自己紹介がてらの経歴

料理人として約2年が経ち、何かしらの記録を残せていけたら良いなと思いこのブログを立ち上げました。
 
 大学は上智大学の教育学科に一浪して入学しました。なぜ上智の教育に入ろうと思ったかと言うと、ずっと教師になりたかったんですよね(笑)
 小学生の頃から出会った先生方には迷惑をかけても、面倒を見て頂き成長してきた過程があるので、今度は僕が人を育てる側にならなきゃいけないという認識になっていたのかもしれないですね。
 中学、高校とバスケ部に入っていましたが、高校時代は合宿をサボったりして何回も顧問がいる体育教官室に行ったのが懐かしい思い出ですね(笑)

 いざ大学入って自由な時間が出来始めたら、遊んでしかいなかったですね。
 パチンコも30万以上擦ったし、飲んでしかいなかったです(笑)
 何か大学で打ち込むものを見つけようとして、バスケットボール部に入ったんですが、
もっと大学生の時しか出来ないことはないかと考えたんですが、何もなくだらだらと大学3年生になっていたんですよね。
 そんな時出会った衝撃的な動画がこちら!!
https://youtu.be/cjaE04WjBMU

 こんな世界がこの世にあるんだあああああって感動しましたね。
もう思いったら行動するしかないですよ!!
 2014年の大学3年生の夏休みにバックパッカーでヨーロッパまわるという目標を立てて
イタリア、フランス、ベルギー、オランダ、スペイン、モロッコ、ポルトガルをまわりました。
もう人生の中で異国の地での孤独感との戦いではありましたが、異文化に触れられたことは僕にとって新しいことをするきっかけになりましたね。

https://www.facebook.com/naoki.hosoyama.7/videos/528238293978143/

 ↑僕が旅して作った動画ですね。

 旅の中で、食事にお金はかけられなかったんですが、記憶に残っているのは
モロッコで食べたタジンですね。
 タジンとは、マグリブ(北アフリカ)地域の鍋料理。もともとは、料理の際に使われる陶製の土鍋のことを指した。
 とんがり帽子のような形の蓋が特徴の独特な鍋を使い、羊肉か鶏肉と、香辛料をかけた野菜を煮込んだものをいう。
 主にモロッコ・アルジェリア・チュニジアで食される。なお、チュニジアのタジン鍋はポットの形が違う。(参照)
https://ja.wikipedia.org/wiki/タジン鍋

 モロッコのトドラ渓谷に行った時に、現地で知り合った日本人の方と食べたのが印象に残っていますね。

こちらがタジン鍋

 ヨーロッパを旅したことで、自分の語学力のなさに絶望してすぐ語学留学することを決めました。
 英語とスペイン語に興味を持っていたので同時進行で勉強をしました。
 語学留学するなら英語だけじゃなく、スペイン語も学べる地域として
ヒスパニックが多いカリフォルニア州のサンディエゴにあるUCSD(University of California, San Diego)に決めました。
 2015年4月から12月までの3タームいましたが、テキーラ飲んだりハウスパーティーしたり
バスケ、ジム、旅行などほぼ遊んでしかいなかったですね。

これはニューメキシコ州のホワイトサンズでの星空。

 留学生活の中で自炊したことが料理人としてのスタートでもあったのかもしれないですね。

留学も終わり、帰国して就活を始めるが、、、

留学が終わりすぐに就活の準備を始める。
「何がやりたいのか」
「なぜやりたいのか」

そんなことを自問自答しながら就職活動をしてましたが、、
大手と言われる企業ばかり目がいって、
自分が本当にしたいことは何なのか全くわからないまま
「周りがしているから」
「親のため」
「社会の目」
結局は自分が何をしたいのかなんてわからないまま
周りに流された行動しかしていなかったんだよなー
就活中に意識していたことは、
「給料」「ブランド力」の二つ。
結局やりたいことは何も見つからなまま就職活動してたんだけども、、

就職活動中もこんなリクルートスーツ着て、
同じ志望理由言って
嘘、偽りをワックスや化粧で塗り固められた周りの就活生や
鏡に映る自分を見ていると
量産型で個性もクソもない極めて陳腐な社会の労働者の1ピースになる
に過ぎない人間だと考えたら
クソみたいな人生歩むより
もっと自分のやりたいことを探そうと決意して
自分を俯瞰的に見れる環境に身を置こうと思いワーホリに行くことを決意!!

