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手放すことで手に入る自由と虚無

こんにちは。今日は「手放す」ことについて。

自分の管理下から手放す

仕事が大変だ、自分に向いていないことを押し付けられている等、状況を一度リセットしたい、手放したいということを考えたことはあるでしょうか。

社会ではこのような場合でも、頑張って自分で問題を解決することが正義、とされることが多いと思いますが、他にも誰かに仕事を振る、アドバイスをもらうなどの手段も使えます。

しかし協力してくれる人の力を借りてなお「これは自分では無理じゃないか?」と思われ、「手放す」以外の選択肢が取れない状況もあり得るでしょう。

今回はそんな「手放す」ことの効果を少し考えていきたいと思います。

「手放す」ことに種類はあるか

「手放す」ことには大きく2つのニュアンスがあります。一つは何かを完遂して相手に渡す、もう一つは、自分でこれ以上対応できない状況で相手に託す、ですね。

ですがこれ、本質的にはほぼ一緒だと思われます。どちらの場合でも「自分にできる範囲」まで活動はしているわけですから。たとえ「面倒くさい」が後者の原因だとしてもです。

思うに、この2つの「手放す」を分けるのは社会的評価、つまりは相手の要望に応えられているか否か、というだけではないでしょうか。

手放すことで自由と虚無を得る

何れにせよ手放すことで得られるものは、そのタスクにかけていたリソースを取り戻した自由の感覚と、リソースを使う対象が消える虚無感です。

リソースを取り戻し自由を得ることは心理的に大きなエネルギーになると私は考えます。困難なことに取り組んでいる間は精神だけではなく肉体のリソースも贅沢に食いつぶしている場合がありますからね。

ですがそれと同時にやってくる「自分は何もしていない」という虚無感も覚悟する必要はあります。虚無感をこじらせると、いたずらに自分の仕事を増やそうとしたり、虚無感そのものに悩んだりすることになります。

手放した先のことは考えない

さて、手放すことで生じるこの虚無感。覚悟すべきではありますが、事前に対策を打つべきではありません。

先程言ったように、困難を手放すことで自由に使えるエネルギーは増加しますし、そのエネルギーがある状態でしか気づけない、できないことは多くあります。

この自由な状態を味わう前に虚無感を埋めようと活動を突っ込みすぎると、せっかく得られる広い視野を使うことができません。

よって、家計がまずい、生活が成り立たないなどの場合などは除外して、手放す前に手放した先のことは考えない、というのも思考戦略のうちに含めるべきでしょう。

手放さないことで生じる罪

自分のタスクを手放すということは他の人がそれを引き継ぐことに繋がります。それに対して罪悪感を抱くなどで手放さない/手放せない状況が続くことはあります。

ですが手放さなかった結果あなたが使い物にならないほどに消耗した場合、タスクは終わらず、十分な引き継ぎもできず、あなたという人間が生み出す価値もなくなるということで、誰も得をしないことは言うまでもありません。

そのような場合は手放すラインを「見極める」ことすらかなり困難だと思います。その判断のリソースすらもタスクに費やしているからです。

手放さなくてはならないとなったときは早急に手放し、他の面、あるいは他の場所で価値を生み出すという決断は、逃避ではあっても悪ではないと思います。

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