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くたびれたスーツにスポットライト

「せっかくの本社出張なのに日帰りですか。ゆっくり話ができると思ったのに」
 そう言ってくれるのは、俺をこの会社に誘ってくれたトキノだ。
「一刻も早く帰って娘の顔を見たいんだよ」
 それは理由の半分で、もう半分は、家事育児をシズカに任せきりにしたくないからだ。
 長く支えてくれたシズカを、これからは俺が支えたいと思っている。
「あんなに尖ってたツバサさんも、今ではまんまるなイクメン。あんなにモテてた俺は寂しい独り暮らし。はあ〜、俺も早く結婚したいなあ」
 トキノのわざとらしい大きなため息を、俺は笑ってやる。
「一生独身で遊びまくるって言ってたのは誰だよ」
「若気の至りってやつっすよ」
 言ったトキノも笑ったところで、エレベーターが到着した。
 それを機に俺たちは立ち話を終わりにする。
「また連絡するし、連絡くれよ」
「はい、サクラちゃんに会いたいですからね。もちろん、シズカさんにも。よろしくお伝えください」
「了解」
 トキノに見送られ、俺は無人のエレベーターに乗り込んだ。
 ドアが閉まると、俺はそっと息を吐いた。ため息と呼ぶには弱すぎる息を。

 本社ビルから駅まで歩きながら、久しぶりの都会に圧倒される自分を感じている。
 この都会でがむしゃらに夢を追い求めていたことが遠い昔のように感じられながらも、今まだ自分の内に燻っているものを感じ、いややはり遠い昔だと、巡る思考。
 立ち止まり、ショウウィンドウに映る自分を眺める。
 見慣れたスーツ姿の自分。昔は堅苦しそうに見えて着る気がしなかったスーツにも、それなりに馴染んだ自分。
「ねえ、あれ、ツバサじゃない?」
 不意に自分の名前が耳に飛び込んだ。
「まさか。スーツ着てるよ、よく似た別人じゃないの」
「ツバサだってスーツ着るでしょ」
「でも、自分のポスターの前に立つ?」
「どっかにカメラがあって撮影してるのかも」
「え、あたしたちも映っちゃう?」
 ポスターという単語に反応した脳みそが、ショウウィンドウの中の物体へ焦点をあわせた。
『ツバサ 待望のニューアルバム発売』
 大きな文字の下に、俺がいた。
 どこか遠くを見ているような大きな横顔は、俺、に見える。
「あれ、ツバサじゃね?」
「ツバサだ」
「うわっ、ツバサじゃん!」
 あちらこちらから、俺の名前が聞こえてくる。
 俺はショウウィンドウの中の俺らしき人を見たまま動くことができない。
 頭の中が真っ白になった。
「こっち!」
 誰かが俺の腕を掴んで強く引いた。よろけてこけそうになったのをどうにか耐えて、引かれるままに足を動かす。
 俺を引いていくのはスーツ姿の大柄な男。歩道を横切り、車道に停まっている外車にまっしぐらに近づくと、外車の後部座席のドアを開け、俺を押し込む。
 押し込まれた俺はおとなしく座り、後から乗ってきた男の顔をようやく見た。
 角ばった輪郭、太い眉、厚い唇、サングラスの奥の目は見えない。この人は初めて会う人だと俺は結論する。
「出して」
 男が言うと、外車は静かに走りだし車列に混ざった。
 スモークが貼られた窓越しに、俺は、俺らしき人のポスターを振り返った。
 複数の歩行者たちが立ち止まり、スマホをこちらに向けているのが見えて、俺はあわてて前に向き直った。
「探したんだぞ。どこ行ってたんだ? それにその格好はなんだ?」
「本社で研修を受けてきました」
 事実を答える。
「は?」
 サングラスをはずした男の目は、大きくてまつ毛が長かった。顔のパーツの中で目だけが雰囲気を異にしている。
「本社で研修を受けてきました」
 事実を繰り返し答える。
「何言ってんの。え、別人?」
 言いながら男はスマホを取り出し、俺の手をつかみスマホに押し当てた。
