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医師起業日記_vol.36_心底の欲求に向き合わないと、どうなってしまうのか?

あなたはどのくらい欲求を満たせているか

「稼ぎたいけど、自分は物欲がないタイプだから」
「稼いでも幸せにはなれないってどこかでみたことある」
「モテたいと思っても、◯◯みたいに失敗して噂になりたくない」

最近の自己啓発動向はといえば、「ミニマムに幸せになろう」という風潮が強い。「あれもこれも欲しい」をどこか否定し、「今目の前にあるものだけで十分じゃない?」を推す。

もちろん、これは一定間違いないと思う。さすがに、目の前の幸せに気づきもせずに、何かを求めて走り続けると心が壊れてしまう。やっぱり目の前の幸せを実感するのは豊かさの最低条件だ。

しかし、かといって「ミニマム・ほどほどで十分だ」と自分に言い聞かせて続けるのも、なんだか悲惨だ。心のどこかでは喉から手が出るほど欲しいのに、押さえつけることでみてみぬふりを繰り返す。

そうするうちに、よくわからない「公益性」「使命感」「責任感」みたいなものをエネルギーにするのではなく、それに囚われるみたいなことがおこってしまう

今回は「心底の欲求にフタをしているとどうなるのか?」というテーマについて書いていく。


1. 欲求にフタをしていない人に対する羨望・嫉妬

やっぱり欲求にフタをしているかどうかを判定するために、最も手っ取り早いのがこれだ。正直、自分でフタをしているかどうか自覚するのは難しいので、嫉妬・羨望を感じるかどうかはいい見極め材料だ。

うだうだ言っている第三者を見ていれば、「嫉妬してんなぁ、この人」と思えるのに、いざ自分となると自覚できないのが難しいところ。

とってもあるあるだが、羨望・嫉妬であると認識して、自省できるかがポイントである。「蔑み・憐れみの目で語れている」と自分で勘違いしているようではサイアクだ。

嫉妬・羨望でこじらせてしまうというのは、フタをしている人が陥る落とし穴としてよくある。


2. 欲求にフタをしている人に対する自己投影

「自分を救うためにこの人を救いたい」という自覚できない自己投影が発生している場合も多い。

これはもっとも自覚が難しい上、「こんな人を救いたい」と一見クリーンな動機に見えるので他者にも語りやすく、余計に欲求だと誤認してしまいやすい。

しかし、「こんな人を救いたい」と語る自分に、どこか「で、自分はどうなの?」という自問がよぎってしまっているはず。これがあるようなら、おそらく自分はフタをしていると思った方がいい。

「自分を救うためにこの人を救いたい」のまま活動を広げようとすると、どうしてもスピードが遅くなったり、活動自体がどこかいびつになる。


3. 明らかによくないカタチで爆発する

最もあるあるなのは「癇癪(かんしゃく)」と呼ばれるものだ

フタをしたまま過ごしていると、当然ながらフタをした無意識が暴発するタイミングがくる。いきなりキレてしまったり、無言になってしまうというような現象がもっとも身近だろう。

しかし、その程度で済んだらまだマシだが、たとえばいい歳で承認欲求を振り翳してしまったり、気づいたら犯罪に片足をつっこんでしまっていたりするケースもある。


こうしたことになる前に、フタをしているかいないか自覚できるように定期的に自分を見つめる時間をとりたいものだ。

走り書きですが、少しでも参考になっていれば嬉しいです。


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