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【前編】:『ガブリエル・シャネル モードのマニュフェスト』展:パリ・ガリエラ美術館にて開催、パリ初のシャネルの特別展

今回のnoteより、今年パリで開催されたガブリエル・シャネルを扱った特別展『ガブリエル・シャネル モードのマニュフェスト』(Gabrielle Chanel. Manifeste de mode)について、全3回に分けて書いていく。



1. 2021年5月、再オープンしたフランス・パリの文化施設

実は本展は、2020年10月から開催していたのだが、間も無くして、法令によって長らくクローズしていた。

2021年5月19日、とうとうフランス・パリでは、規制が緩和され、2020年11月より休業していた文化施設が再オープンすることとなった。

およそ半年ぶりに再び開かれることとなった本展、筆者も期待を胸に会場へと赴いたが、そこには大勢の来場者がおり、大変驚いた。

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(筆者がガリエラ美術館に訪れた2021年6月、空は曇り肌寒い日々が続いていた)

ポール・ポワレ(Paul Poiret;1879-1944)がファッション界を支配していた1910年代において、ドヴィール、ビアリッツ、そしてパリに進出し、オートクチュールの世界に革命を起こしたガブリエル・シャネル(Gabrielle Chanel;1883-1971)。

ガブリエル・シャネルは、20世紀に生きた女性の身体をカンバスとして、自身の主張と哲学、つまり「モードのマニュフェスト」を描いたのであった。

意外にも、ガブリエル・シャネルの仕事にクローズアップした回顧展が、フランスで開催されるのは、本展が初とのことである。

服や香水、そしてジュエリーなど、彼女の作品が展示されるとともに、それとモード史との関係を考察する回顧展である。

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会場となったガリエラ美術館、1階には新展示室がオープンしたこともあり、本展の総展示面積は1500平方メートルとかなり大規模なものである。

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列を作っていはいるが、予約票を見せるとすんなり入場することができたので一安心。

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世界中の美術館や個人のコレクションから、350以上もの作品が提供された本展。

その一例を挙げるならば、本展の会場となったガリエラ美術館の所蔵品、パトリモワーヌ・ド・シャネル(Patrimoine de CHANEL)、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館(The Victoria & Albert Museum)、サンフランシスコのデ・ヤング美術館(De Young Museum)、サンティアゴのモード美術館(Museo de la Moda)、アントワープ州立モード美術館(MoMu)など。

大きく第一部第二部に分かれた本展は、ガブリエル・シャネルの軌跡を辿ることができるように、それぞれ年代順とテーマ別に構成されている。

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まず年代に沿って展開される第一部。

1916年に発表されたマリエールなど初期の作品、リトルブラックドレス、時代を反映したスポーツ・ウェア、そして1921年に誕生した香水シャネルN°5など、いずれも「ココ・シャネル」の精神を今に伝えるものばかりである。

戦後、クリスチャン・ディオールがニュールックを発表すると、一時期活動を休していたガブリエル・シャネルであったが、それに反応する形で1954年にコレクションを発表した。

それはトレンドに反発し、彼女自身のマニュフェストを強く主張するものであった。

このnoteでは、第一部の初めから見ていくこととしよう。

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(第一部の見取り図)



2. 新たなエレガンスへ(Vers Une Nouvelle Elegance)

本展では、あちこちにガブリエル・シャネル(以下、ガブリエルと略記)のポートレイトも展示されている。

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1910年、ガブリエル・シャネルは、パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」(Chanel Mode)をオープンした。

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修道院で育ったガブリエルは、洋裁店で働くかたわら、街のカフェにてポーズ嬢(舞台の幕間でパフォーマンスをする女性)として華やかな夜の世界に身を投じていく。

この夜の街で、ガブリエルは、上流階級の紳士エティエンヌ・バルサンと出会い、彼の愛人となる。

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エティエンヌとの生活の中で、ガブリエルは様々なもの・人と出会い、ファッションアイコン・デザイナーとしての才能を培っていく。

このエティエンヌとの関係を精算した時と前後して、ガブリエルは、1910年に自身のブティックを開くことになったのであった。

この辺の経緯は、2009年の映画『ココ・アヴァン・シャネル』(Coco avant Chanel;主演 オドレイ・トトゥ)にも描かれている。

そのキャリアの初期から、ガブリエルは、ステレオタイプ化された女性らしさに争ってきた。

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(Portrait of Gabrielle Chanel, Jean Cocteau, 1937, Lead Pencil drawing Paris, Centre Pompidou)


1910年のオープン以来、評判を高めていったガブリエルの店は、1912年にはフランスのリゾート地ドーヴィルに、1915年にはスペインとの国境近くのベルリッツに次々と店舗を出した。

彼女の最初の作品は、このドーヴィルの上流階級の間で広がっていた自由の気風にも影響を受けており、またこの頃のスポーティーなスタイルは、彼女自身がビーチで身についていたものからも着想を得ている。

