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クリスマス・イン・アンビュランス

「Merry Christmas!」なんて乾杯の音頭もそこそこに、我が家のささやかなクリスマスパーティーが開かれていた。

第一弾のディナータイムを終え、一息ついたらデザートタイムかね〜なんて思ってスマホを見たら、母が一人で暮らす実家のお隣さんから着信履歴があった。
時刻は夜7時をまわったところ。
何事かと折り返してみる。

「ご近所の方がお母さんを訪ねても返答がないし、電話にも出ないのよ」

なんですと?

足が弱った母は、家の中なら伝い歩きで生活できるが、長い距離を一人で歩くのは杖を使っても難しい、というか、無理だ。
以前は強がって単独の外出を試みたこともあったが、そのたびに痛い目に遭って懲りたはず。

とりあえず私からも電話をしてみるがやはり出ない。
血の気が引く。パーティーの余韻は一瞬で吹き飛んだ。

できることは、直接出向くほかない。
が、クリスマスパーティーでしっかり缶ビール350を1本空けたところ。電車で行くしかない。
夜も早い時間でよかったが、車で行くより時間が倍かかる。
とにかく祈るように家を出て、祈るように電車に乗り込む。
地元の駅を出る前と、乗換駅で電話するがやはり出ない。
実家の最寄駅でも電話しようかと思ったがやめた。今さら電話するくらいなら少しでも早く向かおう。

実家に着いた時には20:30を回っていた。

祈る思いで鍵を開け、声をかける。
室内は真っ暗だったが、奥から母の声がする。

とりあえず生きてはいる。

台所の電気を点けると、その隣の居間で母が横になっている姿が確認できた。
ベッドの足元、畳に直に横になっている。どう見てもただごとではない。

とりあえず居間の電気を点け、足元のテーブルをどかし、話を聞いてみる。

意識はしっかりしていて会話もできるが、当然ながら弱っている。

話をまとめると、23日金曜日の夜、押入の何かを取ろうとして屈んだら、側にあるタンスに顔をぶつけてしまった。その衝撃で両ヒザを強く着いてしまい、はずみで尻もちを着くように倒れてしまった。あちこち痛い。
本来なら24日土曜日は午前中に入浴のデイサービスに行くはずだったが、デイサービス側の都合で休みだったんだとか。もし予定通り入っていれば朝のうちに対応できたのだが、それは不運だった。それだけに、ご近所さんが気にかけていただいたのはありがたかった。

見るとズボンは履いておらず、パンツも替えねばならない状況。なぜそんな状況かは訊いてもよくわからないし、この際どうでもいい。
自分で替えられるか訊くと、「トイレに行けばできる」というが、自分では立てないし、立たせようにも抱え上げようとするだけで痛がってしまい、一人ではどうにもならない。
にもかかわらず、119している息子に対して「救急車繋がらないでしょ。大丈夫よ」など言う。
どう見ても大丈夫とは程遠い。

とにかく母は、他人に迷惑をかけることを嫌がる。特に息子には迷惑をかけたくないという気持ちが強い。そのせいでこれまでだいぶ迷惑していて、話もしているが、どっぷり染みついた感覚を拭うのは難しい。

そして、こんな夜に119がなかなか繋がらない。
コロナ禍、クリスマス、土曜日夜、何が原因かわからないが、何回かけても呼び出し音が響き続けるだけ。

とりあえず一旦切って、心配しているだろう妻に電話して状況を報告。生きてること以外に安心要素は何もないが、それだけでもまだよかった。

時刻は21:10をまわった。
改めて119。
今度は繋がるまで切らないと粘る。
何分待ったかはわからないが、だいぶかかってようやく繋がった。
救急車要請して状況を伝える。
案の定、救急要請が多くて救急車の手配が難しく、2~30分かかるかもとのこと。
それでも来てくれることは確定した。

とりあえずご近所さんに報告。
一様に心配と安心の入り混じった反応だった。

21:30頃、救急隊到着。覚悟したより早かった。
到着前に連絡があり、それを受けて検温や着替え(当然全介助)もしておいた。
救急隊による状況の確認。幸い受け答えはしっかりできているが、やはり立つのは難しい。
エレベーター用の担架に乗せられる時も、脚は全く効かない状況だった。
1階でストレッチャーに乗り換え、救急車へ。

暖かい車内に一安心…したのも束の間、今度は搬送先が決まらない。
以前脱水症状で入院したことのある大学病院ダメ。
何件か断られた後、足腰立たずで救急搬送された病院を思い出してあたってもらうもダメ。
さらに数件ダメ。
独居高齢者、自立歩行困難、入院希望と、条件が厳しい様子。
1時間が経過し、ようやく条件付きで受け入れてくれる病院にヒットした。
少し離れるが、同じ区内。
提示された条件は「すぐ検査、診察できるのは整形外科だけ(顔面にあざがあるのと歩行困難の状況から脳外科の検査も必要な状況だがそれがこの時点ではできないということ)」と「コロナの検査をして陰性だった場合に限る」ということ。
私が駆け付けてから2時間、転倒からは25時間も経っている。贅沢は言えない。向かってもらった。

今夜はなんて大変なんだ。こりゃ終電間に合わないな。そう思った私の見立ては、途轍もなく甘かった。

22:50頃、病院に到着。
すぐに病院の看護師さんがやって来て抗原検査を受ける。
10分ほどして看護師さんが戻ってきた。

結果は、コロナ陽性…

当然受け入れは中止。
搬送先検索が完全に振り出しに戻るばかりか、コロナ陽性が加わってますます難しい状況になってしまった。

その病院の駐車場に足止めされたまま、救急隊による搬送依頼が続く。
電話が繋がると患者の状況を伝えるわけだが、コロナ陽性で断られるケースが多いのが隊員の対応でわかる。中には「82歳女性の方」の時点で断られるケースもあるようだ。
「世田谷区の…」「武蔵村山市の…」と言った遠方の病院をあたっている様子もある。
しかし、搬送先が決まる雰囲気は全くない。

