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シゲキガホシカッタ

 何かがぶつかってきた衝撃があった。それから、熱を感じた。
 すぅっと体から力が抜けていって、倒れるって思った。
 ヨミの黒い唇がニィっと歪んだのが見えた。
 ああ、終わっちゃうんだ。
 そう思ったら、ヨミが見えなくなった。
 そして、あたしは誰かに受け止められた。

 突然に目の前に現れた黒づくめの女が
「刺激に満ちた世界へ、お連れしましょう」
 って言うから、あたしはその手を取った。
 とたんに、見える景色がぐにゃっと歪んだ。歪みが消えたら、あたしは黒づくめの女と手入れされた庭園に立っていた。
「私のことはヨミと呼んで。あなたのことはなんて呼べばいい?」
 ヨミの声は甘く、その目は優しかった。あたしにはそう感じられた。
「リュリュ。よろしくね、ヨミ」
 あたしが名乗ると、ヨミは右の口角をきゅっとあげた。それがヨミの笑い方だってことは後で理解した。
「ここは、どこ?」
「どこかの世界の、カジノのある街。の中にある、ホテルの中庭」
「カジノ」
 刺激がありそうな響き。何が起こるだろう。
「ここのホテルに部屋を抑えてから、見た目を装いましょうか」
 ヨミはそう言うと、あたしの手を引いて歩き出した。ヨミの手が触れた瞬間は、また景色が歪むのかと構えたけれど。
 フロントでヨミが手続きをしている間、あたしはロビーのソファに体を沈めていた。明るくきらびやかな場所に、黒づくめのヨミは異物のようだと思った。
「お待たせ。部屋はとれたから、服を買いにいきましょう」
「……あたし、金持ってないよ」
 あたしは手ぶらだった。バッグはどこかで落としたみたい。
 すると、ヨミは右の口角をきゅっとあげて、甘い声でこう言った。
「私が払うのよ。リュリュはお金の心配はしなくていいの。私があなたのお財布よ、底なしの、ね」
 はいそうですかと喜べるほどウブではないあたしは、警戒と不安が頭をよぎったけれど。
「ありがとう」
 楽しめるなら、それでいい。
 警戒と不安を開き直りで忘れさせ、あたしはお礼を言った。自分なりにとっておきの笑顔で。
「どういたしまして」
 あたしはこの時、ヨミを怒らせてはいけないと直感していた。

 ヨミの財布は本当に底なし。
 ドレスショップで、あたしが気になって試着したドレスを全て買い、それにあうようなアクセサリーと靴とバッグを店員に勧められるままに買った。
 エステサロンで肌を整えられ、ヘアサロンでは髪をセットされ化粧も施された。
 深い赤色のドレスに着替えて鏡の前に立つと、より美しくなったあたしが映っていた。
「これが、あたし……!」
 なりたかった自分に、あたしはなっていた。艶々の肌に、上等の服。すべて、ヨミがあたしにくれた。
「さあ、刺激を受けに行きましょう」
 ヨミは新しい黒いドレスに着替えていた。唇もやっぱり黒色のまま。黒はヨミをより美しくみせる色なのだと、あたしは感じた。
 赤いあたしと黒いヨミは、連れ立ってカジノに踏み入った。
 ドラマや映画で見たことのある景色がそこにあった。作り物では感じられなかった熱と匂いを伴って。
 ルールをなんとなく知っているルーレットを、まず楽しむことにする。
 何も考えずに置いていくコインは増えたり減ったりしたけれど、なくなることはなかった。なくなりそうだと思ったら、ヨミがコインを足すのだ。
 お腹がすいてようやく、あたしはルーレットを離れた。
「どう、楽しい?」
 初めてのコース料理を食べ、最後のコーヒーを飲んでいるとき、ヨミがあたしに尋ねた。
 あたしは少し間を置いてから答えた。
「そうね、勝ってコインが増えるのは楽しい。でも、なくならないのはつまらないから、今あるコインがなくなったら終わりにするわ」
「なくならないのはつまらない?」
「なくなるかも、ってハラハラするの、楽しそうじゃない?」
「なるほどね。わかった」
 正直に答えることでヨミが怒るのではないかとハラハラしたけれど、ヨミは怒ることなく、右の口角をきゅっとあげた。

 コインが尽きると寝て、起きたらヨミにコインをもらってゲームをする。ある意味単調な日々は十日ほどしか続かなかった。
「新しい刺激が欲しくない?」
 ヨミがそう訊いたから、あたしは欲しいと答えて、ヨミの手を握った。

「人と出会うことで得る刺激は尽きないと思うの」
 身体にピタッとしたミニ丈のワンピースを着たあたしに、ヨミが言った。
 数時間前に着いたばかりの世界の、ホテルの部屋で。
「あたしにとってのヨミ?」
「それもあるけれど、しばらく単独行動したらどう? 困ったら助けてあげるけど、私といつも一緒じゃ保護者が見張っているみたいでイヤでしょう?」
「イヤなわけないけど……」
 困ったら助けてくれるって、どうやったら呼べるんだ、とあたしは思った。
 ヨミが腕時計をあたしの腕に装着した。それは単なる腕時計ではなく、横のボタンを押せばヨミの端末に通知が届く仕組みなのだそうだ。親が子に持たせるヤツだろう。
「心の中で呼んだら来てくれる、ってわけじゃないのね」
 腕時計みたいのを見ながら、あたしは思わず声をもらしていた。
「ふふふ。そこまで便利じゃないわ、私」
 ヨミの笑い声らしきものを聴いたのは初めてで、あたしは緊張した。
「リュリュの居場所はわかっても、リュリュが困ってるかどうかはわからないの」
 そう言うヨミの声は甘くて、あたしはほっとした。
「わかった。じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃい」
 右の口角をきゅっとあげたヨミに送り出されたあたしは、刺激を求めて夜の街を歩いた。

