医師起業日記_vol.27_「何でも並行してやって、どれもカタチにならない」は本当にダメなのか
成果を出してきたエリートゆえの思い込み
「気になったものを何でもやってみたけど、ピンとこない」
「一つのことに集中しないといけないのはわかっている」
過去にそんな状況になっていたことがあった。なんだか生ぬるい悩みにも思えるけれど、これって誰しも経験したことがあるんではないだろうか。
この状態にいる人は得てして、自分が始める前に描いていた状況を実現できてはいないはずだ。「これがハマれば、今後はこれに集中して結果も出して楽しく…」と思っていることが多いから、そうはいかずズーンとなる。
しかし、実際これは本当に悪なのだろうか。たしかにカタチにしている自分への憧れや、他人からの賞賛への渇望みたいなものがあると、落ち込んでしまうとは思う。
ただ、ここに関しては、明確な定量目標を置いている場合を除き、そこまで落ち込む必要はないと言えるだろう。
今回はこの「色々やってみたけど何もカタチになってない」という事象は本当にダメなのか?について、書いてみる。
1. 「成果を出さないとダメだ」という思い込み
まず、何に手をつけるにしろいきなり「成果を出さないと」というhave toな気持ちで始めるのは、オススメできない。少なくとも最初は「なんか面白そう」というwant toであるほうがよい。
理由はいくつかある。
have toな気持ちで頑張ろうとする時、人は「やらない理由」を探すようにできているから(=creative avoidance)
成果は完全には制御できないものなので、それ自体をコントロールしようとすると疲弊するため
そもそも"成果を出さないといけない"自体が思い込みであるため
最も重要なのは「"集中して成果を出さないといけない"は単なる思い込みだから」という視点だ。
例外として「成果を出さないと借金が返済できない」のような場合もあるが、この場合は「色々やったけど続かない」という悩み自体、発生しないだろう。それどころではないので。
生活がかかっているわけでもない中、いきなり成果を焦って全く興味の持てない分野で頑張っても、成果が出た時に「で、俺のこの数ヶ月間は一体…?」となってはつらい。
色々やってみてカタチにならないというのは、ある意味have toにならない範囲でトライができているという点でいいだろう。
2. それ自体が前進であるという視点
このタイプの思い込みを持つ人はいきなり「簿記検定◯級」というような定量目標を掲げて努力したりするもの。このような目標を置いてそこに向けて努力すると、前に進んでいる感はあるが、
果たして人生レベルでみてどうだろうか。
例えば、学生時代に定期試験などの定量目標を追っていた時期を振り返り、「ああ、もっと色々若さを楽しむべきことがあった」と感じたことはないだろうか。
そして今、似たような状況に陥っていないだろうか。それっぽい目標を追いたくなって、必死に努力している状況、"何か前に進んでいる感"がある状況を欲するばかりに、
人生レベルでもっと「しておけばよかった」と感じるような、人生を豊かにする選択肢はないか。この視点が抜け落ちるのはつらい。
仮に色々やってみて形にならなかったとしても、それ自体が「トライしたけどその選択肢は合わなかった」という発見であり、また選択肢を増やしたことで色んな視点や知見を得られたはずだ。
このような考え方を持って色々な挑戦をすることは、本人を変に窮屈にせず、人生をどんどん豊かにしていってくれる。
ただ一点注意したいのは「◯年後こうなる」という明確な目標を掲げている場合だ。このような場合には、何でもかんでも手をつけて、どれもこれもあくせく頑張って、前進がにぶってはお話にならない。
もしそのような目標がない場合に限って、今回のnoteは有用な視点になるのではないかと思う。
走り書きですが、少しでも参考になっていれば嬉しいです。
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