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【後編】 『ガブリエル・シャネル、モードのマニフェスト』展:パリ・ガリエラ美術館にて開催、パリ初のシャネルの特別展

今回のnoteでは、 『ガブリエル・シャネル、モードのマニフェスト』展の第二部を紹介していく。

テーマごとに構成される第二部では、主に第二次世界大戦後のガブリエル・シャネルの作品が展示されている。

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1. シャネルのコード(Les Codes de Chanel)

階下の第二部の展示室へと降りていくと、まずガブリエル・シャネルが身につけた品々が目に入ってくる。

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(Suit worn by Gabrielle Chanel Autumn-WInter 1958-59, écru and brown chiné tweed by Lesur, glided metal Paris, Patrimonie de Chanel)

1954年2月5日、ガブリエル・シャネルは、約15年の沈黙を破って再びコレクションを発表した。

この時、ガブリエルは71歳になっていた。

それより前に1947年、クリスチャン・ディオールとは、戦後の社会を象徴するようなコレクション「ニュー・ルック」を発表した。

なだらかな肩に細く絞ったウエスト、戦中にはなかなか使えなかった布をたっぷり使ったスカートが特徴的なニュールック。

ガブリエル・シャネルのスタイルは、これとは真逆、動きやすく快適、あくまでも女性の自然な身体の動きを尊重するものであった。


残念ながら写真には収めていなかったが、ここにはシャネルの代表的作品2.55 バッグもいくつか展示されていた。

1955年2月に発売されたこの2.55バックは、今でこそよく見るようになったが、ハンドルにレザーではなく、チェーンを使用した革新的なバックであった。

レザーよりも丈夫なチェーンを使ったバッグは、戦後、社会進出していった女性たちのニーズに応えるものであった。

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こちらのバイカラーシューズもシャネルの代表的な作品の一つである。

つま先は黒くすることで足先を小さく見せ、逆にベージュの部分で脚を長く見せる効果があるという。

また着脱しやすいデザインもポイント。

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(Prototype for two-tone shoe, Chanel design made by Massaro, c. 1961, beige kidskin, black silk satin)

ガブリエルは「四足の靴があれは世界中どこでも行ける」と言った。

黒いつま先のバイカラーシューズは、ビジネスシーンや日常遣いに、ネイビーのシューズは夏のバカンスに、ブラウンのシューズは秋のスポーツ日和に、金の靴はイブニングドレスと合わせて。

シンプルな型だからこそ応用が効く。

シンプルな女は、世界中どこにでも行けるのかもしれない。



続いてエレーヌ・ゴードン=ラザレフ(Hélène Gordon-Lazareff:1909-1988)が、1945年11月に刊行した『ELLE』のブースへ。

『ELLE』は、単なるファッション雑誌ではなく、現代の文化に敏感な女性を満足させるためのコンテンツが満載した媒体でもあった。

その中の記事を見てみると、新しい洋服の作り方のページがかなり充実していることが分かる。

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実はこの雑誌は、戦後のガブリエルのカムバックを支持した数少ない媒体の一つであった。

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(Elle, February 17th, 1961 issue)


ナチス軍との関係を疑われたガブリエルは、戦後に祖国フランスを離れ一時的に亡命している。

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戦後のフランス社会においてガブリエル・シャネルというデザイナーが再び活動を行うには、かなり厳しい状況であったということは想像に難くない。

次の章からは、戦後のシャネルの活躍を見ていくこととしよう。



2. ジュエリーという礼讃を私に(éloge de la Parure)

第二部では、一部屋を使って大小様々なジュエリーが展示されている。

1920年代初頭からガブリエル・シャネルは、様々なジュエリーを生み出していた。

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しかもそれは、シンプルな形のシャネルの洋服とは対照的にゴージャスで華やかなものであった。

ガブリエルは、イミテーションと本物の石を両方組み合わせて、巧みにアクセサリーを造った。

本物と同様にイミテーションを愛したガブリエル、それは高価な本物の宝石は自身の社会的地位を示すものであるという当時の特権階級の慣習に真っ向から反抗した姿勢の表れであるのかもしれない。

