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ひとりぼっちも素晴らしい【孤独感を手放した先にある自由】vol.2

こんにちは、スナオイロのナオコです。

前回に引き続き、今回も『家族がいない』『友達がいない』『人間関係がうまく構築できない』といった、多くの人がネガティブに捉えがちな『孤独』について、わたしの経験をわかち合いをしていきたいと思います。

孤独で辛い気持ちを感じている方や孤独を恐れている方には、ちょっと耳が痛いとか、読んでいて心がギュッと苦しく感じてしまうようなこと、受け入れたくないと思うことなどが出てくるかもしれませんが、わたしの変化の体験談が、あなたらしく生きるヒントにつながればうれしいです☺

vol.1 はこちら👇




「孤独=恐怖」の固定観念がはずれた過程

わたしが精神的に大きく変化したきっかけは、いつも話しているように 元夫のギャンブル依存症によって、自分の共依存症や生きづらさに気づいて、深い部分からしっかり向き合うようになったことです。

そこから わたしの世界観がガラガラガラッと大きく変わりはじめました。
その中で、『孤独が恐ろしいものだ』という固定観念もはずれていきました。


元夫と別居したときのこと

5年ほど前、元夫と1年ほど別居をしていました。
当時、元夫の実家が自転車で15分ほどのところにあって(元義弟しか住んでなかった)、元夫が頻繁に行くようになり、いつの間にか そのまま帰って来なくなるようになりました。

ちょうど わたしが自分と深く向き合い、自分の非を認めはじめ、自分軸というものが腑に落ちはじめてきた頃です。
そして元夫は ギャンブル依存症の自助グループに行かなくなりはじめた頃です。

最初の頃は、「なんでギャンブル依存症を理解しようとしているわたしを置いて出ていくの? 出ていくならわたしのほうじゃない?! わたしはこんなに向き合ってるのに…」と、
悲しくなったり、虚しくなったり、イライラしたり、不安になったり…、複雑な感情に振り回され、情緒不安定になりました。

でも、わたしは『起こることは必然で意味がある』という考え方が好きだったし、当時は負けず嫌いやポジティブ至上主義的な考え方もしていたから、どうにか その状況に良い意味を見出したくて、それまで以上に 他者や感情よりも『今ここ』の自分自身に意識を向けるように心がけていきました。


「孤独な状況」が「孤独な心」を救った

そんな感じで 今ここの自分と向き合いつつ 1人でずっと過ごしていると、自分のいろんな面が見えてくるようになりました。
すると、冷静にならざるを得なくなっていきました。


『誰も見ていない。だけど自分が自分を見てる』

わたしはそれまでの長い年月、
「悪いのは他者や環境・社会で、わたしはがんばってる」
「わたしにも悪いところはあるけどさぁ、でもあの人のほうがひどいでしょ」
「自分が怒るのは他に原因があるから仕方ないじゃん…、わたしは良いほうだ」
などといった他責思考や比較判断によって自分を正当化することを当たり前として生きてきました。
(そもそも、それ以外の考え方や生き方があることすら知りませんでした)

だけど、1人で過ごしていて不快な感情が出てくると、他者のせいにしようにも他者がいないし、自分を正当化しようにも比較対象がいないわけです。
そこで自分の中に 違和感や疑問が湧いてくるようになりました。

「あれっ、いったい この寂しさはどこからやってきてるんだろう? この怒りは? この不安は???…」


わたしが生み出していたネガティブな渦

不快な感情に酔い、囚われ疲れてくると、その出どころとして最終的に思い当たるのは『わたし』しかいない。ってなってくる。
「いや、そんなはずはない」
でも、何度その状況を体験しても結果は同じ…。

「わたしが生み出していたのか…」
わたしの中の深い部分が認めたくなかったこの答え。
もう抵抗する術がなく、観念した末の結論でした。

自分で認められるまでに、正直 頭の中も心の中も混乱したけど、同時に『今ここ』に生きることの重要性に気づかされ、なにか大きな発見をしたような気分にもなりました。

すると心が軽くなって、急に呼吸がしやすくなった感覚にもなりました。
自分が息苦しい中で生きていたことに気づかされた瞬間でもありました。


1人になったことで思考をシンプルにできた

わたしにとって そのときの別居は、最初は屈辱的なものに感じられました。
先ほども書いたように、元夫のギャンブル依存症のことが原因で問題が起こっていて、それでも わたしはちゃんとやっていたのに なぜ元夫のほうが出ていくんだと…。

同じ状況をほかの人が体験したら、多くの人が屈辱的に感じて、怒ったり泣いたり…発狂したくなるような ネガティブな感情に囚われると思います。

でも、わたしは あの状況で1人になって、不快な気持ちを他者の責任にできなくなった、つまり、今まで自分の中で誤魔化していたことが、誤魔化せない状況になったからこそ、いろんな気づきを得られました。

「他者は関係なく、自分の問題だった」
わたしは 他者を巻き込み・巻き込まれながら、とてもシンプルなことを複雑にしていたのでした。


vol.3 へ続きます

👆vol.3 では、vol.2よりも もう少し踏み込んで、自分の非を認めていく過程を書いていこう思っています。

自分の闇の部分にも光を当て、知り、認めていく…。
ちょっと苦しい部分ではあるのですが、ここができるようになると、本当の意味で自分を受け入れるということ、ありのままの自分でいいんだ!ということがわかってくると思っています。
拙い文章ですが、またどうぞご覧くださいませ☺

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