■化け物としての脱オルターモダンと擬態派として
■化け物としての脱オルターモダンと擬態派として
・機動的なものと、回帰的なもの、その狭間と、もう片方の狭間にあるもののその、三的な関係が意味していくものこそ、志向性と呼ばれる
・現に視覚は視覚独自の映像と画面を宿しており、これをめざましたものこそ、オルターモダン的な、または、稀有な絵画を創造してきた
・シュールレアリスムだろうか。シュールレアリスムはオブジェクトの配置であり、配置の配置とは異なるところから自動筆記的に始まったに違いない(つまり、幻覚的なもの、ヴィジョンの不在ゆえに可能になった、手、の芸術に他ならない)
・オルターモダニストはすでに死んだ。さて、つまり、擬態派なのである(わたしは)
・擬態し続けることにおいて、単に、擬態派であり。ミミクリー。ミミクリスト(Mimicrist)
・芸術家の作品から、クラスターを生成するのは、キュレーターの仕事である。だが、わたしも、一人の無権キュレーターでもある
・文化エントロピーはねっとりとして、エントリーした果てに階級と序列を重んじるものに都合はよいが、ネゲントロピーを知らぬその散乱した統合は、やがて、熱的な死に至る(あらゆるそうだったものがそうであったように)
・ビヨンド・ビューティフルとしての美ということに感慨を見出す目こそ擬態派のまなざしである
・われわれはいつも組織化に失敗することを以てして組織化し続けている化け物なのである
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