指紋認証されたらしく、スマホのロックが解除された。
「間違いなくツバサだ」
 近くから大きな目で顔をじっと見られて、俺は思わずのけぞった。
 男は別のスマホを取り出し、どこかへ電話をかけた。
「カヤバです。今から伺いたいので、よろしくお願いします」
 カヤバと名乗った男はそれだけ言ってすぐにきり、運転士に行き先を告げた。
「タグチ先生のところへ」
 そっち系の人(たち)かもしれない。
 唐突に沸いた疑いが、恐怖を連れてきた。
 これから我が身に何が起こるのか、妄想がどんどんふくらんでいく。身体が恐怖と緊張で固まって、呼吸も浅くなってきた。
「名前、俺はカヤバリューイチ。あんたは?」
 男は前を向いていた。
「……ササキツバサ、です」
「俺のことはおぼ……知らなさそうだな」
「はい、わからないです」
 嘘をついても仕方ない。が、堂々と答えることはできず、俺の声は小さかった。
「これが、俺の名刺だ」
 差し出された名刺を受け取る前に、自分の名刺をあわてて取り出して交換をする。
 有名なレコード会社の名前と、代表取締役社長という肩書きを見て、思わずカヤバを見た。
 カヤバは俺が渡した名刺を裏返したりしながら検分している。
「社長、着きました」
 車はどこかのビルの地下駐車場に停まった。
「ついてきてくれ」
 それは俺に向かって言われた言葉で、俺はカヤバについて行かざるをえない。
 何をされるかはわからないままだが、れっきとした会社の社長ならば暴力的だったり違法な行為はされることはないだろう。
 楽観すぎる気もするが、そう思うことにする。
 カヤバと俺はエレベーターに乗り、最上階らしき十八階へ。
 エレベーターを降りるとすぐにクリニックの玄関だ。自動ドアが開いて中に入る。
 広い待合室は高級感満載で、けれど他の患者はいない。受付係は名を聞かず、診察室へ行くよう丁寧に促す。
 カヤバは慣れた様子で診察室の扉をノックし、名乗ってから扉を開けた。
「急に申し訳ない、先生」
 タグチ先生らしき人物は医者らしく白衣をまとい、こちらを向いた。カヤバと同年代くらいの、なかなかにハンサムな男性だ。
「大丈夫です。どうされました?」
 タグチは俺と目が合うとかすかに首を傾げた。
 彼と向き合う椅子に座るようカヤバに態度で促され、俺はそっと腰をかけた。
「ツバサを見つけたのですが、彼と話が合わないんです。私のことを知らないと言い、こんな名刺も持っている」
「名刺、ですか」
 俺がカヤバに渡した名刺を受け取り、タグチはその名刺をじっと見てから、俺に目を向けてきた。
「ササキツバサさん、ですね」
「はい」
「痛むところはありますか?」
「いいえ。怪我してませんし、頭打ったこともありません。俺は記憶喪失ではありません」
 記憶喪失を疑われているのだと判断した俺は、きっぱりとそう言った。
 開き直ったとも言える。
「じゃあ、スマホの指紋認証はどう説明すればいいんだ」
「知りませんよ、わかりませんよ、俺も混乱してるんですよ!」
 つい、声が大きくなってしまった。
「ツバサの声ですね。私、ツバサの声が大好きなんです」
 間の抜けた発言に、スッと昂りかけたものが鎮まった。
 タグチはニコニコしながら俺を見ている。
「ツバサ、は、歌ってるんですか」
 自分の名前のはずなのに、他人の名を呼んでいる気分だ。
「ええ。デビューしてから時間はかかりましたが、今は作品をリリースすれば必ずチャート上位をとって、アリーナクラスの会場は満員になる。そんな人気者なんですよ、ツバサは」
「……それは、俺じゃないです」
 俺は売れたと言えるほど売れなかったし、今は歌っていない。
 不意に、ガチャっと派手な音を立ててドアが開いた。
 ドアを開けて入ってきたのは、ひょろりと背の高い高校生くらいの男子、だ。
