嗚呼、憧れの食堂車
私は鉄です。
名前でも素材でもありません。
鉄道が好きということです。
物心ついて初めて長距離の鉄道旅をしたのは、福岡に住んでいた父方の祖父の葬儀に参列した1982年のこと。季節は覚えていません。
当時の我が家に車はなく(というか、両親とも運転免許を持ってなかった)、母が極度の高所恐怖症のため飛行機に乗れず、東京から博多まで新幹線で行きました。
0系のひかり。
東京駅6時00分発のひかり21号博多行は、博多に向かう始発でかつ最速達のひかりでしたが、それでも7時間以上かかり、到着は13時を回っていました。
しかも父の方針なのか、いつでも自由席だったため、入線よりはるか早くホームに並んでいたので、ドアtoドアだと15時間くらいかかったんではないでしょうか。
当時年長さんだった私はさぞかし退屈だったろう…と思いきや、そうでもありませんでした。
乗車していたのは一番後ろの1号車(自由席禁煙車は1、2号車だった)。
デッキと客席を繋ぐ自動ドア、折り紙のようなコップで飲む給水器、トイレに洗面台
そのどれもが新鮮で楽しかった。
中でも少年・なおふみの心を掴んだのが、8号車の食堂車。
当然中には入れなかったけれど、海側の通路の窓(本来は明かり取りだと思う)から見える食堂内はなんだかすごく特別な空間に感じました。
「大人になったらここでご飯を食べるんだ」
と決意したっけ。
次の車輌のビュッフェも興味を引かれたけど、食堂車には敵わない。食堂車への憧れは絶大でした。
さて、実際大人になり。
新幹線から食堂車はなくなっていました。
幼きなおふみの憧れは、憧れのまま消えてしまったのです。
新婚旅行でカシオペアに乗り、食堂車での食事も味わいました。それはすごく素敵な体験でした(別で書く)けど、ご飯でも食べるか〜ってフラッと入る新幹線の食堂車の憧れとはまた違った体験だったのも事実です。
仕方ないなとも思います。
当時0系ひかりで7時間以上かかっていた東京ー博多間は、今N700系のぞみで5時間ちょっとになりました。乗車時間が2時間も少なくなって、食堂車への行き来を考えると効率的ではないのかもしれません。
それに、今のご時世、食堂車で食事している間座席がフリーなのはあまりに無用心にも思えてしまいます。
駅弁も美味しいし(昔からだけど)。
でもやっぱり、一度は新幹線の食堂車を味わいたかったなぁ。
車窓を流れる景色(富士山ならばなおよし)を眺めながら、食堂車ならではのメニューをいただく。
はぁ。
憧れは憧れのまま。
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