障がい児の親は、子どもの成長よりも自分の行動に焦点を当てる
まだ子どもが小さい頃、あの子はこれができているのにうちの子はまだできない、ということばかりが目について仕方ありませんでした。
外来リハビリの待ち時間に障がいがある他の子を見ては自分の子と無意識に比べてしまう始末。
比べてることで、自分の子どもの成長度合いを推し量っていたのです。
定期の発達検査の結果に一喜一憂し、芳しくない項目をどうやって練習させようかと思いを巡らしてばかり。
しかし、子どもは親の思い通りには動いてくれません。
悩みは募るばかりでした。
当時、「自分会議」という名目で、ひとり静かに考える時間を取るようにしていました。
その自分会議で、改めて子どもの気持ちや家族関係について考えているとき、ふと自分の悩みは少し視点がずれているような違和感を覚えたのです。
子どもは興味があることに対し、自己意思で努力することで成長していきます。
子どもの成長は子ども自身の意思に委ねられ、引き出されるもの。
親が努力したからといって、子どもが成長するわけではない。
そのことに気づいて、フッと肩の荷が降りたような気がしました。
このとき、子どもの成長のことを心配したところでメリットはないんだよなぁ、という心の置き所が定まったように思います。
親は子どもの身近な大人モデルです。
親の言動は「大人の立ち振る舞いサンプル」であり、良くも悪くもそれが積み重なって子どもにとっての「行動規範」になっていきます。
僕の親は家族間で「ありがとう」や「ごめんなさい」といった言葉を一切口にしませんでした。
そういう家庭で育ってきたせいか、僕は独り立ちをした後にも感謝や謝罪を人に伝えるのが苦手で、人間関係を作る上でとても苦労をしました。
自分の子どもにはこんな苦労をさせたくないなぁと思い、まだ子どもが幼い時から積極的に感謝と謝罪を口にするよう心がけています。
そのせいか、子どもは言葉に発達の遅れがあるにもかかわらず、家庭や学校、職場で「ありがとう」「すいません」という言葉を自然に口にするようになりました。
日常では忘れがちなのですが、自分自身の立ち振る舞いというのは子どもの成長の糧になるものです。
子どものことを気にするよりも、まずは自分の行動について考える。
育児には意外に大切なことのような気がします。
親が子どもに対してできること。
それは子どもが自分の意思で色々な体験ができる環境を作ること。
そのために行動することです。
子どもは、自分がどのような生き方を選べるのか知りません。
探索しようにも、生まれ持った特性のために限界があります。
一方で親は、子どもが興味を持てる活動に触れる機会を作ることができます。
人との交流が経験できる場所に連れて行けば新しい繋がりができるかもしれない。
子どもができそうなことを目の前に一つずつ置いてみて、その中に子どもの心を動かすものがあれば、自らの意思で手を伸ばそうとするでしょう。
親は日常生活での体験を通して子どもの内側に選択肢を提示する。
そのために淡々と動き続ける。
子どもの成長に一喜一憂するのは親心。
しかし育児に停滞を感じるときには一旦子どもの成長を見る目に蓋をして、子どもの成長機会を取りに行く行動だけに集中してみる。
親が自分の行動に焦点を当てる時間が、結果的には子どもの成長パフォーマンスを高めるのではないかと考えます。
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