エティエンヌの次の恋人であるイギリス人アーサー・カペルとの仲睦まじく、ガブリエルは、公私ともに充実した生活を送っていた。


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(Marinière, Gabrielle Chanel, 1916SS, Ivoly Silk Jersey, Paris, Patrimonie de Chanel)

またこの頃の代表作であるマリエールは、もともと男性の下着の素材として使われていたシルクのジャージから作られたものであり、とてもゆったりしてたシンプルな服である。

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ちょうど第一次世界大戦(1914-18)の真っ只中であった1910年代において、ガブリエルは大袈裟な装飾を拒否し、女性の体をリスペクトする形で、動きやすく、柔軟でシンプルなスタイルを追求した。

シンプルさと精密さ、この二つに忠実な彼女のスタイルは、彼女の作品を貫く信念でも他あった。

ガブリエルは、日常と贅沢をうまく組み合わせ、ウールやツイードからカジュアルかつ、絶対的に洗練された形を保った着こなしを提案した。

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(Dress and Jacket Ensemble, Between 1922 and 1928, Ivory Silk Jersey, Paris, Patrimonie de Chanel)


実用性とエレガンスが見事に調和したガブリエルの服は、スポーツウェアから影響を受けたものもあり、男性のエレガンスとダンディズムのコードを取り入れている。

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(Blouse, Skirt and Belt Ensemble, 1927SS, Ivory Silk, Paris, Patrimonie de Chanel)



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(左:Dress, between 1930 and 1939, printed ivory surah with black repeat motif)

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花は、シンプルさの追求というガブリエルのルールの例外であり、自然の若々しさを表現するために、彼女は花のモチーフを使った。

こちらは同じ素材で作られたコートとドレスのアンサンブルであり、シャネルは、このスタイルを女性用のスーツにも幾度となく使用している。

胸元や裾に施されたリーフモチーフの加工が可憐である。

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(左:Day ensemble with dress and coat, 1929, green wool, silk chiffon with multicolored print, appliqué motifs/ 右:Afternoon dress, Spring-Summer 1930, white silk chiffon with pale pink and brown print)


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(Day ensemble with dress and coat between 1928 and 1930, Dark green wool, printed silk chiffon in shades of green, Santiago de Chile, Fundación Museo del la Moda de Chile)



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(右:Emsemble with dress and cape, between 1933 and 1935, ivory silk crêpe with black print/ 左:Dress, 1935, ivory silk organza with multicoloured print)


1910年代後半、パリの社交界の女王ミシア・セールと出会ったことにきっかけに、ファッションデザイナー・ガブリエルは、社交界でも有名になっていく。

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その一方で、ガブリエルは、最愛の恋人アーサーとの別れ、そして死別という辛い運命に対峙しなければいけなかった。

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(左:Day dress between 1926 and 1928, Ivory crêpe de chine with russet printm Paris, Patrimoine de CHANEL/ 右:Day ensemble with dress, jacket and belt, Between 1928 and 1930, Multicoloured figured silk velvet, chiffon lining, quilted écru raw silk, metal and coloured glass)


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(Day ensemble with dress and coat, c. 1927-28, silk serge with black and white print, black silk crêpe)


30代にしてすでに楽園と地獄を見たガブリエルであったが、この頃、ミシア・セールの助けもあり、パリのバレエ・リュスの創始者セルゲイ・ディアギレフ、画家パブロ・ピカソ、そして音楽家のイゴール・ストラヴィンスキーと出会い、親交を深めた。

クリエーターとしてパリで活動しているならば、なんらかの人脈を得られそうな気もするが、ガブリエルの場合、その出会いというものがいつもドラマティックで刺激的なのである。

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3. とあるスタイルの誕生(La Naissance d'un Style)

1920年代から1930年代にかけて、ガブリエルは、彼女自身の美的感覚とファッションのコンセプトをより確実なものにしていった。

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洗練されたエレガンスに特徴づけられる彼女のデザインは、滑らかかつ時には単色の素材によってしばしば形作られるものであった。

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(Evening dress, Autumn-Winter 1933-34, black rayon, ivory silk organza)

ホワイトとベージュによって淑女を表現したかと思えば、鮮やかな青や赤で社交界の華を大胆に彩るなど、彼女の色使いもまたシャネルの魅力の一つである。

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(左:Ensemble with dress and jacket, Spring-Summer 1926, Ivory silk toile, black silk taffeta)

また1920年代にはシャネルの代表作の一つでもあるリトル・ブラック・ドレス(Petite Robe Noire)も生まれている。

19世紀までは男性の色とされてきた黒を使い、余計な装飾を切り落としたシャネルのドレスは、センセーションを巻き起こした。

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(左:Dress, Spring-Summer 1919, Chantilly lace, black silk crêpe)


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シンプルさを追求するあまり、ガブリエルは、異国風のものあるいは歴史的なモチーフに影響を受けたトレンドを取り入れることにかなり慎重な態度を取っていた。

