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医師起業日記_vol.30_大事件をおこすのが決まって優等生なのはなぜ?
「なんであんなにいい子が」
「毎日挨拶をしてくれる、とてもいい子でしたよ」
「だからまさかあの子がこんな事件をおこすなんて…」
カウンセリング・メンタルコーチングの本を読んでいると「幼少期の自分がいかにして現在の自分を形成するか」というプロセスを深く知ることができる。
そして、たいてい「秋葉原通り魔殺人事件」のような歴史的なスキャンダルがいかにしておこるのか?という話が出てくる。あまり耳障りのいいお話ではないが、かといって他人事として看過していい話題でもない。
そのような歴史的なスキャンダルを起こす人物は、大それた異常環境からしか生まれないわけではない。それどころか、客観的には恵まれているように思える環境からでも現れる。
今回は、なんで聞き分けのいい優等生が歴史的大事件を起こしてしまうのか?についてお話する。
意外にも、彼らはいつも「冷静ではない」状態にいる
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歴史的大事件をおこした優等生は、日頃から"癇癪持ち"と呼ばれるような性質があったかというと、そうでもない。むしろ、冷静沈着というか、どこか感情表出に乏しい場合が多い。
優等生でそんな風な振る舞いをする彼らが、重犯罪という常軌を逸した判断ミスをしてしまうのは、少し不思議な話ではないだろうか。
実は、彼らはそもそも「普段から冷静ではなかった」というのが真実だ。心の奥底で、強烈な葛藤が渦巻いていて、それにフタをするのにほとんどのエネルギーを使っている。
しかも、その葛藤は幼少期の家庭での経験で生まれたもの。10余年もその状態を続けているので、フタをしている自覚さえない。ただあるのは、ぼんやりとした焦燥感というか自己否定感というか、そんなところだろう。
だから、感情表出に乏しく見えたり、不自然なほど人間ができているように見えたりするのは、それを隠すためのスキルを自然と身につけてしまったからなのだ。
彼らのエネルギーの大半は、毎日ずっと感情の抑圧に使われているので、いざ「誰かへの強い苛立ち」みたいな感情が湧き上がってきた時、もう自己をコントロールできなくなってしまうというカラクリだ。
では、そのエネルギーを消費している葛藤の正体とは何なのだろうか。
「親や周囲の期待にこたえないと」
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この観念こそが正体だ。これがあることで、常日頃から心のどこかに「自分はこたえられなかったらどうしよう」という不安や焦燥を抱えている。
「自我を確立する」をしっかりと達成してから「他者を満たす」に移行しないと、自我が存在しないまま、他者に自己価値を規定される状態が続いてしまう。
当然、自我が完全にない人はいないので、自我が「本当は自由気ままに振る舞いたい」と思っていても、他者の目がそうさせないことが続く。そうすると、何らかのトリガーが引かれた途端、爆発する。
反抗期も似たメカニズムで、自分と他人の間に境界線を引こうとする正常な反応である。反抗期がない人が危ないとよく言われるのは、自分と他人の間に境界線が引けないため、自我が確立できないからだ。
歴史的大事件を起こすまではいかなくとも、自我を確立できていないと、どうしても自我を確立してのびのび生きている人を非難したくなったりと、幸福度をじゃまする心理が生まれてくる。
それほどまでに「自分がどうすれば幸せなのか」は大事なのだ。それをきちんと分からないままに進むと、どこかで爆発する。それが仮に常軌を逸した大事件であっても不思議ではないわけだ。
この手のエピソードは何だか本で読んでいても、ゾッとするところがある。そのような事件は決して他人事ではないと思い知らされるからだ。人間といいうのは紙一重の差で、まったく違う人生を歩みうるもの。
自分の幸せというのをきちんと認識できるよう努めたい。
走り書きですが、少しでも参考になっていれば嬉しいです。
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