本当に「最もヒトを殺している動物はカ」なのか?
みなさんは、世界で最も人を殺している動物はなんだと思いますか?
パニック映画でおなじみのサメでしょうか?
それとも、百獣の王とうたわれるライオン?
いいえ、しゅるしゅると忍び寄る脅威ヘビ?
どれも違います。
答えはもっと身近で小さな昆虫、「カ」です。
蚊、mosquito、🦟。
そう。日本でも、夏になるとどこからともなく飛んできて、血を吸いかゆみを残していくあの厄介な虫。カなんです。
カはマラリアをはじめ多くの感染症を運び、世界中で年間72万人もの人を殺している恐ろしい動物なのです。
これは、ヘビの14倍で、ライオンと比べれば7千倍、サメとの差に至っては5万倍もあります。
カは恐ろしい動物なんです。
――なんて話を見聞きしたことがありませんか?
この話の大本は恐らく、2014年に投稿されたBill Gatesさんのブログ記事だと思われます。
好奇心を刺激するテーマと意外な結果が魅力的なのか、近年でもネタにされ続けているので、知っている方も多いと思います。
私も何度か見聞きした覚えがあります。
でも、この話。
私はとっても納得がいかないんです。
みなさんはどうでしょうか?
納得できますか?
この先を読む前に一度、自分としてはどう感じるか、考えてみて頂けるとうれしいです。
1.殺しているのはカなのか
この話で私が納得できないのは、「殺しているとカウントする基準」。
すなわち、データの扱い方、事象の捉え方、考え方の部分です。
例えば、ヒトが2位なのは納得できます。
戦争や犯罪における被害者数も、自殺者数も、ヒトがヒトを殺した数としてカウントされることに違和感はありません。
同様に、ヘビが3位なのも納得できます。
ヘビに毒を受けて殺されたにしろ、絞め殺されたにしろ、それをヘビに殺されたとカウントすることは妥当だと感じます。
しかし、カの場合はどうでしょうか?
カの細長い口に貫かれて死んでしまっただとか、カが体内で生成した毒素を注入されて死んでしまっただとか、そういうわけではありません。
ウイルスや原虫などがもたらす感染症による死者数をカウントしているのです。
これは、カがヒトの血を吸う際にたまたま感染症を移してしまったことで、間接的に死を招いてしまっただけに過ぎないはずです。
これを、「カに殺された」とカウントするのは、雑な考え方のように思えてなりません。
まずは極端な例から。
「自動車事故や刃物による殺人は、販売業者による殺人」と言われたらどう思うでしょう?
多くの方は言いがかりだと感じるのではないでしょうか?
では、もう少し例を近づけて。
今 流行りのCOVID-19。これに感染して人が死んでしまったら、移してしまった人は殺人者でしょうか?
これも、多くの人は違うと感じるのではないでしょうか?
(少なくとも、法的には殺人罪に該当しないはずです)
もちろん、理屈と感情は必ずしも一致するものではないと思います。
死という受け入れ難く悲しい現実を前に、憤りの矛先が理屈を飛び越えて遠くまで及んでしまうこともあれば、罪悪感が理屈を歪ませて自らを責め過ぎてしまうことだってあるでしょう。
でも、やっぱりそれは、感情としては確かにそこにあって決して間違ってはいなくとも、客観的な理屈としては違うと思うのです。
そういうわけで私は、「最もヒトを殺している動物はカ」という話の「殺しているとカウントする基準」に甚だ納得がいきません。
雑な考え方、言い換えるなら「偏った見方」に基づいているように感じるのです。
2.目的ありきによる偏り
ではなぜ、そのような「偏った見方」になってしまったのでしょうか?
