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独身からみた子育てと、祖母の子育て

妹の子育てをみていて不思議だと思うことがある。

妹の子どもは今2歳。
イヤイヤ期(と呼ばれているもの)真っ最中らしい。

お風呂だよー、ごはんだよー、という声かけ。
これは普通。

でも、たとえば子どもが言うことを聞かない時

「あー、知らないよ?もうママ行っちゃうからね!ひとりでお風呂入りなねー」

「はみがきちゃんとやらないならテレビ消しちゃうよー!」

一見ふつうじゃん?と思うだろうか。
よく聞く声かけだし、同世代の友人はみんな当たり前のように子どもにこんな声掛けをしている。

でも、わたしにはこの交換条件のような声掛けが、昔から違和感があって仕方がない。

◯◯しないと△△だよ。

◯◯すれば◯◯してあげるよ。

え?脅し?条件付き?


子どもというのは、当たり前だけれど文字通り生殺与奪権を100%親に握られている。

親が◯◯しないと知らないよ、置いていくよ、じゃあひとりでしなさい!というとき。

子どもにそれを拒否する選択肢があるのだろうか。

たとえば本当は今、ほかにやりたいことがあったり、何か理由があって言うことを聞きたくない時でも。

どんなにそうしたくなくても、「自分の意思で親の言うとおりにしない」という選択肢はない。

言うことを聞かせるために子どもの選択肢を狭めて、行動をコントロールしているふうにしか見えなくて、こういった声かけを聞いた子どもがイヤイヤ、または親の顔色を見ながら言うことを聞いているのを見ると、胸が痛くなってしまう。

もちろん妹はすごく愛情を注いでいるのがわかるし、そんなことを意識的にやっているわけはないのを前提で思うことだが。

基本的にわたしは自分が独身であるうちは、人の子育てに口を出さないと決めている。そんなことをしても無駄だからだ。

わたしは子どもを持つ母親と子供のいない独身とでは、まったくちがう生物くらい価値観の違いがあると思っている。

子どものいないわたしのものさしでいくら測ろうが、子どもを持つという経験を経た人の価値観を理解し切れるわけがない。

だけれども、「この接し方、違和感あるなあ」「この声かけ、不思議だよなあ」と思うことはいくらでもある。

わたしは昔、両親を亡くしたため中学生のときから祖母に育ててもらった。

多感で厄介な思春期から、わたしと妹を二人とも社会人にするまで、70歳を過ぎて祖父の介護と第二の子育てを同時にやってのけたとんでもないパワフルな人である。

今思い返してもお金どうしてたんだろう?とか、体力的なこととか、並大抵のこととはとうてい思えない。

学生の頃、祖母がいつもわたしたちにしていた声かけで印象に残っていたことがある。

毎朝、わたしが布団で寝ていると部屋までやってきて、「起きてもいいよ」と言うのだ。

「起きなさい!」でも、「起きないと遅刻だよ!」でもなく。

わたしは寝起きが最悪で、人に起こされると毎回とんでもなく機嫌が悪くなったのに、祖母がそうやって起こしに来る時は、なぜかすんなり起きれたものだった。

それが自分でも不思議だったけど、あの声かけがいつも自然に、起きよう、と言う気持ちにさせてくれていた気がする。

命令形というのは、どうしてあんなに言うことを聞きたくなくなるのだろうか。

してもいいよ、と言う言い方は、自分の意思でそうすることを選べるから、イヤな気持ちがしないのだろうか。

子どもに対しての声掛けに違和感を感じた時、いつもこの「起きてもいいよ」という祖母の声かけを思い出している。

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