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私以上に私のことを知っているのは君だけ


自分の知らないところまで、相手が自分のことわかってるのって幸せだな的な歌詞の歌なかったっけかな、


と思ってワードを引っ掛けてたら西野カナだった。


この歌好きでよくカラオケで歌ったなぁ。


しかも西野カナさん2日前に活動再開のニュースじゃないですか。めでたい。とてつもなく世代。




昔のわたしは本当に感情を表に出すのがへたくそで、仏頂面がわざわいしてよく「何を考えてるのかわからない」と言われていた。


なにもおもしろくないような顔をして、なにかに耐えてるだけみたいに見えていたであろう時期、それかある時は飄々として見えたかもしれない。


「クール」とか「ツンデレ」とかいう形容詞でよく呼ばれたし、そう評されるたびに誰も本当に自分のことなんてわからないんだろうなぁと悲劇のヒロインぶってあきらめていた。


「私以上に私のことを知っているのは君だけ」??


そんなことあるわけあるかい。少なくとも自分の身には起こらなんだのだろうなー、と。


本当はみんなと一緒に楽しみたかったのに、変に思われたら嫌で自分の出し方がよくわからなかった。それだけ素の自分とか感情を押さえつけていたら、そら周りもわからんだろうよ、と今は普通に思うのだが。


そんなガチガチの鎧を十二単衣ばりに着込んで武装していた自分だったのに、最近では仕事仲間に


「今、めんどくさって思ったでしょ笑」

とか

「本当は申し訳ないなんて心にも思ってないよね!笑」

とか、


隠したつもりでさんざん心を読まれては、愛のあるいじりをしてもらえたりする時に


昔の自分から考えたら「考えてることダダ漏れのわかりやすい自分」になったその変化が、とてつもなく嬉しいときがある。


自分の人間性や考え方や感情を、自分以上に誰かが知っていてくれるってこんなに楽だし心地いいんだなー



っていまごろになって知ったのだ。



われながら、なんかへんなところで感動してるなと思うけど。


わたしが仕事内容にモチベーションをもてなくて、最低限の仕事だけしてちょっと態度どうなのよ、みたいなときとか、心ここにあらずでやる気が皆無なのがわかるようなときでも


あえて何も言わずに、やることさえやっていればほうっておいてくれたり、とくに理由も聞かずに全面的に信頼をおいてくれたりする会社のメンバーに


わたしは頭が上がらないし、思ったよりも救われている。


なんかほうっておいても、この人たちのためにがんばりたいなーって勝手に思わされてしまう。

まあ皆、わたしがそんなへんな部分に対して感謝しているとはきっと思っていないだろうが

自分のコンディションが良い時も悪い時も、ただそこにいるだけでよくてジャッジされないというのは、本当に居心地が良いものなのだ。


どこにいっても少数派で、わかられにくくて、こんな感情の波とムラだらけのやつにたいして、なにも決めつけずに、変な目でも見ずに、ごく普通に当たり前みたいな顔をしてそこにいてもいい場所が、いったいいくつあるんだろうと思う。


われながら、転職の鬼のくせに仕事運と会社運と人の縁にはいつも恵まれているなぁといちいち感動して感謝している。

私以上に私のことを知っている存在がいるだけで、その場所は安心できる居場所に変わるのだ。


最近、自分にとっての居心地のいい場所の定義とは、楽しい場所でも、一緒に何か特別なことができる場所でもなくて、なにげないけどいてもいい場所のことなんじゃないかと思う。

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