ワーホリに行く場所はシンプルにカナダかオーストラリアだったんだけど、、
カナディアンロッキーが見たいというシンプルな理由でカナダ行きを決定。

すぐに就活をやめて大学4年生の後期を休学して
2016年9月からカナダへ、、、

働くところもないし
住むところもないまま
ただブラブラしてましたね(笑)

カナダについてからずっと
「あー日本に帰りたい」ってずっと思ってましたね。

一ヶ月経った頃
宿代、移動費、食費だけが出て行き
無職で放浪してたのですが
そんな中で運命的な出会いが、、、
それはカナディアンの金髪のねーちゃんと、、、
ではなくBanffという街に出会ったこと!!

何この綺麗な街!!!
写真がほとんどアイフォンに残っていなかったので、
バンフの周りにある綺麗な湖の写真と
トリップアドバイザーのURL貼っておきます!
https://www.tripadvisor.jp/Attractions-g154911-Activities-Banff_Banff_National_Park_Alberta.html

住むならここしかないと思い、
すぐに仕事探し。

日本食のレストラン、ホテルやホステルのハウスキーパー、レストランのキッチンスタッフ、、
10月は閑散期で募集しているところがほとんどなく、、、
拙い英語の文章をメールで送っても仕方ないと思い、
英語のレジュメを作って直接お店やホテルに行きましたね。

バンフの街は本当に小さくて端から端まで
歩いて20分ちょっとで歩けるくらいなんですよね。

もう端からレジュメを配りまくりました笑
結論から言うと全滅でした。

お金も何もなくティムホートンやマックで警備員に追い出されるまで粘ったり、
ホステルのロビーでWi-Fi拝借しながら夜を潰したりしてましたね。
一番辛かったのが、
橋の下で寝たこと!!笑

ロッキー山脈の麓は10月とは言え真冬の寒さ!雪も降るし、
クマ出没の看板はいたるとこにあるし、
絶望でしたね笑

何よりも荷物が半端なくて、
キャリー1個を手に持って、
60リットルのバックパックを背中に
リュックを前にかけて移動してましたからね!笑

そして諦めかけていた時、
とあるビストロにレジュメを出しに行ったところ
なんと採用!!!
奇跡的に見つけたお店がこちら!

https://www.facebook.com/blockbanff/videos/1341404502618456/?t=14
日本の旅サラダという番組にも紹介されました。

ここのシェフは、日本人のマダムがいて情けで採用してくれた感じはありましたけどね!わら

↓笑

お金をもらえる料理なんかしたことし
料理を英語で教えてもらうとか
ほんまにきつい!!
無理!!
ネイティブスピーカーの英語とか無理!!笑
もうね只々辛かった!笑

何もできないで洗い物しかさせてもらえなかったこともあったし、
笑った日よりも
泣いた日の方が多かったと思う笑

けど、自分で決めた道だし、
妥協したくなかったし
歯食いしばって働き続けましたね

日本にいた時の恍惚な妄想とはかけ離れた現実、
友達なんかできないし
ジムが友達みたいな?笑

ワーホリの最後の方にはそれなりに友達もできて、
知り合いも増えて素晴らしいワーホリ生活送ってたと思うけどね!

ワーホリで働いて、
このカナディアンなビストロは絶対日本でも流行ると思い
ここから自分の店を持ってビストロ経営する夢を持ち始める!!

自分の目標とするベースができた感じがする。
同時に将来のビジョンを描き始める。

僕らが60、70になって年金なんてもらえるかどうかなんてわからないじゃないですか。
今後は、自分自身で生きる力をつけていかなければならないと思う。
自分でジジイババアになっても食って行くには、経営者になるか手に職をつけるしかないんですよね。

飲食業界は常に人手不足だし、
職場には困ることはないと思う。

飲食店を出すだけなら難しくないし(利益を出すのはかなり難しい)、
なんとか会社を立ち上げて飲食店を経営して行きたいと考えている。

日常とは異なる空間を提供し、
美味しい食べ物、飲み物を口にしながら
カップル、ファミリー、お一人様でも楽しんでいただける空間を提供して行きたい。

スターバックスのように、
料理、飲み物、空間、豊かな時間をお客様に提供して行くことが飲食店ができる
社会貢献なのではないかと考えるキッカケとなったカナダでのワーキングホリデーでした。