実用性とエレガンス、日常と贅沢、これら二つの相反する概念をガブリエルなりに解釈したものが、ブランドのスタイルとして定着していった。

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4. 完璧な豪奢さの表れ(L'ecpression d'un Luxe Austère)

「狂乱の1920年代」(The Roaring Twenties)、北米やヨーロッパ列強の国々は、未だかつてない好景気に沸いていた。

この時代には、今まで娼婦のものとされていた化粧が街の女性にも受け入れられるようになり、またボブカットのフラッパーたちが街を闊歩した。

誰もが浮かれ、踊っているそんな時代であった。

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(左:Evening dress, Spring-Summer 1930, ivory silk chiffon with insets/ 右:Ensemble with dress and jacket, c. 1930-31, ivory silk satin)


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これらのシャネルのイブニングドレスは、この上のなく、女性の身体を魅惑的に魅せるものである。

ところがそれらは、ぴったりと身体のラインを出すというよりも、ゆったりとしており、それはまるで見えない部分を連想させるかのように艶かしい造りである。

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(Evening dress, between 1930 and 1935, black silk tulle embroidered with silver sequins and bugle beads)

1930年代に入ると、景気に陰りが見え始め、少しずつ戦争の足音が聞こえてくるようになった。

これらを纏った女性たちは、夜が明けないことを願いつつ、うたたかの夢を見ていたのであろうか。



5. シャネルの5番、現代を生きる女性の見えないアクセサリー(Chanel №5, The Invisible Accesory of the Modern Woman)

「ベッドでは何を着ていますか?」という質問に対して、「シャネルの5番よ」とマリリン・モンローが答えたのはあまりに有名な話である。

本展では、このシャネルの5番のために一つの部屋が設けられており、イラストや香水瓶が展示されている。

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1921年に生まれたシャネルの5番は、花やハーブなど何か他のものの匂いを模した当時の他の香水とは異なり、特定の香りをモチーフにして作られたものではなかった。

それはとても抽象的かつ神秘的、でも調和の取れた香りであった。

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調香師のエルネスト・ボー(Ernest Beaux)は、10本の香水の試作品をガブリエルに届けた。

ガブリエルは、その中でも5番と書かれた瓶を気に入り、それがシャネルのの5番として世に出ることになったのである。

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またそのシンプルな四角のボトルも装飾が施されたその当時のボトルと一線を画すものである。

展示室には1921年に製造されたシャネルの5番のボトルが展示されており、室内にはマリリン・モンローの肉声が繰り返し流されていた。

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(N°5 perfume bottle, 1921, glass, black cotton cord, black wax seal, printed paper)



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(Bois de îles fragrance, 1928, cedarwood, paper, black paper, black wax seal, glass, black cotton cord/ Chanel N°5 purse bottle, c. 1930, black grass, silver-plated metal, beige jersey, carboard, paper など)



呪文のような名前はない、あるのは番号だけというシャネルの5番は、その見た目もこの上なくシンプルである。

今ではこのようなシンプルな香水瓶を作るブランドもさほど珍しくない印象を受けるが、アールデコ全盛期の1920年代においてこのシンプルなシャネルの香水はいかほどの衝撃を人々に与えたのであろうか。

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名作は、100年の時を超えて、伝説を紡ぎ続けているのである。



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次回以降も『ガブリエル・シャネル。モードのマニュフェスト』について書いていくのでお楽しみに。



『ガブリエル・シャネル。モードのマニュフェスト』(Gabrielle Chanel:Manifeste de mode)

会期:2021年5月19日から7月18日まで

会場:Palais Galliera, Musée de la ville de Paris

住所:10 avenue Pierre 1er de Serbie, Paris 16e, 75116 Paris, France

開館時間:10:00-18:00(木・金曜日は21:00まで)

休館日:月曜日

入場料:14ユーロ(一般)、12ユーロ(割引料金)

公式サイト:palaisgalliera.paris


参考:

日本語版シャネル公式サイト(2021年9月5日最終アクセス)

「シャネル展とテラスレストラン! ガリエラ美術館の誘惑。」『Madame Figaro.jp』(2021年5月18日付記事)

「ガブリエル・シャネル展、100年たっても新しいモード。」『Madame Figaro.jp』(2020年9月23日付記事)

・「ココ・シャネルの「ファッションマニフェスト」。パリのガリエラ美術館でシャネル大回顧展が開催中!」『Vogue Japan』(2020年10月1日付記事)

「1920年代のパリ「狂乱の時代」──ジーン・クレール「僕らの世界の見方」『GQ JAPAN』(2019年8月14日付記事)

・『ユリイカ 2021年7月号 特集=ココ・シャネル』(青土社、2021年)

・Gabrielle Chanel:Fashion Manifesto, Thomes &Hudson, 2020(ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0500023464/ 本展公式図録)


(文責・写真:増永菜生 @nao_masunaga

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