もし、今ぷれいすがあったら
地域に根差したみんなの居場所、ハイパー児童館ぷれいすを作りたい。
地元では、相次いで気になる物件が空きとなっている。
コンビニエンスストアの撤退
元ドラッグストアの整骨院の閉院
コミュニティバルの閉店
健康器具の体験販売の撤退
とんかつ屋だった居室付き店舗
広ければいい条件だけど賃料や契約金が高くなり、狭めの店舗なら多少金額は抑えられる(とはいえ手は出ない)がやりたいことがやりきれない。
そもそも、現状ではハイパー児童館ぷれいすを始める余裕はないんだけど、ふと思うこともある。
もしハイパー児童館ぷれいすをスタートしている状況で今のコロナ禍に見舞われたら?
いや、その問い方だと、「キツいよなぁ」しか言えない。
しかし、問い方を変えると、改めて何をしたいかが見えるかもしれない。
もしコロナ禍にハイパー児童館ぷれいすがあったらどうしているんだろう?
すでにこれを書いてけど、もう少し踏み込みたい。
最も単純な対応は、閉めるということだ。
閉めれば感染拡大も何も起きない。
しかし、↑の記事で引用したたべまなや喫茶ランドリーのように、閉めるという判断は最後までしたくない。そう思うに違いない。
ハイパー児童館ぷれいすは、カフェであり、駄菓子屋であり、絵本カフェであり、児童館であり、いわゆるこども食堂にあたるものである。
でも、大切なのは、ハイパー児童館ぷれいすを地域に根差したみんなの居場所にするという理念だ。
具体的な取組はその表現手段でしかない。
みんなの居場所が簡単に閉まるわけにはいかない。
むしろ、この状況で行き場が少なくなってしまっているからこそ、みんなの居場所の存在意義は高まるはずだ。
消毒なり換気なりといった対策はもちろん取る。
黙食をお願いするかと言ったら、それは悩む。
お酒は元々売る予定がなかったのでいいとして、他もなるべくメニューを減らしたくもない。
むしろ飲食店の営業縮小や休業で余剰になった食材を扱って生産者を救いたい。
密を避ける対策とコミュニティとしての役割は時に相容れないため、何をやめて何を続けるかの線引きは難しいだろうけど、場として開くだけのようにはなりたくない。
みんなの居場所として有意義なものであるために必要なもの、欠かせないものをしっかり見極めたい。
実際にハイパー児童館ぷれいすを開ける頃にはコロナ禍が落ち着いているかもしれない。
もし落ち着いていなくても、様々な知見が積み上がっているだろう。
今動けていないことに落胆ばかりせず、いざ動く時のために、常に「もし、今ぷれいすがあったら」の意識をもっていようと思う。
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