「可哀そうだね」とやや同情気味の反応でしたが、子どもとは気軽に挨拶を交わしていただき、目をかけてもらうようになりました。

そのような人たちがご近所にいてくれることは子どもにとって、1人で留守番をしたり近所に1人で外出するときの大きな安心材料になっているようでした。


ご近所さんに困ったことがあった時、僕ら夫婦は積極的にサポートするよう心がけていますし、果物や野菜が田舎からたくさん届いたらお裾分けをすることもあります。

前述の話のなかの「はじめの自閉症者の親」とまではいかなくても、無理のない範囲で人格者であった方が良い気がしているからです。






職場の上司や同僚へのカミングアウトをした結果、仕事の時間に融通が利きやすくなりました。

家庭の事情とは言え急な休みや早退は、それをカバーする同僚にとっては大きな負担になるために微妙な空気になってしまいます。

そこで「自分の子どもには発達に遅れがあるので目が離せないのだ」ということをはっきりと伝えて共有しておくと、上司や同僚に急な休みや早退を「やもえないこと」だと認識してもらいやすくなります。

その上で仕事に全力を注げば、まわりの目線を気にせず仕事と育児の両立がはかりやすくなるのです。

僕は仕事には全力で向き合い、子どもの療育や体調不良で必要なときは頭を下げて躊躇なく早退や休みを取り、育児に関わる時間を確保しながら昇進を果たしました。

場でカミングアウトすることは、障がい児を育てる親のワークライフバランスを整えるために必要なことなのです。






子どもの障がいについて多くのシチュエーションでカミングアウトを選択してきました。

もちろん、障がいに関わる情報が悪意のある人に利用されないよう注意は必要です。

伝える相手のリサーチが前提になりますし、ネットなど不特定多数の目に晒されることは子どもの安全を確保するために避けなければいけません。


ただ、障がい者に免疫がない人たちにとって、子どもに対してどう触れていいのかわからないという現実もあるような気がします。

他人の子どもの言動にちょっとした違和感を薄々は感じているけど、下手に声をかけると相手の機嫌を損ねてしまうかもしれない。

そんな不安を感じる人も多いのです。

そういう人たちにとって、カミングアウトされることは人間関係上の不安を和らげてあげることにもなります。


今までカミングアウトした相手のほとんどは、事実をありのままに受け止めてくれました。

多様性の価値が叫ばれる今の時代においては、障がいがあるということはそれほど特別なことではなくなってきてしまっているような気がします。





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