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ひとりぼっちも素晴らしい【孤独感を手放した先にある自由】vol.3

こんにちは、スナオイロのナオコです。

vol.1vol.2 に引き続き、今回も多くの人がネガティブに捉えがちな『孤独』について、わたしの経験をわかち合いをしていきたいと思います。

孤独で辛い気持ちを感じている方や孤独を恐れている方には、ちょっと耳が痛いとか、読んでいて心がギュッと苦しく感じてしまうようなこと、受け入れたくないと思うことなどが出てくるかもしれませんが、わたしの変化の体験談が、あなたらしく生きるヒントにつながればうれしいです☺

よかったら vol.1 からどうぞ👇




自分を知っていく

vol.2 で書いたように、わたしは孤独な状況になったことで、自分自身がネガティブな感情を生み出していたことに気づくことができました。

自分が自分のことを一番知っているはずなのに、まだまだ知らない自分や、抑圧していた知りたくなかった自分がたくさんいて、「わたしはこうやって生きてきたのか…」と、正直 驚かされました。

そして、わたしはそれらの存在に支配されていたことにも気づかされました。

『自分自身がどのような思考や感情のパターンを繰り返しているのか』を知ることは、心の平安を感じながら ありのままの自分で生きていくための鍵の1つでもあると思っています。


感情表現を利用した支配

わたしは孤独な状況になったときに、怒ったり泣いたりといった感情表現を他者をコントロールするために利用していたところがあったことに気づいたんです。
本当はうすうす わかっていたけど認めていなかった 自分がフタをしてきた見たくない 醜い部分です。

もちろん顕在意識での故意ではなく、無意識の部分で反射的にそのような対応をしてしまう設定がされてしまっていた、そんな感じです。

「自分がこういう言動をすれば、相手はこういう風に思ってくれて こういう言動を返してくれるはず。そしたら わたしは報われるよね」
という、相手の感情を揺さぶって自分が得をするような、思い通りの流れになるように誘導をしていることをよくしていたんです。
たとえば…


① 感情表現が過剰になっていく

もう泣きやめられる状態になったのに、
「(わたしの闇の声*)もう少し泣き続けたほうがいいかな? どんだけわたしがあなたのせいで寂しくて可哀そうな思いをしているかをもっとわからせないと。そしたらもう2度とこのようなことはしなくなるでしょ。もうこれ以上わたしを苦しめないでよね」。
と泣き続ける。

(*『闇の声』というのは、当時からそう思っていたわけではなく、今、文章にするにあたって 名前を付けたほうが わかりやすいかなと思って付けました)

時間延長のほかに、泣き声を大きくしたり、「なんでわかってくれないの!? ひどい、そんな人だと思わなかった」などとちょっと怒りはじめたり、軽蔑するような言葉を言って相手に非があるような流れにしてみたり…。
それでもわかってもらえなかったりすると、過呼吸気味になったりもしていました。

「(闇の声)次はこうしてみよう。んーダメか。じゃあこれはどうだ!? 絶対にわたしの思い通りにするんだから。負けないぞ!」という感じで次々と頭の中に指令がやってくる感じでした。


② 孤独への恐れをすり替えた愛情表現

「(わたしの闇の声)ここでわたしが怒ってあなたがいなくなったら、わたしは一人ぼっちになる…。そんなのいやだ…!
あれっ…? こんなにひどいことをする人でも離れたくないと思うってことは、それだけ愛してるんだわたし…」。

「(発した言葉)どんなあなたでも大切だよ、一緒に乗り越えよう」
「(闇の声)こんなに愛情深くて、あなたを信じてるわたしを一人にしないよね」

このパターンでは、本当の感情は『孤独になることへの恐れ』なのに『愛情』のようなものにすり替わってしまっています
一見、とても愛にあふれた言動に感じられるけど、実は自分の深い部分では孤独を埋めたい気持ちが大きかったのです。


見返りを求めてる「条件づけの愛」

パターン②は わたし以外の人もけっこうやりがちだと思うんです。
ドラマとかでも こんなラブストーリーありがちじゃないですか?
(テレビなし生活10年以上だから 最近のことはわからないけど)

自分でも、愛や やさしさだと思い込んでいるから 美しい愛情物語のようにも感じられて、傍から見ると感動してしまいそうな話ですが、幸か不幸か 仕組みがわかってしまうと、質がよくないものだということがわかります。

自分の勘違いの愛情深さに酔ってしまうと 周りも見えなくなっていきますし、犠牲的になったり支配的にもなったりします。

そして相手は、その愛情のようなものに応えようとするけど、でもなんか苦しくて応えきれなくて 罪悪感を感じたり、ますます依存対象に走ってしまったり…。といった苦しい依存の流れになっていきやすいです。

自分が愛だと思い込んでいる思考も、深く素直に自分と向き合っていくと、わたしのように、実は本来の愛ではない『条件づけの愛』だったということが この世の中には多いと思います。

なかなか勇気がいることではありますが、それを自分自身で見破って非を認め、繰り返さないようにしていくことは、本当の意味で自分自身にとっても周りの人たちにとっても、すごく大事なことだと思っています。


孤独は寂しくなかった

1人にさせられた最初のうちは、寂しさ・悲しみ・怒り・不安などの感情に囚われてるから孤独を感じて泣いていたんですけど、でも、当たり前だけど、ずっと1人で泣いていても 誰も慰めてくれないんです…。
そして、泣くのって けっこうエネルギーを使うから 疲れてきます。

すると「(闇の声)もうこれ以上 泣いても意味ないか…」みたいに、悲劇のヒロインモードになってた感情が冷めてくるんです。

「あれっ? 泣いても意味ないと思ってるってどういうこと?! わたしは一体なんの理由で泣いていたの?!」


『自分が得をしたい』という根深い欲求

『寂しくて泣いてる自分』と『泣いても得することは ないよ』という矛盾してるかのような自分の思考同士が対峙し、さらに、それを俯瞰してみている自分もいる。

その瞬間の自分自身と深く素直に向き合っていくと、「『泣いてる自分』と『泣き止んだ自分』のどちらのほうが自分は得をするのか、または損をしない(傷つかない)のか」ということを必死に頭をぐるぐる回転させて考えてる自分がいました。

わたしが泣いていたのは、元夫に1人にさせられたことへの怒りや寂しさからではなく(顕在意識ではそう思い込んでいたけど)、深い部分では、『わたしの存在を他者に受け入れさせて孤独な心を埋めてもらうために泣いていた』ということなんです。

慰めてもらうにも、怒るにしても、わたしの承認欲求を満たすという目的を思い通りに達成させるには 相手がいないと成り立たないわけで、1人で泣き続けていても意味がなかったのです。

これに気づかされて以来、わたしが感情を取り乱すように泣くことは急激に少なくなっていきました。
(今はまったくないと言い切ってもいいくらい、別人レベルです。笑)

良くない流れの仕組みが明らかになり、自分の中で腑に落ちてしまうと、そのトリックはだんだん使えなくなっていきます。

なので『自分を知る』と感情に囚われにくくなり、ありのままの自分で生きられるようになっていきます。


vol.4 へ続きます

vol.4では、「なぜ孤独を恐ろしいものだと思い込み、怯えて生きてきたのか」といったあたりのお話を書ければいいなと思っています。

そのへんがわかってくると、『手放すこと』がしやすくなってくると思います。
拙い文章ですが、またどうぞご覧くださいませ☺

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