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医師起業日記_vol.42_自己肯定感が低い人は、実は感謝がニガテ

何かしてもらったときしか感謝できない人

「◯◯してくださり、ありがとうございます」

感謝が大事なんて、そんな当たり前のことは書くに及ばないのではないか。そう感じる人も多いはず。実際、そんなふわっとした当たり前の記事より、もっと有用そうな記事を読みたいはずだ。

だが、実はこの『感謝』をきちんと深い意味でできるかどうかは、現代人で課題になりがちな自己肯定感にも直結する、非常に大きなテーマだったりする

「感謝と自己肯定感、関係なくない?」
「日々に感謝すると自己肯定感が上がる的なことでしょ?」

そうツッコみたくなるのも理解できるのだけど、この「感謝」と「自己肯定感」には、もっともっと深いある繋がりがある。

最初に結論から言ってしまうと、自己肯定感が低い人は、感謝を浅くとらえてしまっている人がほとんど。「え、別にきちんといつも感謝とか伝えてるけど」とかそういうことではない。

今回は、「感謝」と「自己肯定感」の深い関連性について、話していきたい。


感謝するためには、愛情をうけとる器・スキルが必要

そもそも『感謝』とは何なのか。

感謝とは『自分もしくは他者から"愛情"を受け取った時に、それに対してお返しでおくる"愛情"』のこと

文面だけ読んでもちんぷんかんぷんなので、少し具体例を交えたい。例えば、みなさんが普段、感謝を伝える時ってどんな時があるだろうか。

相談に乗ってもらった時、プレゼントを受け取った時、相手が自分に何かしてくれた時。これらはすべて、相手が自分に対していろいろな形で"愛情"を贈ってくれた時である。

そういう時に「ありがとう」を伝えることは、愛情を贈ってもらった相手に対して、愛情を返す行為に他ならない。ここまでは何となくピンとくる人が多いはずだ。

しかし、ここからが重要

この「ありがとう」を店員に対して言うとか、何かしてもらったら言うとかというレベルで終わっている人と、「毎日自分以外のすべてに深く感謝を感じている」というレベルまで達している人は何が違うのか。

それは、愛情を受け取る器・スキルの差だ。後者の人は、どんなに些細なことにも愛情を感じ、受け取って感謝を伝えることができる。一方、前者は明らかな愛情にしか感謝を十分に感じることができない。

つまり、きちんと深く感謝ができるかどうかは、愛情をしっかりと感じ取ってうけとる器があるかどうかに左右されるということだ。

器・スキルが不足している人は、些細な愛情を感じ取ることが無自覚にできておらず、そのため人に対して本当に気付かずに「くれくれ星人」になる

彼らのほとんどは自覚していない。感謝ならできていると本気で思ってしまっている場合が本当に多いのだ。

では、感謝が深く十分にできることと自己肯定感は何が関係しているのか。


自己肯定感は、他者からの愛情を受け取る器・スキルに左右される

これは少し意外なテーマだと感じる人もいるはず。

ちなみに、これは「だから日頃から感謝しましょう!そうすれば自己肯定感もあがりますから!」なんて薄っぺらい話ではない

実は、自己肯定感を下げてしまうのは、幼少期に定着した「自分は〜でないと親から褒められない・受け入れられない」という価値観なのだ

この価値観があるままだと、他人に対しても「自分は〜でないと受け入れてもらえない・賞賛されない」と感じてしまうため、日常的にある小さく些細な愛情・ギブに気づくことができない。

わかりやすいギブ・賞賛でないと彼らは気づくこともできないし、気づいていないことにさえ気づけない。これはなかなかに深刻だ。

※価値観の解消・転換については詳細は割愛するが、興味があれば無料相談で何でもお伝えします。

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小さな愛情をうけとれないので、自己肯定できず、感謝もできない

これが感謝と自己肯定感の関連性の正体だ。

あなたにも思い当たる節があるかもしれないし、あなたの身の回りにそういった人が思い当たるかもしれない。

このnoteで伝えたいのは、「感謝しましょう」という浅い話ではなく、「もし自己肯定感に不安定さがあるなら、感謝などの人間関係をきずく上での基本も、気付かぬうちに妨げられている可能性がある」ということ。

結構がっつり書いてみたが、本当に自戒を込めてという感じでもある。日頃からそれを最優先して豊かな生活をしていきたいところだ。


走り書きですが、少しでも参考になっていれば嬉しいです。


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