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家族にも言えない、わたしの秘密 それは、「梅が美しい」ということ

家族にも言えないのだから、それを書くことは能わない。

以上。

とはいかないので、秘密を書いてしまえば、

「梅が美しい」(うめのアクセントは、平坦ではなく、「う」を高くいう)である。これ以上書くと秘密ではなくなるので、書けない。

とはいかないので、秘密のヒントを書くなら、それは


「十五少年漂流記」である。

そう、ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」である。

十五少年漂流記と梅がいかなる関係にあるのかは、

これは秘密なので、書けない。

とはいかないので、少しだけ、ほんの少しだけ解き明かしてゆく。


わたしが小学生、中高学年の頃、親から買い与えられた「十五少年漂流記」をボロボロになるまで読んでいた。

十五人の少年たちが、無人島に流れ着き、何もないところから工夫を重ね生き延びていく冒険譚である。この「十五少年漂流記」では、少年たちは島の洞窟に家を作る(確か)のである。洞窟の中は年少の子たちの部屋、食堂とかとかに分かれていた。

洞窟、部屋、に小学生のわたしは憧れてしまった。秘密基地ではないか。

秘密基地、なんとも甘美な響きがある。

その頃よく一緒に遊んでいたケンちゃんと

「もしさあ、無人島で暮らすなら、どうする」などといいながら、延々と秘密基地の見取り図を地面に書いていたものだった。


秘密基地、秘密の部屋、秘密の引き出し……

秘密が好きだった。


ただ、小学校を卒業する頃には、秘密基地は自室の机の片隅に置かれるようになっていった。


思春期の秘密は、中三トリオに触発されたようなものだ。中三トリオというのは、当時、およそ半世紀前に芸能界に現れた中学三年生の三人少女たちのことである。演歌のうまい女の子、大人びた雰囲気と影をまとった少女、天真爛漫な笑顔を振りまく娘の三人である。日本中の大半の中学生同様、わたしも彼女たちに夢中になったものだ。夜ひとり部屋の片隅で、もし、もしも、もしもだ、彼女が俺に告白してきたらどうしたらいいのだろうか、などとしょうもない空想をしていたものだ。もちろん、思春期のムサイ少年がそんなこと思い描いているなどとは、親や姉妹に知られるわけにはいかなかった。恥ずかしいではないか。だから、妄想は机の引き出しの片隅に置いていたのである。少し後ろめたく思いながら。

しかし、ある理科の教師の一言が後ろめたさを払拭してくれた。

理科の実験時間にその理科教員は大きな黒い箱を持って教室入ってきた。箱の上には何個かの豆電球があり、横には導線やスイッチがいくつか付いていた。「導線を繋いだり、スイッチを入れたりすると上の豆電球がつきます」といって、導線を繋いだり、スイッチを押してみたりした。ある組み合わせで豆電球がついたり、消えたりした。「さて、この箱の中はどのような配線になっていると思うか」と教師が問いかけてくる。「黄色と緑が繋がっているのかな」「赤と青がスイッチと繋がっているのでは」などと生徒が答えた。いくつか答えたところで教師はこう言ったのだった。「この箱の中はどうなっているのか、それは教えません。自然は秘密をいつも解き明かしてくれるとは限らないからです。理科は、科学は分からないことを観察や実験を通して解き明かしていくことなのです」

この言葉を聞いて、田舎の中学生のわたしは、「そうか、秘密は秘密のままでいいのか」と都合のいいように解釈して、感銘を受けたふりをしていたものだ。理科教師の言葉は、自然科学のあり方を分かりやすく説いたものだったにもかかわらずだ。これは慙愧に堪えない。


秘密は秘密のまま、机の引き出しの片隅にしまい込んだまま思春期を過ぎ、屈託のない笑顔の少女から、少し屈託のある少女Aになったりもした。しかし、妄想より現実の彼女の方がより秘密めいていることに気がつくと、ブラウン管(当時は、液晶とかプラズマとかのテレビはなかったのである)の向こうには興味を失ってしまった。

だから、なんか番号付きの猫のような名前のグループは、名前は知っていたけど番組を観ることはなく、朝の娘たちの番組は観たけれど思い入れを持つほどの関心を持てずにいた。秋葉原で48人もいるグループが出来たときも、「それは多過ぎ!」と思っただけだった。

その頃には結婚もし、子どもも生まれていた。結婚は右足の小指の爪の形までもさらけ出してしまうようなもので、机の引き出しの片隅という場所もなくなっていたのだ。ただ、足の小指の爪の形を知ってしまうと、ちょっと机の引き出しの片隅が懐かしくも思えてくる。やれやれ、人間とはなんとも欲の深き生き物なのか。


そんな頃だ、とあるミュージックビデオを観てしまった。たまたま。YouTubeをだらだらと眺めているうちに、そのMVにたどり着いてしまったのである。そのMVはちょっとした物語仕立てになっていた。

おそらく女子校から共学に変わった学校なのだろう、女子しかいない教室にひとりの男子生徒が転校してくる。奇異な目で見る女子、萎縮する男子。男の子は友人たちにその様子を話すのだが、友人たちは「天国じゃん」と返すだけ。黒一点の男子の苦労は絶えない、男子トイレはないし、体育着に着替える場所もないなどなど。ドラマを背景に女性グループの歌が流れる「時間を無駄にするなよ、今しかないんだよ」というような歌詞だ。澄んだ歌声になぜか胸が痛んだ。背景のドラマは、あることを契機に男女が仲良くなっていく様子が描かれる。

見終わって、もう一度観た。48人グループのライバルグループの歌らしい。そして、そのMVと歌が胸を刺さるのである。女子の中にひとりの男子、女子はあり得ないけれどもすべからくきれいか可愛いのである。これは男子の夢ではないか。思春期の妄想がよみがえるのである。

それからは、潮が満ちてくるかのごとく、ヒタヒタと深みにはまっていってしまった。YouTubeを見るから、冠番組を観るようになり、CDを買い、ライブを申し込み運良く当たれば神宮やドームに向かい、あまつさえペンライトなるものも購入し、年甲斐もなく振るようになってしまったのである。

もちろんわたしが沼にはまってしまっていることは、家人も了解していることである。ただ、箱推し(特定の個人を応援するのではなく、グループ全体を応援すること)なんだ、と思われている。いい歳のおじさん、もうすぐおじいさんになる人がうら若き女性に入れあげるのは、いささかかっこ悪いではないか。と言い訳もしている。

しかし、家人にはいえないのだが、密かにトークなるものもとっているのである。トークは、ファンに向けてグループのメンバーから送られるメールである。そうなれば、箱推しなどとはいえない。

その毎日のように送られてくるメールは、そっと机の引き出しの片隅にしまっている。多数のファン向けにおくられたメールだけれども、なんとも読むと甘酸っぱい思いがわき上がるのである。遠い昔にあった青い春の匂いがするのだ。

誰のをとっているのかというと「梅がきれい」とまでしかいえない。

なぜなら、秘密は秘密のままでもいいのだから。(ああ、先生、誤解したままですみません)



「天狼院書店 川代紗生 文章教室」 提出課題2回目 


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