特にライオン、太陽、星、十字架などは、シャネルにとって定番のモチーフであった。

それではシャネルのジュエリーを年代順に簡単に見ていくこととしよう。

1924年、ヴィンテージジュエリーを愛していたガブリエルは、エティエンヌ・ド・ボーモン伯爵(Etienne de Beaumont:1883-1956)に、シャネルの最初のジュエリーコレクションの依頼した。

その後、ガブリエルよりシャネルのジュエリーラインの製作を委ねられたフルコ・ディ・ヴェルドゥーラ (Fulco di Verdura;1898-1978)は、中世やルネサンス絵画、そして彼自身の故郷・地中海文化からそのデザインの着想を得ていた。

さらに1930年代に入ると、ガブリエルは、メゾン・グリポア(Maison Gripoix)の協力を得て、カラフルな花や葉のジュエリーを発表した。

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(左:Brooch, Chanel design made by Gripoix, 1937, gilded metal, translucent and opaque polychrome glass)

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(Necklace, Chanel design made by Gripoix, Spring-Summer 1938, gilded metal, translucent polychrome glass)


時代が下って1960年代以降、シャネルのジュエリーを担当したロベール・グーセンス(Robert Goosens;1927-2016)は、海港都市ヴェネツィア、ビザンツ帝国、ペルシア、ケルト文化など、異国のモチーフや歴史的なモチーフからインスピレーションを得ていた。

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(Necklace, Chanel design made by Robert Goossens, 1970s, vermail, rock crystal)


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(右から2番目:Brooch, Chanel design made by Robert Goossens, between 1954 and 1974, gilded bronze, tourmaline/ 右端:Brooch, Chanel design made by Robert Goossens, between 1954 and 1974, gilded bronze, tourmaline)


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ガブリエルとロベールは、度々ともに美術館に出向き、絵画や装身具のデザインを観察していたのであった。


またジュエリーの間の壁側には、主に1960年代から70年代に製作されたドレスやスーツも何点か展示されていた。

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(左:Suit, Autumn-Winter 1965-66, Silver lamé, white mink, gold metallic braid, ivory silk satin/ 右:Dress and jacket ensemble, Autumn-Winter 1963-64, gold lamé cloqué by Bucol, sable, pink pongee)


戦後、シャネルのファッションを熱烈に支持したのは、本国フランスよりもアメリカの人々であった。

戦前より、シャネルはアメリカでも人気を誇っていたが、特に戦後のアメリカ社会で活動する女性にシャネルは受け入れられたのであった。

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またアメリカでは、シャネルの模造品が作られることが多かった。

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(右:Dress and coat ensemble, Autumn-Winter 1967-68, gold lamé cloqué, gold cord, gilded metal)


シャネルはこのコピー品でさえ、「私から絶対に盗めないもの、それは本物であること(authenticity)」と自身のスタイルを世界に広めるものとして認めていた。

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(Dress, Sprig- Summer 1960, ivory cotton tulle embroidered with cotton and gold thread gold lamé, white organdy, ivory silk crêpe)


最初は安価なコピー品で満足できるかもしれないが、一度本物を目にしたら、時間がかかってもいいから手に入れたくなるのがシャネルの魔力でもある。

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3. スーツ、あるいは自由の体現(Le Tailleur ou Les Formes de la Liberté)

1954年、ガブリエルが休止期間を経て再びコレクションを発表した時、世間からの評価は冷たいものであった。

ニュールックが席巻する世の中において、戦前と変わらないシャネルのスーツは、古臭いものと見做されたのであった。

戦後の世界においてさえ、伝統的な女性らしさ、およびディオールのニュールックが主流であり、ガブリエルが提唱するシンプルさは、なかなか受け入れられなかったからである。

過剰なリボンやフリル、フレア、ドレープ、装飾など、それらは彼女に必要のないものであった。

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(左端:Suit, Autumn-Winter 1964-65, Beige chiné tweedm gilded metal, pink crêpe de chine)


半円型の展示室では、このようにガラスケースに入ったスーツが並んでおり圧巻される。

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(Cardigan jacket and skirt ensemble, Spring-Summer 1971, ivory wool jersey with navy print, gilded metal and navy Galalith)

