【後編】 ピカソ没後50周年記念、ポール・スミスが特別展をパリ国立ピカソ美術館にてキュレーション:Picasso Celebration, The Collection In A New Light!
これまでに【前編】と【中編】に分けて紹介してきたポール・スミス×ピカソ展の紹介も本編で最後である。
見所たくさんなので最後までお付き合いいただきたい。
1. 1950年代(Les Années 1950)
1940年代後半から1960年代前半にかけて、パブロ・ピカソはパリを離れ、フランス南東部に永住した。
その頃、彼の絵画はキュビスムの再興とアンリ・マティスとの対話によって特徴づけられていた。
幾何学的な形と黒で縁取られた大きな色の組み合わせは、フェルナン・レジェ(Fernand Léger)やル・コルビュジエ(Le Corbusier)といった作家の探求を彷彿とさせる、視覚的に明快で読みやすい作品に仕上がっている。
こちらはピカソの最後の恋人ジャクリーヌ・ロックをモデルにした作品である。
誇り高い顔立ちと不釣り合いなほど長い首は、エジプトのスフィンクスを想起させる。
2.草上の昼食(Le Déjeuner sur l'herbe)
エドガー・マネ(Édouard Manet)による『草上の昼食』(Le Déjeuner sur l'herbe, 1863, Musée d'Orsay, Paris)の発表は、「風景画」「風俗画」「静物画」を一場面で分解・再統合した近代絵画史上における貴重な瞬間でもあった。
一方で1950年代のピカソは、マネの絵を再解釈し、製作に取り組んだ。
彫刻や絵画など、様々な作品の制作においてピカソは、人物を移動させたり、取り除いたり、姿勢や位置を変えたりするなど、その作風の可能性を模索した。
このブースの壁は、そこにシートをひいて昼食を取れるかのような、落ち着いた森のグリーンで統一されている。
3.ピカソのマリニエール(La Marinière de Picasso)
1952年9月のある日の朝、写真家ロベール・ドアノー (Robert Doisneau;1912-1994)は、パブロ・ピカソが1948年から住むヴァロリスへ赴き、ピカソのポートレイトを撮影した。
遊び心に溢れるピカソは、レンズを前にして身の回りの生活用品を使い、即興で撮影に応じた。
このシリーズは大成功を収めるとともに、ストライプのシャツを着たピカソのイメージは、新聞や雑誌を介して瞬く間に広まることとなった。
こうして拡散したピカソの姿は、ピカソ本人を離れ、他の芸術家たちを刺激するようになった。
コンゴの画家シェリ・サンバ( Chéri Samba)もそんなロベール・ドアノーが写したピカソのイメージに影響を受けた芸術家の一人である。
シェリ・サンバは、ストライプのシャツを着たピカソを西洋の芸術家の原型として表現する一方で、ピカソに影響を与えたアフリカのアートを一枚の絵の中に書き込んだ。
この西洋一般(ピカソ)とアフリカ(お面とアフリカ大陸)が対比される本作は、西洋の近代・現代美術のコレクションにアフリカのものがあまり使われることがないというメッセージを皮肉を込めて伝えるものである。
お茶目にポーズを取るピカソ。
ピカソといえば青と白のストライプ、というように拡散したピカソのイメージを表現するかのようなインスタレーション。
壁は青一色で塗られたこの部屋には無数のストライプのシャツが吊るされ、形を変えながら再生産され続けるピカソのイメージが想起される。
ピカソとその恋人フランソワ・ジローを写した写真。
4. ピカソの展示会(Picasso à l'Affiche)
パブロ・ピカソは、世界各地で何百もの個展を開催した。
1901年のギャラリー・ヴォラール(Galerie Vollard)におけるパリでの初個展、 1932年に開催されたフランスの美術商ジョルジュ・プティ(Georges Petit;1856-1920)のギャラリーにおける初回顧展、第二次世界大戦の勃発の翌日にニューヨーク近代美術館(MoMa)で開催されたピカソ40周年記念展、1970年と1973年にアヴィニョン教皇庁(Palais des Papes)で開催された遺作展などなど。
それぞれの展覧会では、街中にポスターが掲示され、人々の目を集めた。
ポール・スミスは、このピカソの個展のポスター自体に着目し、このブースの壁一面にポスターを貼った。
そこからはピカソというイメージが無限に広がり、形や姿を変え、世界中の人々の目に訴えかけていることが強く感じられる。
5.最後の作品たち(Les Dernières Peintures: 1969-1972)
ピカソの創作意欲は、晩年になっても衰えなかった。
1961年より、フランス南東部に位置するコート・ダジュールのムージャン(Mougin)にある農家ノートルダム・ド・ヴィ(Notre-Dame-de-Vie)に住み、数百点の素描や版画を制作した。
それらの作品には、スペインのルーツを思わせるようなモチーフがあるほか、発的な色彩と自由な表現で際立っている。
1970年と1973年にアヴィニョンの教皇庁で開催された2つの展覧会で展示された作品は、ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basguiat;1960-1988)やゲオルク・バーゼリッツ(Georg Baselitz;1938-)に大きな衝撃を与えた。
この巨大な絵には、ピカソの晩年の作品によく見られる力強いタッチや素朴な人物像といった要素がふんだんに盛り込まれている。
ピカソは家族の肖像という伝統的な主題を、濃密な色たちが作り出すキアロスクーロ(chiaroscuros, 明暗のコントラスト)を効果的に用いて表現している。
ピカソが亡くなる前年に制作した『若き芸術家のポートレイト』(Le Jeune Peintre)は、これからの世界を生きる若い芸術家たちに対する別れの言葉でもある。
急いで筆を走らせたがために白いキャンバスの下地がむき出しになっているこの作品には、物知り顔な若者、すなわちかつてのピカソが描かれているが、その目は壊れたソケットに変化しており、その死が近づいてきていることを暗示している。
それでもこの作品の中の若者は悪戯っぽい笑みを浮かべているために、その死の悲痛さが少し和らいでいるような印象も受ける。
芸術家としての魂を常に燃やし続けたパブロ・ピカソ。
こうしてピカソの作品を一通り見ると、そこには常にユーモアと情熱が混在しているような印象を受ける。
ピカソと同様にユーモアと好奇心たっぷりなポール・スミスは、本展を通じて、ピカソとの共通点を模索しつつ、各部屋に相応しい装飾を施した。
本展を鑑賞するということは、そんなポール・スミスが仕掛けた演出を一つ一つ発見していくことでもあり、それぞれのモチーフの持つ意味を自分なりに考えてみるのもまた楽しい時間なのである
Célébration Picasso, La Collection Prend des Couleurs!
会場:ピカソ美術館(Musée National Picasso-Paris)
住所:5 Rue de Thorigny, 75003 Paris, France
開館時間:10:30-18:00(火曜から金曜まで)、9:30-18:00(土曜日曜)、月曜休館
入場料:14ユーロ(大人)、11ユーロ(割引料金)
公式ホームページ:museepicassoparis.fr
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