改めまして、自己紹介させていただきます
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
パラレルティーチャーの古島尚弥(ふるしまなおや)です。
noteの投稿にも慣れてきましたので、
本日は改めて自己紹介をさせていただきたいと思います。
「教育」を通じて、自身が関わる全ての人たちがWell-Being Lifeを!
noteを始めた2022年は、私にとって「革命のファンファーレ」が鳴る年と位置づけています。
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まず現在の私から。
教員生活20年超。
パラレルティーチャー(パラレルキャリアと実践する学校の先生)を名乗り、下記のような活動をしています。
資格はこんな感じのものを持っています。
その時々、そして未来をイメージして、必要なことにコミットして学びを進めています。
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大阪市内の公立小中高を卒業。
短大を経て大学卒業後、すぐに高校教員として勤務を始めました。
中学の時に教員になることを決めていて、そのために大学にも行きました。
一般企業の就職活動は一切せず、大学卒業後は教員として少しずつ経験値を積んでいくため、あえて非常勤講師を選択しました。
正採用の道として、非常勤講師を選択したのはリスクがありましたが、
学校の掛け持ちができたりして、結果的には様々な生徒たちと関わることができたので、本当に良い経験となりました。
現在の勤務校では、着任してすぐ担任をさせていただき、
様々な運やタイミングも重なって、3年後専任教諭に採用していただきました。
担任として9年間で4回卒業生を輩出。
その後34歳でコースの責任者を任されることになり、
学内で歴代最年少校務運営委員会のメンバーとして、学校運営に関わることになります。
担任をしていたときとは、明らかに見える景色が変わりました。
若くして運営委員会に入れていただいたからには、自分にしかできないことがあるはず。
そう考え、これまで学内でやっていないようなインパクトのあるイベントを、外部団体と連携してコースで実施しました。
現場の先生からの反対もありましたが、イベントを成功させたことで少しずつ周囲の目も変わってきました。
様々な外部の教育関係団体から、企画やイベントのコラボ依頼がどんどん舞い込んできて、その都度実施していきました。
私たち学校の教員だけでは、伝えれることには限界があります。
そう考えた時に、様々なバックグラウンドを持つ「オトナ」がもっと子どもたちに関わり、世界観を広げてあげる必要があると感じるようになりました。
それからは、いただいたご縁や情報収集をしながら、ビジネス系のセミナーやイベントにオンライン・オフラインで参加するようになりました。
もちろん私自身が知らないことだらけですし、理解できないこともありましたが、経営者の方や個人事業主の方々とたくさん出会いをいただき、世の中の「教員」に対するイメージに対して、俯瞰的に見れるようになりました。
同時にバスケットボールの審判でも多くの経験を積ませていただき、またフィリピン・セブ島で貧困教育支援団体との出会いが人生の大きなターニングポイントになったりもしました。
今では教員をしながら、様々な教育活動をさせていただき、人生においてやりがいのある活動をたくさんすることができています。
時間や体力的にはキツい部分もありますが、やりがいやモチベーションが疲れを感じさせないし、そもそももはや「シゴト」をやっている感じがないので、フラットに毎日最幸の人生をアップデートし続けています。
その時々で自分に起こっていた辛いことや自分が打ち込んでいたものを、全て点で捉えていましたが、今では全てが自分にしかできなかった価値のある経験で、線で繋がっていることをひしひしと感じています。
良いも悪いも、全てがその人にしかできない経験、その人だからできる価値のある経験です。
自分が関わる子どもたちにも、小さい時に色々な経験をたくさんして欲しい。
同時に同志である学校の先生たちにも、自分らしい教員人生を送って欲しい。
未来を創っていく子どもたちに関わる先生と、教わる子どもたちのために、私は毎日学内外を走り続けます。
公立の小中高を経て、大学を卒業したあと、学校の教員の道だけを進んできた、どこにでもいる学校の教員が、このようにパラレルキャリアを道を歩んでいるのです。
人生本当に面白いと思いませんか。
自分が経験したことが、読んでいただいた方々にとってもお役に立てれば嬉しいです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
引き続き、よろしくお願いいたします。
パラレルティーチャー
古島 尚弥
※このページは適宜アップデートしていきます!
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