 入ってみようと最初に思った店は、階段を降りた先から重低音が漏れてくる店だった。
 重たいドアを開けて入ると、薄暗い中にパラパラと人がいて、真ん中でウネウネと体をくねらせていたり、壁際で身を寄せ合っていた。
 あたしは、カウンターの中の店員からオススメでもらった酒を飲んでから、真ん中に立って適当にウネウネと体をくねらせた。
 すると、男が寄ってきて、体をウネウネとくねらせ、あたしの体に密着させてきた。
 けど、違うなって思ったから、あたしは奥側の空いたスペースに移動した。
 そしたら、別の男が近づいてきて、さっきの男よりも積極的に体を寄せてきた。手では触らないけど、敏感な部分どうしをこすりあわせるようにウネウネとくねらせる。
 いいなって思ったから、あたしも積極的に体を触れあわせた。
 その夜はその男と寝た。

 日替わりで入る店を変えて、その度に誰かと出会った。そうして出会った彼ら彼女らは、体を重ねる以外の刺激もくれた。
 違反の速度で走る車の助手席。夜の遊園地で繰り返し乗ったジェットコースター。飲むと気持ちよくなるらしい錠剤。タワー展望台の透明な床で踏んだステップ。
 けれど、再び会いたいと思える人には出会わなかった。
 あたしが会いたいと思うのは、ヨミだけ。
 ヨミはあたしの話を聴いて、あたしに甘い声を聴かせてくれた。そして、金を渡して送り出すのだ。
「どうやって金を手に入れてるの?」
 一度、尋ねた。
「どの世界に行っても衣食住に困らないように、与えられた能力なの。便利でしょ」
 そう言ったヨミの右の口角はあがらなかった。だから、あたしはその話題はもうしないと決めた。

 半月くらい経ったある朝。あたしがホテルに帰りついたら、ヨミが早足で近寄ってきた。
「どうしたの?」
「見つけられたから、他へ行くの」
 いつもより早口のヨミに、あたしは驚いた。それから、置いていかれるのかと不安になった。
 でも、ヨミはあたしを見つめて、右の口角をあげた。
「さ、行きましょう」
 うんと答えたかどうか。ヨミの手をあたしはしっかりと握った。

 移動した先で、あたしはヨミと共に行動することを希望した。
 ヨミに置いていかれるのはイヤだから。
 そんなあたしの希望を、ヨミはすんなりと受け入れてくれたようだった。
 ヨミが出向くパーティーに、あたしはついて行った、毎日。
 そう、招かれるのだ、ヨミが。
 以前にも来たことがある世界なのだと言ったヨミは、右の口角をきゅっとあげた。
 レストランで。豪邸で。大型クルーザーで。高層ホテルの最上階の部屋で。着飾った人々が集い、美味しいものを食べ飲み、会話を楽しむ。
 そしてヨミの連れであるあたしに向かって、参加者たちは口々にこう言う。
「今の自分があるのはヨミのおかげだ」
 ヨミのおかげで金持ちになったのだと。
 それを笑顔で聴きながら、あたしは、金持ちになるよりヨミとあちこちに行くほうが刺激的で楽しいと思った。
 ある夜の、ヨミと二人きりの部屋で、あたしはそのことをヨミに伝えた。
「ふふふ、リュリュの刺激欲は底なしね」
 そう言ったヨミの右の口角は上がっていなかった。

 だから、あたしは、捨てられたのだろう。

 そいつは、突然現れた。
 今日は海辺でのバーベキューということなので、それに似合う服に着替えて寝室を出たとき、だった。
 ヨミがふいに立ち止まったから、あたしはその横を抜けてリビングルームへ入った。
 こんな所に誰がマネキンを置いていったのか。それは、秒にも満たない時間に浮かんだ疑問。
「逃がしません」
 マネキンが口を開いてしゃべった。これは、ヒトなんだ。
「捕まらない、絶対」
 そう言ったヨミの声に、なぜか背筋がゾッとして、あたしはゆっくりとヨミを振り向いた。
 ヨミと目があったと思ったら、お腹に衝撃があった。
 ドン、って。
「な……!」
 それは、マネキンの声だったと思う。
 ヨミの黒く塗られた唇の、右の口角がきゅっとあがったのが見えた。
 体から力が抜けていって、ヨミが見えなくなって、天井が見えて遠ざかってって、誰かの体温を背中に感じて、あたしの意識は途絶えた。

 冷たさを背中に感じて、あたしはうっすらと目を開けた。
「あなたの怪我を治すことはできません」
 そう言ったマネキンの顔を見て、なんだ人間じゃん、って思った。
 思いながら、まぶたが重たくて、目を閉じた。

 うるさく名前を呼ばれている気がして、あたしは目を開けた。
「リュリュ! 死なないで!」
 目の前にある顔、は。
 たしか、職場の同僚で、出身地が近くて、同じ小学校に通ってたの気づかなかったって、話をしたことある、人、だ。
 名前、なんだっけ?
「どこ行ってたの? 心配してたんだよ! もうすぐ病院だからね、助かるからね!」
 なんで泣いてるの?
 なんであたしの心配するの?
 疑問は浮かぶけれど、しゃべるのも億劫で、あたしは目を閉じる。
「大丈夫、助かるから、大丈夫だから、ね、リュリュ!」
 もう、どうでもいいよ……。


※この話は「シゲキガホシイ」の続編です。

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