妻にもLINEで状況を伝え、サンタをよろしくやってほしい旨も依頼。

隊員、母、そして私、全員に疲れが出る。
睡魔も襲う。

気付けば時刻は2:30。日付もう変わっている。
終電を逃すどころか始発前にも終われない雰囲気。
救急隊から、救急車と隊員が交代することになるとの話が出る。
救急車乗車から5時間。隊員の勤務も超過しているとのこと。

一旦トイレに行かせてもらう。
病院のトイレには入れないので、近くのコンビニへ。スマホのバッテリーもレンタルして戻る。

3:10、交代の救急車と隊員が到着。引継ぎが行われている。
3:20、救急車乗り換え。
乗り換える救急車は、ストレッチャーの周囲がシートで覆われていた。隊員も簡易ながら防護服を着ている。
そういえば、最初に救急要請した時点ではコロナなんて頭になかったため、救急車の車内も隊員の対応も通常のものだった。大変な思いをさせてしまったと心苦しい思い。

交代した隊員による搬送先検索が続く。
換気を徹底しているためか、最初の救急車と違って車内が寒いが、致し方ない。

各病院に直接連絡だけでなく、消防庁や保健所の夜間調整窓口にもあたってくれているとのことだが、状況は変わらない。

4:10、隊員から、症状ごと(脳外科、整形外科、コロナ)に別々の対応になって、その都度救急車の交代込みで転送が続くような形もあり得るとの説明を受け了承する。とにかく贅沢を言えない状況。

それでも見つからないまま6:30になった。
24日の夜は災害時級の救急車稼働率で、救急車も救急隊も受け入れの病院もフル稼働で全く追いついていないという話があった。
母に転倒とコロナ症状の因果関係を確認するような問いかけをしていたが、本人とてその点ははっきりしないだろう。

7:20頃、二度目のトイレ中座をお願いして戻ったところで、再度救急隊員交代の話が出る。
不眠で24時間の勤務になっているとのこと。頭が下がるとしか言いようがない。
この先8:30から9時あたり、病院の体制が夜勤帯から日勤帯になるところてチャンスがあるかもしれないとの話。

8時頃になり、病院の院長から脳外科と整形外科の検査だけ受けるとの話あり。
検査後はいずれにしても救急車に戻ることにはなるが、脳外科と整形外科に所見がなければ単純にコロナ陽性患者として、療養施設も含めた受け入れの可能性が広がるかもしれない。
8:15、検査へ。30分ほど発熱者用に仮設された院外の診察室で待つ。検査の結果、脳外科と整形外科には所見なしとなった。

このタイミングで救急隊員交代。今回は救急車据置で隊員のみの交代。
引き続き高齢者のコロナ患者療養施設を含めて調整。
隊員の好意もあり、2回行ったのとは別のイートインがあるコンビニで長めの休憩を取らせてもらう。本当は横になりたいが仕方ない。

9:30頃戻る。
隊員に改めて最初の状況など訊かれて答える。
その後は感染予防(今さらだが)も含めて外で待つ。晴れていてよかった。車内より暖かいかも。

10:10になった頃、都が運営する高齢者向け療養施設が受け入れ可能との話があった。エクモなどの高度な延命措置ができないこと、コロナ以外の医療対応が必要となった場合は転院となることなど説明を受け、了承する。

家族の同乗、同伴不可とのことで、救急隊員に任せて見送ることに。
10:25、ようやく搬送先に向かって出発する救急車を見送った。

その後は、まず妻に連絡して状況の説明。
実家に戻り、洗濯や片付けをする合間にご近所さんへ報告とお礼を。
さらに職場の管理職にも報告して翌日、翌々日のお休みをお願いした。

いろいろ済ませて、施設から依頼のあった品を届けに向かう。

向かった先は

旧・こどもの城

こんな用でここに来るとは。

中には入れず、入口前で係の方に物品を渡して、ようやく母の対応が終わった。

時刻は14時をまわる頃。
家を出てから19時間近く経過。
24日の起床から数えれば、30時間超横になっていない。
結果的には車で来てなくてよかった。

母は転倒して身動きが取れなくなってから搬送先が決まるまで37時間かかった。心身ともに辛かっただろう。あとは回復を祈るだけだ。

なるべく長く電車に乗る乗れるルートで帰った。
濃厚接触者になる可能性を考えて家では隔離状態に。そんなことより、横になれる喜びの方が勝る。

今日になって、保健所に状況を説明して確認したところ、濃厚接触者にはあたらないだろうとの判断。
念のため感染可能期間である2日間(明日27日まで)は自主隔離を続けるが、今のところ(26日23時)体調変化なく(腰は痛い)、セルフだが抗原検査も陰性だ。
このまま済めばいいのだが。

昼、他の家族のお弁当の余りを昼食に出してもらう。
食べ終わった頃、次男が届け物をしてくれた。

剥き方を教えた甲斐があった。
持つべきものは家族だなぁ。
そして健康は大切。

どうかみなさんも身体を大事にしてほしい。

そして独居の高齢者が身近にいるのなら、ちょっと気にかけてあげてほしい。

クリスマスにしてはあまりに過酷な経験だった。

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