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真面目で何が悪い!(ただし、それは本当に「真面目」だろうか)

こんにちは。今日は「真面目さ」について。


私が初めての人と話すと、その後たいてい「とても真面目な人ですね」と言われます。

この「真面目」という言葉は世間では強み・弱み両方で捉えられる特徴ですが、辞書で意味を調べると悪い意味を持たない単語だったりします。

嘘がなく本気・真心があり誠実。

なぜこのような意味しかないはずの「真面目」という表現が、現代社会でマイナスに捉えられることがあるのでしょうか。

今回は私の経験や思考をもとに、この話を深堀りしていきたいと思います。


私の経験上、真面目さには辞書に記載されている意味を上書きする形で色々なイメージがくっついていると思います。

具体的には、「責任感が強い」「融通が利かない」「楽しさに水を差す」「つまらない」「面白い・滑稽」などの言外のイメージが付いていたような。

この中にある「融通が利かない」は「糞真面目(≒真面目すぎる)」の意味に入っていますが、それならそれで、糞真面目で良くないとか、融通が利かないとか正しい表現を使ってほしいと思います。

しかし、真面目な人を傍から見ている人たちの多くはそのリスクを犯さないと思います。

そんなことを正面から指摘しては自分もまた場の空気を乱す・融通の効かない真面目な人間と言われてしまうかもしれません。

タイミングや場所を帰るなど、TPOを弁えて言ってくるはずです。


他方、真面目と呼ばれる・あるいはその結果真面目さを自称するようになった私はどう思っていたのかを、過去の記憶から引っ張り出してみると……

「なんで自分は真面目に正しいことをしているのに、正しく評価されないのだろう」

……まぁ、私の正しさが評価者の正しさと偶然一致している間は問題にはならなかったのでしょう。

しかしこれでは空気を読み・融通を利かせて対処する気がないと言われても仕方がない。

そもそもこの思考のままでは自分を評価する相手への真心や誠実さがない点で真面目ですらない。

ここまでの内容を元にすると、実際に融通が利かない私にそう指摘するリスクを回避するために「糞真面目」の意味で真面目が使われていた可能性がありそうです。

あるいは融通が利かないが故に自分への正しい表現の指摘を拒んだ結果指摘を諦め、真面目とぼかして表現するしかなくなったケースもありそうですね。(さっきの(後述)の話はここらへんに関係します)


ここで改めて「嘘がなく本気・誠実で真心ある」人間ならどう動き・考えるのかを考えてみましょう。

まず真に嘘をつかない・本気で取り組む人間なら自然と周囲からの信頼を得られるでしょう。

「真面目にやっているのに評価・信頼されない」は、成果に関するすり合わせを本気でやっていない側面を持ちますから、今回の定義付けからは除外します。

また、意見の不一致・空気の変化に関しても常に本気で最適解を考え、その上で場の空気に従うことが正しいのかどうかを明確に判断・行動に反映できるはずです。

真面目に考えているからこそ融通が利き・柔軟になれるとすら言えるかもしれません。


もし今回の話が正しいとすれば、融通が利かない・自分の正しさにこだわる思考停止状態と真面目は真逆と言っていいでしょう。

しかし、私の「融通が利かない」には、一つの考えに従い努力し続ける=努力家というポジティブな要素も含まれていました。

今となってはどうやって「考え」が変わったのかを思い出すことはできません。

が、あなたがもし「真面目にやっている「のに」」と思っているなら、ここまでの私の話は少し参考になるかもしれませんね。

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