それは、元記事から推測できるように思えます。
この記事のタイトルは「The deadliest animal in the world」ですが、読み進めてみると、記事の本題は別にあることがうかがえます。
それは「カが媒介する感染症」です。
記事によれば、このブログを運営するBill Gatesさんは、カによる感染症を予防するための独創的な方法を見るために、インドネシアを訪れたことがあるのだそうです。
このテーマに強い関心を持っていらっしゃるということが読み取れます。
さらによく見てみると、記事の最初にも「MOSQUITO WEEK」とあります。
これについては記事中で、「Everything I’m posting this week is dedicated to this deadly creature」と説明されています。
つまりこの記事は、筆者のBill Gatesさんが「カが媒介する感染症」について語る目的で書いた導入であることが読み取れると思います。
もちろん、世界ではカが媒介する感染症によって多くの人が死んでおり、それは大きな問題であるということ自体は間違っていないと思います。
それを多くの人に知って欲しいというBill Gatesさんの思いも素敵なものだと思いますし、少なくともこの記事からは全く悪意などを感じません。
ただ、問題を主張したいばかりに、物事の見方が偏ってしまって、主張と目的ありきの論理展開になってしまっているようには感じられます。
今回のケースでは、導入部分がそうなっているに過ぎず、誰かを直接的に貶めるような内容でもないので、特に大きな問題には発展しなさそうですが……。
主張したいという気持ちが先行するあまり、視野が狭まったり思考が偏ってしまうと、時に大きな間違いや争いを生んでしまいかねないので危険だという思いはとてもあります。
そして、そのような偏りがある主張を、何の異論も感じずに受け入れてしまう人が多いことも問題のように思えます。
まあ、話が逸れるので、そういう話はこの辺にしておこうかなと思います……。
+α.生物なら原虫では?
それともう一つ。
冒頭でも述べた通り、「世界で最も人を殺している動物」というネタは近年でも広く引用されているのですが、そこにはさらなる雑さが感じられます。
元記事は「The deadliest animal in the world」となっているのですが、引用記事や動画では「世界で最も人を殺している生物(生き物)」としていることが少なくないように見えます。
ですが、生物だったら、それこそカではないと思うのです。
なぜなら、「カが媒介する感染症の原因」には微生物が含まれているからです。
例えば、元記事によると毎年 60 万人以上が死亡しているというマラリアは、マラリア原虫という原生生物が原因となる感染症です。
これは、同記事でカが殺しているとされている人数の8割以上を占めています。
つまり、生物という大きな括りで見ると、ミクロなレベルにまで視野がおよび、余計にカは人を殺していないということになると思うのです。
まあ、多くの引用者はその辺りの知識に乏しく、「面白いネタがあるから盛り上がろうぜ!」というノリであり、それを楽しむ人たちも多くは「厳密さ」など毛ほども求めていないと思うので、それでいいのかもしれませんが……。
楽しんでいるところに水を差すのは無粋だなとは思いつつも、楽しみ方のスタンスというか、物事との雑な向き合い方には潜在的な危険があるなと感じてしまいます……。
そして何より、「カは人を殺してないだろ!」という気持ちになってしまうのです。
結び:嫌われ者“カ”
というわけで。
私は「最もヒトを殺している動物はカ」という話にとても納得がいきません。
ましてや、「最もヒトを殺している生物(生き物)」はカではないと思います。
とはいえ、この話は単なる一時の娯楽に供するものとして楽しまれているに過ぎないと思うので、厳密性などみんな求めていないのでしょう。
みんなきっと、楽しめれば不正確でもいいのです。
そこに水を差すのも無粋かな、という気持ちもまた、とてもあります……。
夏になるとカは、どこからともなくやって来ます。
そして、カに刺されるとかゆくなりますし、羽音が眠りを妨げることもあります。
その上、小さくて繁殖力もそれなりに高いので、完璧に対策するのは難しい厄介な存在です。
だから、多くの人はカのことが嫌いだと思いますし、見つければ殺すと思います。
命を奪うという行為自体は、基本的によくないこととされ、多くの人が抵抗を持っているだろうこの社会で、カを殺す大義名分となるこの話は、とても心地よい雑学でしょう。
それに、カが媒介する感染症の日本での感染事例はほぼありませんが、世界的に見れば年間何十万人もの死者が出ていることは事実です。
気候変動やウイルスの変異などによって、今後その脅威が日本にまで及ぶ可能性も絶対にないとは言えません。
恐ろしいということは、確かな事実だと思います。
ただ、それでも私はやっぱり、とても納得がいかないなと思ってしまうのです。
そんなに気になってしまうのは、単に私がカを殺さない、カのことが嫌いではない、おかしな人でなしだからかもしれませんが……。
読んで下さり、ありがとうございます。
不快でしたら、申し訳ありません。
あなたの行く末が、健康で幸せなものでありますように――。
ついでに宣伝
(蚊と短い連歌を詠んでみたつもり)
主人公が夢の中の友人と「この世で最も人間を殺している動物」について話すというエピソード。