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障がい児の親は、子どもとまわりを繋ぐ通訳者になる

子どもの将来に対してまず最初に不安を覚えたことは「この子は孤独な人生を歩んでいくのではないだろうか」といったことでした。

幼い頃から僕の子どもは言語の理解と表出の両方に大幅な遅れがあり、大人になった時に言葉を使ったコミュニケーションが取れるようになるのかも定かではありませんでした。

自立できないことはしょうがないにしても、誰にも相手にされず理解もされない。

自分はひとりぼっちだ。

そんな空気を纏った生活を過ごしていくのかと考えると、子どもが不憫に思えました。



子どもが孤独にならないように、なんとかして人との繋がりを持った生活ができないだろうか。

そう考えていた矢先にたまたま読んだ文章がきっかけで色々やってみよう、という気持ちになりました。

その文章は大まかには以下の内容だったように記憶しています。


「気が合う人との出会いは確率論。10人に1人の確率で出会うのなら100人に会って10人と繋がりを作ることができる」

障がいを持つ子どもとのことを理解したい、繋がりたいと思う人はかなり少ないだろう。

でも出会いを確率論として捉えるなら、なるべくたくさんの人に会って繋がる人を増やすことができるかも。


それから僕は、子どもを連れて色々な人の集まりに出かけて行くようになりました。

親族の集まり、ご近所の集まり、職場のイベント、友人とのキャンプ、支援学級の集まり、障害者スポーツの団体、福祉関係のサービスなど。


集まりの中には子どもに興味を持って話しかけてくれる人がいました。

しかし、場にそぐわない子どもの言動に「この子はどこまでわかっているのだろうか」と困惑する場面も少なくありません。

そんなときは僕が仲介に入って子どもの理解力や特性を軽く説明をするようにしました。

障がいの予備知識がない人は、理解できない子どもの言動に少し気後れしてしまいます。

そこに親が説明に入ることで不可解な言動は理解されやすくなり、多くの人は安心して子どもと接することができるようになりました。

もちろん子どものことを避ける人はいましたが、気軽に声をかけてくれたり遊びの相手をしてくれる人は格段に増えたように思います。


その甲斐あってかどうかはわかりませんが、成人した子どもは人懐っこい性格に育ちました。

相変わらず会話は拙いのですが人と話すことを怖がらす、いけると思ったら積極的に自分から話しかけていきます。

そんな行動に引っ張られ、社会人になったいまも学生時代の友人との繋がりは続いていています。

今のところ「孤独」にならずに済んでいることに、少し安堵しています。






少し前のことです。

ポッドキャストの収録で「親の役割」について話していたところ、トーク相手のかくたさんから「親は子どもと周りとの繋がりを仲介する通訳者のようなもの」だというお話が出て、自分の考えてきたことがカチリとハマる感覚を覚えました。

発語や言語理解に課題があると、コミュニケーションを取る相手はどうしても狭まってしまいます。

でも、そこに親が通訳者として仲介することで相手の不安を和らげることができたら、子どもと話してくれる人は増え、繋がりの可能性も拡がるのではないかと思います。


まだ子どもが幼かったとき、僕は言うことを聞かない子どもに腹を立てたり、イライラして大声を出したりしていました。

そのあとは決まって自己嫌悪に陥ります。

感情的にならずにコミュニケーションがとれるようになりたい。そのために子どもの言動がどのようなこと原理で動いているのか理解したい。

そんな思いを抱えて発達検査やリハビリの度に、検査の結果と子どもの言動の関係性について、専門職の方への相談を繰り返してきました。

そうすると日常生活における言動の理由がほんの少しずつなのですが、わかるようになってきます。

いま思えば、そんな苦労の時期も子どもの通訳者になるために必要だったのかなと思います。




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