【短編】絶景の神様
世界は多くの国で構成されている、とは周知の事実だろう。
では、この世界にいくつの国が存在しているか、ご存じであろうか。早々に答えを出してしまうが、大小広さは様々にして、その数実に196か国に及んでいる......たぶん。増えてなければ、このくらい存在している。
それぞれの国ごとに、言語も違えば文化も違う。衣服一つを取って見ても、素材の丈夫さが違えば模様も違う。宗教の違いで、A国では肉を食えるのに、B国では殺すことすら罪に問われるということもあるだろう。
それも当然であろう。何せ、世界には両手足の指では足りないほどの国・地域が存在しているのだから。
さて、ここで本題だ。
それだけ多くの国があるということは、国の数だけ、むしろそれより多くの『神様』というのもまた存在している。国に住まう人々が信仰したい数だけ、神様は存在せざるを得ないのである。
人々に勝利を与えるために生まれた戦いの神様。村の土壌に恵みを与え、その年の豊作を約束する豊穣の女神。それら多くの神様を束ねる神様など、挙げればキリがない。人の願いの数だけ、神様は生まれてくる。
しかし、そうなると見境が無くなるもので、『釣りを楽しむ神様』やら『一年中眠っている神様』、果ては『鳥の数を数える神様』など、神様とはなんぞや、と問われてしまうような神様も現れ始めてしまった。
そんな神様の中に、『絶景』を好む神様がいた。あらゆる『絶景』を目に焼き付けたいという願いによって生まれた神様で、神様自身も心を揺さぶられるような景色が大の好物であった。
その神様は生まれてからと言うもの、世界各国を渡り歩き様々な景色をその眼に収めてきた。ナイアガラの滝の迫力に目を奪われ、ウユニ塩湖の鏡映しでひとしきり遊び倒し、南極の空でたなびく極光を前に涙を流した。
また、人間の身体に扮して書店を訪れ、景色に関する本を立ち読みすることもあった。読み終わると、読了の余韻を味わう時間も惜しいとばかりに、記載してあった場所へ飛んで行った。
そんな行動力を持ち合せた神様であったが、ついに問題が起こってしまった。ある日、世界の絶景と言う絶景を、見尽くしてしまったのだ。
その日からと言うもの、神様は退屈な毎日の連続だった。友神(互いに友好な関係にある神のこと)に絶景について聞いてみるが、どれも行ったことのあるところばかり。人間界に降りて噂を耳にしても、どれも絶景と呼べる場所ではなかった。
神様は空高く浮かぶ雲の上で胡坐をかき、どうしたものかと唸ってばかりであった。
そんな退屈な毎日が、だいたい6年ほど続いた、ある夏の日。
煌々と照りつける太陽は、雲の上にいる神様にも容赦がないため、神様はすっかり茹で上がってしまった。雲の上で胡坐をかいたままだと、流れ落ちた汗を雲が吸って、真っ黒な雨雲になってしまう。神様は渋々と人間界に降りることにした。
人の身体に変身した神様は、大きな建物の中に入り、冷房の効いた大広間のソファに腰掛けた。太陽の暑さで真っ赤になった神様の身体は、冷房のおかげで徐々に冷えてきた。
そのとき、ひそひそと囁き合っている浴衣姿の男数人が、神様の前を通り過ぎた。
神様は人間よりも優れた耳を持っている。どんなに小さな声でも聞くことが出来た。
――おい、本当に『絶景』を見られるんだろうな。
――当たり前だろ、俺が見つけたんだ。絶対に大声を出すなよ。
――ぼく、ドキドキしてきたよ。
そんなことを話していた。
神様はソファから飛び上がり、男たちの後を影のように追った。『絶景』を見ることが出来ると聞いて、立ち上がらないわけにはいかない。
ずっと雲の上で退屈していたのだ。もしこれで神様にとって『絶景』でなければ、また退屈な日々に戻ってしまう。絶景を見られないのは、もうこりごりだった。
男たちは紺色の暖簾をくぐり、その先で浴衣を脱ぎ始める。神様もそれにならって服を脱いだ。
真っ白なタオルを腰に巻き、がらりと引き戸を開けると、もわっとした蒸気が神様の顔を撫でた。
神様が入ったのは、温泉の男湯であった。天井が無い、露天風呂だ。
神様は幾度となく温泉には訪れていた。広い湯船に身体を預け、紅葉が彩る山々を眺めることもあれば、日の沈む水平線を望むこともあった。
しかし、男湯は辺りをヒノキの柵が覆っており、辛うじて山の頂が見えるだけだ。これでは景色が全く見えない。
男たちは、一体何を『絶景』としたのだろう。
神様は男たちの方を見た。彼らは忍者のような足取りで、ある一方の柵へ向かっていた。訳が分からず、ついに神様は男たちに聞くことにした。
「おい」
神様に呼ばれた男たちはびくりと肩を揺らし、驚愕に開かれた両目で神様を見た。驚愕の目は、すぐに動揺へと変わり、男たちはヘコヘコと謝り始めた。
「すいません、もうしません」
「どうか見逃してください」
男たちに謝られる神様だったが、なぜ謝られているのかさっぱり分からなかった。
理解が及ばず頭を下げる男たちを呆然と見ていると、男のひとりが柵を指差した。
「この柵に開いてある穴で、ちょっと良い景色を見ようとしただけなんです。もうしません。俺たちはもう行きます」
男たちは、足早に男湯から出て行った。
神様は腕を組んだ。男のひとりが言ったように、確かに柵には小さく穴が開いていた。そこから景色を見ようとしていた、とも。
なぜ謝られたのかは知らないが、その穴を覗けば絶景があるはずだ。それならば、覗かないわけにはいかないだろう。
神様は逸る気持ちをそのままに、柵に開いた穴に目を近づけた。
神様は、その絶景に、感動の声を漏らした。
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見出し画像には、『Tasty life』さんのイラストをお借りしました!
ありがとうございます!