 廊下にも誰かいるみたいで、話し声が聞こえる。
「見つけた!」
 男子が見つけたのは、俺、らしい。
 目があったまま、ずんずんと近づいてくる。
「なんだね、君たちは」
 男子の勢いに圧倒されていた大人たちの中、カヤバが男子に問いただした。
「この人を連れて戻るために来た。この人は、ここではない世界から、この世界へ迷いこんでしまったんだ。だから、この人、あなたたちの知ってる人じゃないよ」
 俺は思わず立ち上がった。と、男子も立ち止まり、俺に手が届きそうで届かなさそうなところから、じっと見てくる。
 彼の目を眩しく感じ、俺は目を細めた。
「ここは、俺がいていい所ではないんだな」
 俺が言うと、男子はこくりと頷いた。
「そうだよ。たまたま、違う世界に来ちゃったんだ」
「なるほど」
「なるほど」
 俺とタグチとが同時に言った。
 非科学的な話を聞いた医師の反応とは思えず、つい振り向いて顔を見た。彼は片目をつぶってみせた。ハンサムのウインクは嫌味ではないが、何を伝えようとしたのかはわからない。
「それじゃあツバサは、俺の知っているツバサはどこにいるんだ!?」
「ええと、地図、ある? スマホの地図アプリでもいいんだけど」
 大きな体で大きな声で迫られても飄々としている男子に気勢がそがれたのか、カヤバはむすっとした表情のまま、地図アプリを起動させたスマホを男子に渡した。
 男子はそれをスイスイと親指で操作し、ひとつ頷いて、カヤバに画面を見せた。
「こっちの世界のこの人は、ここを探したら見つかるはず」
 どこの地図かは、俺にはわからなかったが、カヤバには心当たりがあるのか表情がこわばった。そして、男子からスマホを奪うように引き取った。
「さ、帰りますよー」
「え、あ、ああ」
 間抜けな返事をした俺を、男子は腕を掴んで引っ張り、廊下に向かって歩いていく。
 ドアから出る直前に、俺はむりやり立ち止まり、振り向いた。
「この世界のツバサが早く見つかるといいですね」
 そう投げかけた言葉は、カヤバの睨みをもらい、タグチの微笑をもらった。
 ぺこりと頭を下げてから、俺は男子について外へ出た。
 廊下には看護師らしき人物と、長い黒髪が印象的な女性が話している。というか、もめているのかもしれない。
「連れてきたよ。行こう」
 男子が声をかけると、二人は話をやめた。
「とにかく、この人のことはお忘れください。中の方々にもそうお伝えください」
 黒髪の女性がそう言い、看護師は仕方なさそうに何か言いながら頷いた。
「行ける?」
「もちろん」
 男子の問いに答えた黒髪の女性が、ちらりと俺を見て、微笑みを浮かべた。
 大学生だろうか。意志の強そうな顔つきだと、彼女を見て俺は思った。
 男子に引かれてクリニックを出、腕を掴まれたままエレベーターに乗った。
「この世界のツバサはどこにいるんだ?」
 カヤバはツバサを探していた。男子はツバサの居場所を知っているらしい。
「山の中」
 ぼそり、と、男子が答えた。
「別荘でもあるのか?」
 売れているなら別荘をもっていてもおかしくない。
「それはわからない。俺がわかるのは、そこにあるってだけ」
 引っかかる言い方だ。
「そこにある、とは? いる、ではなく?」
 俺の疑問に答えたのは、黒髪の女性だった。
「一つの世界に、同じ存在が二つ以上存在することは不可能。つまり、この世界のあなたは生きていない」
 その言葉を理解する間、俺は目を閉じていた。
 死体だから、いる、ではなく、ある、と言った。会える、ではなく、見つかる、と言った。
 閉じた瞼にぎゅっと力を入れた。それから、ゆっくりと力を抜いて目を開けた。
「え?」
 思わず声が出た。
 エレベーターの中ではなく、マンションの前に、俺は立っている。
「ここが、あなたが生まれた世界。帰ってきましたよ」
