細尾直久

建築家。HOSOO architecture代表。一つひとつの物のつくり方を問い直し、…

細尾直久

建築家。HOSOO architecture代表。一つひとつの物のつくり方を問い直し、さらに異なる物づくりの回路と接続させることで、新しい制作の地平を開くことに主眼を置いている。https://hosoo-architecture.com

マガジン

  • 工芸建築論

    「工芸」から建築と社会を考える。建築は社会構造に規定されるのが常だが、建築が社会構造に働きかけることができるとすれば、それは何か。

最近の記事

地霊は服を着る

「伝統」とはなにか 「伝統」とは、ゴミ箱から拾われたゴミのようなものである。使われなくなった食器や着られなくなった衣服がそうであるように、事物は当初与えられていた役割を失ったとき、ゴミとしてゴミ箱に収納される。その後、廃棄されて永久に姿を消すか、ゴミ箱から救い出され再利用されるかという運命の分かれ道は、事物それ自体が持つ魅力にかかっている。目的を失ったときにはじめて、物に本来備わっている質感が浮かび上がってくるからだ。たとえば、海外の旅先で意味のわからない外国語を耳にすると

    • 建築は女の顔をしていない

      カール・マルクスと本野精吾 美味しいワインを飲むと饒舌になり、我慢していた小用を足すと精神が安らぐように、ぼくたちの状態は流動的なプロセスの只中にある。毛皮を持たず、脚が遅く、強力な牙も爪も無い人間は肉体的に脆弱であるが、自然に働きかけて様々な物を造り出し、それらと力を合わせることによって、人間の状態は変化する。自転車に乗れば脚が早くなり、銃をポケットに忍ばせていれば攻撃力が増し、カシミアのニットを身につけると寒さに強くなり、ベッドに寝そべるとリラックスして体が休まる。この

      • 伝統のブラックボックスを開ける

        回路を考える 今も元気でいてくれる祖母の誕生日のために、贈り物の花束を買いに出かけた。チェーン展開する花キューピットの加盟店だけでなく、小さくて個性のあるオルタナティブな花屋の選択肢が存在することは、都市における暮らしの豊かさを支えていると、あらためて感じる。植物をセンス良く扱い、個性的にスタイリングしてくれる小さな花屋が、京都にはいくつか存在するのだ。 花屋に限らず、パン屋、豆腐屋、コーヒー豆専門店、簾屋などといった、独立した様々な小商品生産者が都市の中で回路のネットワ

        • ラグジュアリーとは何か-ザハ ・ハディドと原発-

          空所 イタリアの旧友が勤めているジュエリーブランドの展示会があり、大阪まで見に行ったことがあった。梅田の高級レストランを貸切にした会場で、ただただ鑑賞するだけだったが、とても美しかった。ラグジュアリーとは中身がなく、役に立たない空虚な存在だと見なされている。だが、役に立たない「空っぽ」という点にこそ、ラグジュアリーの本質が宿っているのではないだろうか。そうした意味で、宝飾品は宝飾品でしかないから、贅沢なのかな、と思った。直接的な生活の機能を持たず、それはそのもの自体として、

        地霊は服を着る

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        • 工芸建築論
          9本

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          装飾の力

          装飾のふるさと ぼくが子供だった頃、落書きが楽しかった。ザラ半紙やチラシの裏に、憑かれたように絵を描いていたものだが、無地の面があると落書きをしたくなるという衝動は、ぼくの先祖である猿が毛皮を失ったからではないか。 過酷な自然の荒野に晒されていても、毛皮で覆われた動物は生きていくことができるが、毛皮を失った人間は、肉体的に耐えることができない。そこで、動物の毛皮、草木、土、石などといった、入手できる既存の物を寄せ集めて、それらを織りなすことで、衣服や建築といった覆いを作り

          装飾の力

          揚羽蝶の陣羽織

          『ミルチス・マヂョル』 東京・池袋にある劇場のなかに『ミルチス・マヂョル』という、火星の街の名前がつけられた壁画群が存在する。 『ミルチス・マヂョル』は劇場のエントランスホールの壁面を覆い、前面の広場から眺めると、壁画群が水平方向へ手を繋ぐように展開されているのが見てとれる。劇場のまわりに広がる池袋の日常は不協和音に満ちているが、この空間に足を踏み入れると、異なる世界の時間が息づいているように感じられ、訪れる人達を別の世界へと誘っていく。つるっとしたタイル、少しマットな素

          揚羽蝶の陣羽織

          織物としての建築

          部屋の建築『ミューラー邸』 人類における最初の建築は、基礎を持った堅牢な構造物ではなく、人の身体を包む被覆であるらしい。 人類は悪天候や外敵から身を守る必要から、動物の皮や織物の布で覆いを作った。これこそが最初の建築を構成する部分であり、人の身体に近しい覆い=内部空間から建築は考えられなければならないと、ウィーンの建築家アドルフ・ロースは主張する。西洋を由来とする建築の文脈においては、建築の骨組となる構造が重視され、インテリアの仕上げは「お化粧」として軽視される。ロースの

          織物としての建築

          建築は兵士ではない

          二条城の見所は、かの有名な国宝・二の丸御殿ではなく、本丸の石垣に潜んでいるのではないか。 二条城を久し振りに訪れる機会があり、ぼくはその石垣に驚かされた。石がほとんど均一な形で整えられて、線状に組まれているという姿は尋常ではない。石は本来、野にあり山にあって自然のかたちをしており、こうした「規格化された部品」のような姿をしていないからだ。ノミで石を切って均一に形を整え、石組みの表面が平滑に仕上げられた姿を見ていると、天下の秩序が重んじられ、出る杭は打たれる(目立たないように

          建築は兵士ではない

          世界のヒエラルキーが急速に壊れつつある時代に

          京都の老舗料亭である「岡崎つる家」に、妻とお昼ご飯をいただきに行った。この料亭は数寄屋建築で、吉田五十八の設計によって既存の邸宅が改修・増築され、纏りがつけられたものだ。 池のある、大きな庭園を南面に臨む個室に通される。庭から水音のせせらぎが聴こえてきて、浄土に行ってしまったかのような時間が流れていた。水面に映る光は輝き、六月の緑はこうも鮮やかだったんだなと思った。 こうした日常の直接的な用途・目的から外れた時間と空間は、ヴェネチアビエンナーレの展覧会場の一角にある、カルロ・

          世界のヒエラルキーが急速に壊れつつある時代に