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揚羽蝶の陣羽織

『ミルチス・マヂョル』

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東京・池袋にある劇場のなかに『ミルチス・マヂョル』という、火星の街の名前がつけられた壁画群が存在する。

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『ミルチス・マヂョル』は劇場のエントランスホールの壁面を覆い、前面の広場から眺めると、壁画群が水平方向へ手を繋ぐように展開されているのが見てとれる。劇場のまわりに広がる池袋の日常は不協和音に満ちているが、この空間に足を踏み入れると、異なる世界の時間が息づいているように感じられ、訪れる人達を別の世界へと誘っていく。つるっとしたタイル、少しマットな素焼きのタイル、そしてかさかさのタイル。相異なる色と大きさ、肌触りを持ったタイルが縦横無尽に組み合わされることによって『ミルチス・マヂョル』はつくられている。タイルとタイルの間には目地モルタルが詰められておらず、5mm幅の隙間が影となっているだけでなく、マットな素焼きのタイルは「出る杭」のように前面に5mm分張り出しているため、タイルの角が立ち、それぞれのタイルは各自の固有性を際立たせている。水色には橙色を、つるつるにはかさかさを。一つのタイルの特性が別の相性の良いタイルを呼び寄せるかのように、小さな部分から全体へと向かって組み合わされ、絶妙に均衡することで『ミルチス・マヂョル』には生き生きとした命が宿る。タイルのようにバラバラの小さな存在が、それぞれの個性を生かしながら共存し、繋がり合うときにはじめて、日常を超えたなにかが立ち現れるのかもしれない。

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ところで、人間が建築をコントロールし、手段として利用しているにすぎないと思いがちだが、建築にとっての主人は実のところ人間ではなく、生物=機関としての建築それ自体ではないだろうか。

『ミルチス・マヂョル』のエントランスホールは食物を摂取し、排泄するように、人の流れを迎え入れ、送り出す。また、体内環境としての内部空間を維持するために、配管によって空気や熱、水や電気を建築の内へと取り入れながら循環させ、外へと排出している。こうした一連の新陳代謝がつつがなく行われる限り、体内環境の健康は維持され、生物=機関としての建築は生き続けるが、そもそも建築は、内側を覆うことによって、外部から切断された異なる世界を、そこに宿すことができる。例えば、熱機関である飛行機に乗っているとき、飛行機の外は高度一万メートルもの過酷な環境だが、一連のエネルギーが循環し続ける限り、飛行機の内部には外とは別の快適な時間が流れ、ぼくたちは映画を楽しんだり、うたた寝をしたりすることができる。同様に、新陳代謝が保たれる間、建築は内部に自律した世界を宿し、ぼくたちを養ってくれるが、この特徴は外界が過酷であればあるほど、際立っていくように思われる。

『オライビ パアフ』

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生物=機関としての建築として、『オライビ パアフ』と名づけられた住宅を次に見ていきたい。

この住宅を外から眺めると、一つひとつが相異なる顔立ちをした様々なヴォリュームが、黄色の鉄骨フレームから飛び出したり、引っ込んだりしながら、ひとつの外観を形作っており、『ミルチス・マヂョル』におけるタイルの姿と重なり合っている。また、住宅の内部においても、建築を構成する一つひとつの部分が物としての固有性を際立たせながら、どちらが主でも従でもなく絶妙に均衡することによって、空間に生き生きとした命を漲らせている。黄色の鉄骨梁、濃い青色をしたフェルト状の天井、赤ワイン色のフローリング、焼成の肌触りが感じられる煉瓦壁や階段・手摺、そして一枚一枚、相異なる躍動感をもつタイル。特筆すべきことだが、タイルは複雑な筆触によって釉薬で描かれた上で焼き上げられており、空間の有機的な全一性の中で、そうした手業の感じられるタイルが息づく姿は、ファインアートと工芸が分離する前の時代における建築の自由な佇まいを、ここにおいて蘇らせている。

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『オライビ パアフ』もまた、光や熱、空気、電気、ガス、水といったエネルギーを取り入れながら循環させ、外へと排出すると同時に、人間を迎え入れ、送り出すことによって、体内環境としての内部空間を維持している。こうした新陳代謝が保たれる限り、そこには自律した時間を持つ世界が息づき、そこに身を寄せる人間を養ってくれる。気候が過酷であればあるほど衣服が重要となるように、外界が過酷であればあるほど、覆いの内側に自律した世界を宿すことのできる「建築の力」は重要さを増していく。

建築の南蛮臭さ

岡崎乾二郎は、白井晟一の原爆堂を巡る白井昱磨との対話で、次のように語る。

「いい建築とそうでない建築との定義をずばり言うと、ちょっと照れくさい表現ですが、世界が絶対に滅びると確定し、どこにいようと滅亡が避けられないというとき、家の外に逃げ出すか、家に留まって死ぬかという選択で、もし家に留まることを選択させるならば、そういう覚悟を含んでいるとき、それがいい住宅であり建築である条件だとぼくは思うんですね。建築は外の世界より大きい世界、その時間と空間を包摂することにおいて、はじめて建てるに値する。」岡崎乾二郎『建築の覚悟』

異なる世界からやってきたような、カタカナ表記のバタくさい名前をもつ『ミルチス・マヂョル』と『オライビ パアフ』には、だらだらとした平和な日常の中では位置づけられない、動乱を前提としたような南蛮臭さが秘められている。だが、不穏が高まる世界の只中において「外の世界より大きい世界、その時間と空間を包摂する」家をつくることは、今後における重要な主題になるように感じられる。政権交代における野党の役割のように、あるいは腐敗した独裁国家における革命のように、全体のシステムが機能不全に陥ったとき、システムの外部から、混乱に道筋をつけうる新しいビジョンが導入されるからだ。今までのやり方が破綻してしまったとき、全滅してしまわないためには、外界と切り離された生物=機関の体内で、人間のオルタナティブな未来が企てられなければならない。

陣羽織 黒鳥毛揚羽蝶模様

『陣羽織黒鳥毛揚羽蝶模様』

動乱期にあたる安土桃山時代に、織田信長は中世的な既存のシステムとは全く異なる世界のヴィジョンを掲げて、機能不全に陥った室町幕府を打倒し、天下に新しい秩序体系を実現するべく奔走した。世界に居座る巨大な既存権力を相手にして、それに取って代わろうとするとき、頼むものは自分だけ、という無頼の凄みが挑戦者の体に宿るのではないだろうか。自分自身をより強く見せるために、他を跳ね返すような、ギョッとさせる「かざり」でわが身を装うことで、単独性をはらんだ挑戦者の出立ちは過剰なエネルギーを帯びていく。信長が実際に身につけていたとされる『陣羽織黒鳥毛揚羽蝶模様』は、背中一面を覆う山鳥の黒い羽根の中央に、平氏の代表的な家紋である揚羽蝶の模様を白い羽毛を1本ずつカッティングして植え付けることで表したものだが、ファファファ、と鳴く鳥の生気を今も含んでいるかのような南蛮臭さをそこに漂わせている。揚羽蝶の陣羽織を身につけた信長の胸のうちには、世界のシステムそのものを組み替えようとする闘争への決意が、脈打っていたのだろうか。

岡崎乾二郎の手による『ミルチス・マヂョル』と『オライビ パアフ』。これら二つの建築は、人間の未来を養ってくれる健全な体を持つとともに、『陣羽織黒鳥毛揚羽蝶模様』に感じられた、こうした南蛮臭さを、静かに漂わせている。

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