 間違いなく、我が家のあるマンション、なのだろう。
「たまに、ひょんなことから世界を境界を越えてしまう人がいます。それを見つけて連れ戻すのが、私たちの役目です」
 ぽかんと口を開けてマンションの名前を見つめていた俺に、黒髪の女性が言った。
 俺は思いついたままに、黒髪の女性に問いかけた。
「じゃあ、俺は本社のエレベーターで?」
「さあ、どうでしょう? あなたが越境した瞬間を私たちは知りませんから」
 そういうものか。
「また、別の世界に行ってしまうことも?」
「可能性は皆無ではない、とだけ、お答えしておきます」
「……歌を歌い続けていれば、俺は人気者になっていたってこと、か?」
 あちらのツバサのように。
 男子はひょいと肩をすくめ、黒髪の女性はほんの短い間だけ首を傾げた。
「そうかもしれませんが、私たちはすべてを知っているわけではありません」
 黒髪を揺らして、彼女は首を横に振った。
 正面から見る、黒髪の女性の目は深く強く感じられる。
「それに、さっきとはまた別の世界には『売れることを目指し続けているけど収入のないあなた』がいるかもしれません」
 なるほど。可能性の数だけ、世界があるのかもしれないな。
「大事なのは、あなたが幸せを感じているか、今の自分を大切にしているか、だと思います。あなたが今幸せだと感じられず、自分を大切にもできていないのなら、納得するまでやりきればいいんじゃないですか」
「今の自分、か」
 マンションの玄関扉にうっすらと映る自分と目があった。
 スーツがくたびれて見えるのは、身体になじんだ証かもしれない。
「見つけてくれて、ありがとうございました」
 彼らに向き直り、深くお辞儀をする。
 見える地面に、スニーカーが入ってきた。顔を上げると、男子がニヤリと笑う。
「がんばろうぜ、あんたも」
「君もがんばっているのか」
 バカな質問だと思ったが、彼は笑顔で胸を張ってみせた。
「当然。ミユに嫌われたくないし、あんたみたいな迷子を見つけてあげないと」
「ヒイロのがんばりは、ちゃんと知ってるよ」
 そう言う黒髪の女性は柔らかい笑顔で、聴いた男子は小さくガッツポーズを作った。
「連れ戻してくれて、ありがとう。俺もがんばるよ」
「じゃあな」
「さようなら」
 俺はマンションに入り、オートロックを解除して開いたドアをくぐった。
 閉まっていくドア越しに外を振り返ったが、そこに彼らの姿はなかった。

 玄関を開けて家の中に入ると、ソファで寝ているシズカを見つけた。
 娘のサクラはベビーベッドで眠っていたが、俺が顔をのぞきこむとパチリと目を開けた。
「ただいま」
 泣くかな、おなかすいたとかなんとかで。そう思いながら、声をかけた。
 すると、サクラはにっこりと笑顔になった。
「ただいま、サクラ」
 しばらくにっこりしてくれていたが、サクラは不意にむずむずと体を動かし、元気に泣き出してしまった。
「おなかすいたのかなぁ」
 言いながら、サクラを抱き上げる。オムツが濡れているからまず交換だな。
「あら? 早いね。おかえり」
 シズカも起きてしまった。
「うん、早く帰れた。ただいま。オムツ替えてるよ、ミルクはどうする?」
「まかせて。晩ごはんの支度もするわ」
「ありがとう。……シズカががんばってること、俺はちゃんと知ってるから、さ。いっつも、ありがとうな」
 と言った俺の顔を、シズカがじっと見てきた。それから、笑顔になった。
「どういたしまして。ツバサががんばってるって私も知ってるよ、ありがとう」
 そう言ってキッチンに立ったシズカを、新しいオムツでもまだむずかっているサクラを、愛おしいと思う。
 守っていきたい。
 ともに生きていきたい。
「ああ、俺は幸せだ」

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