見出し画像

野球坊主

先日、2年ぶりのセンバツ(選抜高校野球)が開幕した。

昨夏の特別大会と違い、上限はありつつも観客も入り、より“いつもの甲子園”に近づいた。

我が家の男子3人も、全員野球少年となった。

中でも所属チームで主に内野手として主力の働きを求められる次男(新小5)は、遊びに出かけても野球、家でも末っ子(新小1)と野球、ニンテンドーSwitchでも野球(たまにマイクラ)と野球にドップリ浸かっている。

そんな次男、高校野球の中継も、タイミングが合えば観る(まだプロ野球ほどハマらないみたい)。

で、先日こんなこと訊かれた。

坊主って、野球やるのになんかいいの?

我が子ながら、なかなか鋭い質問じゃないか。

ちなみに次男はスポーツ刈り。

以前は父の自家製坊主頭だったが、保育園年長にして友達にからかわれるのを嫌がり、以降1,000円カットのスポーツ刈りになった。

そんなこともあってか(関係ないかもしれないが)、野球、特に高校野球と坊主頭の関係が気になったようだ。

それにしても、「何でみんな坊主なのか」という視点ではなく、「坊主が何か野球の役にたつのか」という視点なのが面白い。

ここで次男が納得する「野球における坊主頭の効能」を説いたら、坊主頭にする気になったんだろうか?
(そうしたら散髪代浮くな)

私自身、中学生の時は坊主だった。

令和の今ではあり得ないが、校則だった。
つまり、男子は全員坊主だった。

今思えば、いや、当時でも薄々思っていたが、精神面以外に意味はない。

結果私が中3の2学期に、坊主から中学生らしい髪型に校則が改定された。

平成になったばかりの頃の話だ。

その頃のことも思いながら、「野球における坊主頭の効能」を考えた結果、ある答えを導き出した。

そんなもんない。

身も蓋もないが、どう考えても、ない。

精神面だけだ。

帽子やヘルメットを被る際に邪魔にならないように、って言っても、スポーツ刈りで十分だ。
そもそも、選手本人が邪魔に感じないなら、たとえ長髪であっても何の問題もない。

万が一のケガや熱中症を考えたら、坊主(特に行き過ぎた五厘刈りみたいなの)は逆効果だ。

だいたい、日本野球における最高峰であるプロ野球で常に坊主でいる選手など少数だし、世界最高峰のメジャーリーグでもほとんど見かけない。

どう考えても、野球における坊主頭の効能などないのだ。

もちろん、選手個人が、自らを鼓舞するために頭を丸めるのは自由だ。

あるいは、髪質的に坊主にしたいならするといい。

しかし、部則として一律坊主にする意味など、ない。

一体感や連帯感だというなら、それはズレている。

髪型を揃えなければ一体感や連帯感を得られないとしたら、むしろチームに問題を感じる。

実際、脱・坊主を打ち出す高校は出てきている。

小1で始めた次男に(タイミングとしては)次いで、中学の部活から野球を始めた長男は、4月から高校野球の世界に踏み出す。

ホームページや学校紹介に堂々と「夏の東東京大会ベスト32」を目標に掲げる硬式野球部は、坊主を強要していない。

野球に限らず、高校における部活動が、青少年の教育の一環とするならば、自主性の育成を意識しなくていいわけがない。

髪型の強要は、その視点に完全に反する。

次男が高校野球に踏み出す頃には、「選手全員丸坊主」が今以上に時代遅れになっていることを祈る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?