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銭湯という可能性

地域に根差したみんなの居場所、ハイパー児童館ぷれいすをつくりたい。

こんな構想もあって

そうしたら、先日こんな ↓ ニュースが目に留まった。

区立で⁉という驚きはさておき、「先を越された!」というちょっとした焦燥感と、「やっぱり方向性は間違っていなかった」という自信にも似た感情が同時に起きた。

ならば、それを超えていくのもありかな。

次に目を付けているのが銭湯だ。

今はやりのスーパー銭湯ではなく、昔ながらの公衆浴場としての銭湯。

私自身、小学校入学すぐまで住んでいたアパートは風呂なしで、毎日銭湯に通っていた。

そして今、一人暮らしとなった母は足腰が弱ってしまい、公社住宅のバランス釜の風呂には入れず、入浴デイサービスのお世話になっている。

高齢世帯や高齢者の独居世帯において、入浴は危険が伴う。
家庭内の死亡事故が起こる中では、入浴中とその前後はかなり危険度が高い。

それを支える存在としての銭湯という価値観を見直す時が来ているのではないかと思うのだ。

なんてことをぼんやり考えていたら、こんな取り組みが目に留まった。

駄菓子屋といい、銭湯といい、私のような凡人が思いつくことなど、それを上回って形にする人がいるものなのである。

これは託児なので、育児世帯が対象だが、たしかに育児真っ最中の親御さんも入浴は一仕事だろう。

育児と高齢者介護は意外と親和性が高い。
育児に有効なものは、高齢者介護にも有効な例は多いが、この銭湯の取り組みも大いに参考になるだろう。

うまく運営すれば、銭湯はダイバーシティの重要なピースにすらなり得るとさえ思えるが、どうだろう。

我が家が15年以上お世話になっている某避暑地のペンションでは、浴室の洗い場が畳(防水畳)で敷き詰められている。
極端に言えば、赤ん坊を寝転がらせても大丈夫な造りだ。

これは、高齢者にも身体障害者にも優しい。
まさにユニバーサルデザインだ。

ハード面のユニバーサルデザインと、ソフト面での託児や入浴支援を組み入れて銭湯を運営できれば、最低限の文化的生活の保障という、憲法で定められる人権保障の一端を担いつつ、地域のコミュニティの核として機能するインフラにすらなれる。
今、衰退しつつある銭湯は、実は無限の(は言い過ぎとしても)可能性を秘めているのかもしれない。

銭湯の受付カウンターが、駄菓子カフェになっていて、銭湯を使わない人にも開放されて地域の居場所になっていったっていい。

それは欲張りかもしれないが、夢見る間くらいは欲張ってもいいじゃないか。

銭湯を1から、0から作るのはハードルが高いことは承知の上ではあるが、その高いハードルを越える価値は十分にあると思う。

必要なのは土地と資金、様々な資格に近隣の理解、託児や介護を考えるならそれを運営するために必要な人員…

ハードル高いな…

だれか賛同してくれませんか…

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