中庸を目指して
今年の全豪オープンテニスは、ジョコビッチも錦織圭も出ないし、大坂なおみ選手も3回戦で敗退してしまった。
それでも、世界トップクラスのテニスを見るおもしろさを知ってしまった以上はと、夜な夜な家族がわたしの仕事部屋に集い、wowowが放送する現地生中継の試合を、iMacのモニターで観戦する日々を送った。
グランドスラム(米英仏豪の4大テニス大会)のなかでも、日本との時差が2時間しかない全豪オープンは、夜更かしや早起きをしないで観られるところがいい。
おまけに開催地であるオーストラリアのメルボルンは、楽しい家族旅行の思い出が詰まった大好きな街で、合間に街の風景が映し出されるたびに、またブルーのコートに白抜きで記された「MELBOURNE」の文字をみるたびに、胸がキュンキュンする。
いつかまた自由に旅行ができるようになったら、メルボルンで全豪オープンの試合を見ようね、というのが、わたしたち3人の夢なのだ。
こういう強さもあるのかという感動
連日の観戦のなかでもとくに盛り上がったのが、男子シングルスでロシアのメドベージェフが出る試合だった。ナダルと歴史的熱戦を繰り広げた決勝戦もすごかったが、それから2試合遡った準々決勝は、世界ランキング2位のメドべージェフと、9位のオジェ・アリアシムの対戦で、若手注目株のオジェ・アリアシムがメドベージェフを破るかという勢いを見せながらも、後半は「両者一歩も譲らず」をそのまま体現したような拮抗ぶりで、手に汗握る4時間半だった。
わたしのテニス観戦歴はまだ日が浅く、きっかけも錦織圭だったものだから、
海外の選手にはまだ疎くて、すぐ顔とプレーが一致するのは、グルテンフリーのきっかけを与えてくれた世界王者ジョコビッチ、ナダル、フェデラーといったスター選手くらいである。
だから、この試合でメドベージェフが現在世界ランク2位と知って、最初はものすごくびっくりした。……いや、だって、失礼とは思いつつ、見た目がそんなに強そうに見えないんだもの。ルックス的に華があるタイプでもなく(大学の研究室で白衣を着て顕微鏡をのぞいてそうな理系っぽい雰囲気)、プレーも、パッと見はすごく印象に残る感じもない。なんでこの人が世界2位なんだ?と頭のなかはハテナだらけで試合を見守っていたのだが、最後の最後、メドベージェフが勝利して準決勝進出を決めるころには、ハテナはすべて消えていた。それどころか、「こういう強さもあるのだ」という深い深い感動に包まれていた。
結局「負けない人が勝つ」
わたしがメドベージェフのプレーを見て感動したのは、「どんな局面においても中庸をとれる強さ」を見たからだ。
それは「けっしてブレない強い軸」「何がぶつかってきても崩れない恐ろしいほどのバランス感覚」ともいえる。
たとえば、テニスの試合では、自分にサーブ権があるゲームを落とさないことが勝つための必須条件となる。
ところが、なんらかの理由で調子が出ず、ファーストサーブが入りにくい、という事態が起きてしまう。
ファーストサーブがフォルトになると、次のサーブはとりあえず「入れる」をクリアするための守りの打球になることが普通なのに、メドベージェフは、まるでファーストサーブのような勢いでもってセカンドサーブを打つ。それでエースをとってしまうのである。
つまり、ファーストサーブの失敗をまったく引きずらず、その事実などそもそもないことにして次のサーブを打つ、驚異的な切り替え力を備えていることが、そのセカンドサーブにはあらわれている。
サーブにかぎらず、ギリギリまで追い込まれて相手がセットポイントをとっても、メドベージェフはそこから追いつき、逆点して、いつのまにかセットをとっている。自分のミスで失点しても、その後すぐに対応してミスを帳消しにしてしまうのだ。
「どういうメンタルをしてるんでしょうか」と、およそ信じがたいという様子で解説者がもらしたときは、わたしもまったく同感だった。
そのメンタルの強さとは、「中庸」の強さじゃないか。
調子がいいと悪い、加速と失速、攻撃と防御といった両極のどちらにも引っ張られない、つねに中間にいる姿勢をキープできる力。
だから、惚れ惚れするような華麗なプレーをしているわけではないのに、勝つのだ。というか、負けないから勝てるのだ。
人は負けなければ、いつのまにか強い人になっているという真理を、わたしは準々決勝のメドベージェフの戦い方を通して知った。
陰陽のバランスがとれた状態
一見派手さはないのに強い、メドベージェフのプレーにこれほど感銘を受けるのは、今わたしが心身ともに目指しているのも、そんな「中庸」の状態だからかもしれない。
幸運なことが起きても舞い上がったり調子に乗ったりせず、不運に見舞われても落ち込みすぎず引きずらない。
つねにどちらにも引っ張られないで、心身とも毎朝生まれたてみたいな状態で、1日をはじめられるようになりたい。
それが今わたしが目指しているところだ。
そのイメージの背景には、今年から就寝前の習慣としてはじめた「陰ヨガ」がある(この陰ヨガの気持ちよさについては、voicyでも語った)。
朝は、筋力体力をつける運動目的でヨガをやり、スイッチの入った体で仕事のパフォーマンスを上げ、夜は深く良質な睡眠を迎え入れるためのヨガをやる。それをくり返す中で、陰と陽のバランスがとれた状態とはなるほどこういうことかもしれないという感覚を、徐々にではあるがつかみつつある。
先日も、「あ、わたし変わったかも」と感じた、こんなことがあった。
読者の方から、ちょっとチクリとした指摘のメールが届き、それを読んで気持ちが一瞬グラグラグラッと揺れたのだ。夫にそのメールを見せると、基本的にネガティブなことは言わない彼も「うーん、これはちょっとショックだね」と複雑な表情で言った。そういう内容だった。
読者の方から日々届くメールやコメントは、基本的に読んでうれしくなったり、心がじんわりあたたかくなったりするものがほとんどのため、時折そうでないものが届くとショックが大きく、テンションが一気に下がってしまう。読者とのやりとりを大切にしているだけに、非常に打たれ弱い部分が、わたしにはある。
でも今回は、「まぁ、こういうこともあるよね」と受け流せたのだった。
もちろん負の状態に引っ張られないよう、言葉や頭でなんとか踏みこたえた部分もあるのだけど、それに成功していることに、翌日気づいた。
朝ヨガのあと、静かに凪いだ内側を見つめながら「あのグラグラはもうわたしの体を過ぎ去っている」という実感があった。
その瞬間は「やった」と小さくガッツポーズをしたい気分だった。
このコツは、今後訓練によって習得していける気がする。
ちゃんと食べて、よく動いて、しゃべって笑って、深く眠る。
その日々を積み重ねながら、いつかメドベージェフみたいに「状況に負けない人」の境地にいきたい。
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