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【イスラエル】搭乗拒否にテロ勃発、ひび割れた平和にさえ私は焦がれる【女子一人旅】

2023年2月。友達から「自分もイスラエルに行くから合流しよう」と連絡があったとき、実は少しほっとした。私パレスチナにも行ってみたいんよ、情勢を見ながら検討しよ、と伝える。


『歩み寄るイスラエルとパレスチナ』

停滞した私の日々を動かしてくれたあのドキュメンタリー映画の現場を、どうしても訪れたかった。





卒論は(大まかにいうと)パレスチナ問題について書いた。


Herbert Samuel, Allenby, Herzl, Weizmann, Balfour...

ひたすら関連資料をあさって、論文や自伝を読んだ。


Jerusalem, Tel Aviv, Jaffa, Haifa, Acre, Tiberias...

日本語でどう表記すべきか模索しながら、手探りで地名を翻訳した。その土地の当時の財政状況や自治区分について、文句を言いながらも資料を比較検討した。



あの日々は全て、この瞬間のためにあったんだと思う。

テルアビブの街を歩いていると、何もかもが輝いて見えた。私の翻訳した地名が、人物の名を冠したストリートが、Googleマップを通して頻繁に現れた。

シオニズムの父・ヘルツルに由来するSt. Herzl



3月のテルアビブはベストシーズンと言われるだけあって、本当に過ごしやすい。

東地中海に面した地中海性気候で、ほぼ毎日が快晴。あたたかくて、風も心地よくて、街は瑞々しい花で溢れている。この街にとてもお花屋さんが多いのは、インターネット越しにはきっと知る機会のなかったこと。

ホステルの近くのお花屋さん。至る所にあるよ



そして、このビーチに着いてすぐ、テルアビブの地に心を奪われた。

私のお気に入りのCharles Clore Beach


壮大な東地中海、抜けるような青空。ヨガにランニングに犬の散歩と自由きままに過ごす人々。


この景色を見た瞬間、私は感謝した。

教科書越しに、画面越しにイスラエルという国に惹かれた私の感性に。ただ自分の理想を確かめるためだけに、極東の島国から女性1人でここまでやって来た私の度胸に。多少の金銭的な無理をすれば、別世界へスリップすることのできる私の環境に。インドで直視した現実は、今でもふいに私の脳裏をよぎる。



毎日が目新しい出会いとの連続で、心躍るような光景を何度も塗り替えて、だから心の奥底では、この美しい平穏は誰かの犠牲の上に成り立ってるって言い聞かせながらも見えざる手で自分の目と耳を塞いでいたのかもしれない。






テルアビブでテロが起きたとき、私は眠っていた。

たまたま深夜に目が覚めて、現地で出会った男の子からの連絡を開く。テロという単語が、生きてきて初めて私の感覚を痺れさせた。すぐにネットで調べた。産経新聞が速報を出していた。恋人に、イスラエルへやって来る友人に連絡した。アメリカでもCNNが速報を出したと聞いた。家族には、不安にさせるんじゃないかと思って結局何も送れなかった。



真っ暗な部屋の中、スマホの光に吸い寄せられる私の鼓動を落ち着かせようとして、はたと気付く。


外の様子が、おかしい。



この"おかしい"というのは、テロや銃撃戦に馴染みのない、平和な国からやってきた私独自の感覚に過ぎないことを翌朝思い知らされる。



外は、あまりにも普段通りだった。


現地のニュース速報によると(産経新聞には位置情報が掲載されていなかった)、路上からの銃撃を受けたカフェは、私の滞在先から徒歩40分のストリートにある。Googleマップで確認すると、まさに私の滞在中の生活圏内。テルアビブのビーチに惚れ込んで、毎朝何時間も海岸沿いを歩く私にとって、衝撃をもたらすには十分な近さだった。



たった2.3時間前にこんなに近くでテロが起きて、犯人は射殺されているのに、外はいつもと変わらない騒がしさ。

プリム(ユダヤ教徒のお祭り)に便乗して花火やら爆竹を鳴らす人々、地鳴りする音楽、上空を通過する飛行機の騒音。何も変わらない。何も恐れていない。外から来た私だけが、何もわからずに怯えている。





結局あまり眠れないまま朝を迎えて、大使館に向かうためにホステルを出て、驚いた。



晴れ渡る空。キックボードを乗りこなす人。ランニングする人、犬の散歩をする人。オープンテラスのカフェで会話に花を咲かせる人。

この街で人が銃殺されたなんて一切悟らせない、賑やかな空気。私はいったい何を見ているんだろう。


数時間後、イスラエルに上陸する友人に連絡をする。「平穏がむしろ怖い」「こっちはいつもと何にも変わらない」「とにかく気をつけて来てね」やっぱり思考は言語化してこそ整理されるもので、なんとなく状況が掴めてきた。





テロは、きっとこの国では珍しいことじゃない。

イスラエルとパレスチナはもうずっと争い続けていて、特に今年に入ってからは、国内で銃撃戦が繰り広げられたニュースはいくらでも遡れる。イスラエルの占領下にあるガザ地区やヨルダン川西岸地区は、常に武装したイスラエル兵が警備していて、日本の外務省が渡航禁止勧告を出しているくらい。

そして、兵力の差もきっと圧倒的だ。ニュースを読むと、空爆を仕掛けるのはイスラエル側、負傷するのはパレスチナ人(勿論その逆もある)。イスラエル軍の誇る防衛システム「アイアンドーム」は、パレスチナからのミサイルを弾く。いざ現地に到着して街を歩けば、剥き出しの銃を下げたイスラエル兵の姿を頻繁に見かける。


そんなイスラエルでは目下、デモが頻繁に行われている。
ネタニヤフ政権の司法制度改革案が、三権分立を崩すものだとして「建国史上最も右寄り」の状態が続いているみたい。

六芒星旗を掲げて移動する人たち



パレスチナのみならず多くのアラブ諸国と対立するイスラエルは、出入国もすごく厳しい。

1日遅れでイスラエルにて合流した友人は、エジプトからイスラエルに来る途中、経由先のシャルム・エル・シェイク(エジプトのリゾート地)で搭乗拒否された。どうやらシャルム⇔イスラエル間は行き来できないらしい。調べてみると、シャルムは昔イスラエルの占領下にあったことがわかった。



テロに搭乗拒否、国旗を掲げたデモと、24年間一度も日本で遭遇しなかった事態に、イスラエルに来てたった1週間で直面し続けている。恐怖を感じるには十分な衝撃を受けても今尚、この国にどうしようもなく惹かれていく私に気付く。一日一日。



まだ帰りたくない。もっとこの国にいたい。アッコ、マサダ、ベツレヘム、まだこの目で確かめたい場所はたくさんある。テルアビブで私の入社先のオフィスを見つけた。私はまだ観光客としてのイスラエルしか見ていない、いつかこの国で働きたいと思った。私の知らないイスラエル/パレスチナを、もっともっと見たい。知りたい。




百聞は一見にしかず、とはその通りで、どれだけ日本で関連資料を読んでも最新のニュースを追っても、この一人旅に勝る学びはなかった。早くまたこの国で過ごしたい、今度こそパレスチナも訪れたい。皮肉にも、身の安全はお金で買えることをインドで知った。



私の想像する「平和」と、イスラエルの人々の想像する「平和」は違う。

日本で風の噂で聞いた「テロ」と、イスラエルで経験した「テロ」は違う。




私の「普通」を壊して再構築させてくれたこの国に、幾度も私の予想を遥かに超えてくるこの国に、私は恋焦がれているらしい。

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