シャネルのスーツの元となっているテーラードスーツ。

元を辿ると1850年代にイングランドで生まれた紳士服は、ガブリエルがデザイナーとして活動を始めた1910年代にはすでに、女性のワードロープとしてリモデルされ始めていた。

それでもごく僅かであったが、19世紀末にテーラードスーツを女性服にデザインし直したデザイナーは、何よりも「快適さ」をアピールした。

材質はウール、色は、ベージュ、灰色、ブラウンなど。

この朝の散歩やスポーツ、旅行に適したスーツは、裾が地面につくことなく、女性にとって動きやすいということが重視されていた。

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(左:Dress and coat ensemble, Spring-Summer 1962, raspberyy quilted silk taggeta and wool, gilded metal/ 右:Ensemble with dress and coat, Spring-Summer 1963, multicoloured mohair tweed, raspberry silk twill with navy print)

キャリアの当初から、苦しいコルセットや引きずってしまう長い裾で女性の体の動きを制限するファッションに反発していたガブリエルが、この男性服を元にしたスーツを支持したのは、必然的な流れであったのかもしれない。

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(右:Coat, Autumn-Winter 1961-62, black silk cloqué, white mink, gilded metal)

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ガブリエルは、ウール、シルク、合成繊維など、様々な素材でスーツを作ったが、いずれも快適であることが第一の条件であった。

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シンプルでありながらも素材と細部に拘ったスーツたち。

男性服の名残らしく、いずれのジャケットにもポケットがついている。

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(左端:Suit, Spring-Summer 1961, oatmeal chiné tweed, red grosgrain with navy braid, gilded metal/ 真ん中:Suit, Spring-Summer 1961, oatmeal chiné tweed, red grasgrain with navy braid, gilded metal)

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またガブリエルは、仕事用のワードロープとしてのスーツとは別に、キラキラした素材で、イブニングドレスを着るような場面にも使うことができるスーツを考案していた。

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19世紀において黒い燕尾服を着るのは男性、カラフルでひらひらとしたドレスを着飾るのは女性の役割であったが、20世紀後半のガブリエルの手にかかれば、女性は、元は男性のものであったスーツを着ても社交の場に出ることができることになったのである。

打ち破るべき古い慣習がある。

でもその前に自身がエレガントでなければならない。

ガブリエル・シャネルは、戦い方を知っているのである。



4. 息を吹き返した気品(L'Allure Renouvelée)

本展の最後を締め括るのは、一つの部屋を使って並んだエレガントなドレスたちである。

中には、ガブリエル・シャネルの最後の作品となった1971年春夏コレクションのものもある。

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(左:Cocktail dress, Spring-Summer 1959, black lace by Design/ 中央:Coctail dress, Spring-Summer 1965, black silk chiffon, black silk satin ribbon/ 右:Formal dress, Spring-Summer 1960, black silk chiffon and satin)

戦後のシャネルの顧客の中には、ケネディ大統領夫人のジャクリーン・ケネディ(Jacqueline Kennedy)をはじめとして、グレース・ケリー(Grace Kelly)、アヌーク・エーメ(Anouk Aimée)、アニー・ジラルド(Annie Girardot)などセレブリティや女優たちがいた。

また戦前からルキーノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti)のような映画監督やパトロンたちと親交があったガブリエルは、彼らの映画に衣装も多く提供している。


多くのファッションデザイナーが、イブニングドレスに刺繍やジュエリー、スパンコールで装飾を施す中、ガブリエルは、控えめだが洗練されたドレスを作った。

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(左:Evening dress, Autumn-Winter 1970-71, red silk chiffon/ 右:Evening dress, Spring-Summer 1955, red silk chiffon)


シンプルな黒のドレスと言っても、ガブリエルは、レース、ベルベット、シルク、ナイロン、そして合成繊維と様々な素材を使って自由自在にドレスを生み出した。

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シンプルで動きやすい衣服というポリシーは、彼女のキャリアの初期から揺るがないものであった。

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またデザインはシンプルながらも、素材や細部には遊び心を忘れてはいない。

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(左:Tunic and skirt ensemble, Spring-Summer 1960, black silk crêpe with lurex lamé, black silk cord)



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(Evening dress, Autumn-Winter 1967-68, nylon netting, white silk chenille, iridescent Lurex, ivory silk crêpe, chiffon and charmeuse, gilded metal, rhinestones and mother of pearl)

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シンプルなドレスだからこそ、着る人の雰囲気や選ぶジュエリーで、自分だけの顔を持つドレスになりうるのである。


これらはガブリエル・シャネルの遺作となった1971年春夏のコレクションである。

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(左:Dress, Spring-Summer 1971, ivory figured organza, gold lamé/ Belt, Chanel design made by Robert Goossens, Spring-Summer 1971, gilded metal, green and red glass, imitation pearls)

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オフホワイトの布地とゴールドの糸の組み合わせは、神々しいまでの輝きを放っていた。


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(右:Dress worn by Delphine Seyrig in Last Year in Marienbad, Autumn-WInter 1960-61, gold lamé, gilded metal)


遺作となった1971年春夏コレクションまで、ガブリエル・「ココ」・シャネルは、自身のマニュフェストとスタイルを再解釈し、アップデートし、完成に近づけようと努力し続けた。

シンプルで着心地の良いドレスは、女性の体に優しい。

しかしながらそれと同時にごまかしが一切効かない。

着る時は背筋を伸ばして、自信を持って歩くこと、このこともまたガブリエルが、女性の体に刻み込んだマニュフェストなのではないであろうか。

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1971年1月10日、ガブリエル・シャネルは、パリのオテル・リッツで亡くなった。

多くの人々に愛され、また自身も愛し、自分のスタイルを主張し続けた一人の女性の戦いは、ようやく終わりを迎えた。

自分のスタイルを世に問い続けるには、強く、そして美しく生きねばならない。

ガブリエル・シャネルは、世の娘たち、そして息子たちにそのような生き様を見せてくれたのであった。

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以上、かなりの分量になったが、三回にわたってパリで開催された『ガブリエル・シャネル:モードのマニュフェスト』(Gabrielle Chanel:Manifeste de mode)を紹介した。

本展は2022年6月に東京の三菱一号館美術館でも、日本向けに再構成された開催されるとのことである。

1910年代から第二次世界大戦を挟んで1970年代頭までデザイナーとして作品を発表し続けたガブリエル・シャネル。

彼女が活躍した時代と現代を比べた時の大きな違いの一つは、市場の国際化であろう。

おそらくガブリエル・シャネルが、ドレスやスーツを作った時代に彼女の作品を身に纏ったのは白人女性であった(「白人女性」という括りはあまり良くないかもしれないが、ここでは便宜上この言葉を使う)。

2020年代に入った現在、アジアやアフリカなど、白人女性以外の人々もシャネルのドレスやスーツを着ることができるようになった。

髪や肌の色味、体系、顔立ちがそれぞれに異なる女性たちは、それぞれの個性にあったドレスやスーツがある。

同時にそれは伝統的衣装を着る場が少なくなったことも意味しているのだが、女性自身が快適、動きやすいと感じることができる衣服を選ぶことができるというのが一番であろう。

今や男性もパールを身につけることが不思議でなくなった今、まずはシャネルのツイードのジャケットなどは、男性が身に付けてもおかしくはない。

もとは男性服を元に作られたというシャネルの衣服のルーツを考えると変な感じもするが、心地の良い服を自分で選ぶことができる私たちは幸福である。


『ガブリエル・シャネル:モードのマニュフェスト』(Gabrielle Chanel:Manifeste de mode)

会期:2021年5月19日から7月18日まで

会場:Palais Galliera, Musée de la ville de Paris

住所:10 avenue Pierre 1er de Serbie, Paris 16e, 75116 Paris, France

開館時間:10:00-18:00(木・金曜日は21:00まで)

休館日:月曜日

入場料:14ユーロ(一般)、12ユーロ(割引料金)

公式サイト:palaisgalliera.paris




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