《前編》ラファエル前派(Preraffaelliti Amore e Desiderio):ミラノ王宮にて開催、ラファエル前派の代表作がここに
0. ラファエル前派とは
2019年6月から10月にかけて、ミラノ王宮(Palazzo Reale)にて特別展「ラファエル前派:愛と憧憬」(Preraffaelliti: Amore e Desiderio)が開催された。
ミラノの中心に位置する大聖堂(Duomo)の正面向かって右手には、王宮がある。
「ラファエル前派兄弟団」(Pre-Raphaelite Brotherhood)とは、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti; 1828-1882)、ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt; 1827-1910)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais; 1829-1896)らによって1848年のイギリスで結成されたもの。
彼らは、ラファエロ以降に確立された王立アカデミーの芸術規範に反対した。
彼らは、ラファエロのスタイルが芸術界を席巻する前、初期ルネサンスのイタリアの芸術家たちを崇拝した。
そのために、初期ルネサンスやフランドル絵画のありのままの色彩や自然描写を理想とし、画家の誠実さを取り戻そうとした。
またラファエル前派より前、古典主義(17世紀から19世紀半ばにかけて文学や美術の分野で断続的に勃興した古代ギリシャ・ローマを規範とし、理性・調和・形式美を追求する思潮)へ反発し、初期ルネサンス絵画を理想として、宗教画の復興を企図したナザレ派が、19世紀初頭ドイツで興隆していた。
また影響を受けたのは、イギリスの批評家ラスキン(John Ruskin; 1819-1900)の『近代画家論』第2巻(1846)であった。
しかしながら、ラファエル前派が誕生した1848年とは、独立や参政権などを巡って、イタリア・オーストリア戦争、三月革命、チャーティスト運動、二月革命など、ヨーロッパ各地で革命や運動が起こった年であった。
フランス革命やナポレオン体制から約半世紀を経て起こった一連の1848年革命。
その上、産業革命や社会的な変化によって、愛、信仰、芸術も再定義を迫られることとなった。
この大きな波は、人々の生活や思想に大きな変化をもたらすものであり、若き芸術家たちの心を大きく揺さぶった。
入り口より。
ラファエル前派のグループの一人、ロセッティは、1849年3月に、団体の頭文字「RPB」とともに、『聖処女マリアの少女時代』を発表した。
ラファエル前派は、伝統的なアカデミーを批判したため、激しい非難を受けたが、徐々に受け入れられるようになった。
主要メンバーの説明も展示される。
ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt)とジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais)は、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)と、絵画をシェアする非公式のサークル、サイクログラフィック・ソサエティ(Cyclographic Society)で出会った。
王立アカデミーにおいて生徒たちは、巨匠たちの作品を模写することに時間を費やした。
その一方で、このソサエティに集まった若者たちは、中世と近世の版画・印刷物・図案を観察した。
ラファエル前派の絵画は、スケッチや落書きから始まったものである。
彼らにとっては封筒の裏でさえ立派なカンバスであった。
彼らはそこに新しいアイディアを書き残そうとした。
以下、本展で撮影した写真をもとに、ラファエル前派の代表的な作品を紹介していく。
1. 中世的近代(Un Medioevo Moderno)
ラファエル前派の主要メンバーであるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)の父ガブリエルは、カルボナリ(Carbonari; 19世紀初め、オーストリア支配に抵抗し、イタリア統一と独立を目指してイタリア南部で結成された秘密結社。炭焼き人の意味)の一員であったが、ロンドンに亡命した。
奇しくも、ガブリエルの息子ロセッティとその友人たちは、英国の伝統的な芸術を改革するためにラファエル前派を立ち上げた。
ジョヴァンニ・パオロ・ラジニオ『ピサの共同墓地のフレスコ画』(Giovanni Paolo Lasinio, Pitture a fresco del camposanto di Pisa; 1832)。
ジョン・エヴァレット・ミレイは、ラファエル前派の会議中、コーヒーを片手に、この本のコピーを仲間の前で広げた。
若き芸術家は、イタリアを訪問したこともなく、初期ルネサンス絵画についての知識も乏しかった。
それゆえに、ジョット(Giotto di Bondone; c. 1267-1337)などの作品の版画は、彼らに大いにインスピレーションを与えるものであった。
フォード・マドックス・ブラウン『祝福された御子、我々の貴婦人』(Ford Madox Brown (1821-1893), Nostra Signora dei bravi bambimi; 1847-61)。
ブラウンは、一員にこそならなかったものの、ラファエル前派のメンバーたちの友人であった。
彼は、イタリアの祭壇上部の飾りに見られる創意に富むディティール、鮮やかなカラー、美しいフレームを崇拝していた。
入浴する赤子の側に立つ少女は、ブラウンの娘ルーシー(Lucy)をモデルにしている。
彼女の母親は、この絵が描き始められる少し前に亡くなっていた。
チャールズ・アリソン・コリンズ『ハンガリーの聖エリザベスの敬虔な子供時代』(Charles Allison Collins(1828-1873), L'infanzia devota di santa Elizabetta d'Ungheria; 1852)。
コリンズもラファエル前派の一員にはならなかったものの、メンバーとその感性を共有していた。
こちらの絵のモデルとなったのは、ハンガリー王女として産まれながらにして、死後、聖女としてローマ教皇グレゴリウス9世によって列聖されたエルジェーベト(Erzsébet; 1207-1231)。
ジョン・エヴァレット・ミレイ『「馬小屋の中のキリスト」の研究』(Sir John Everett Millais(1829-1896), Studio for "Christ in the House of His Parents" ; c. 1849)。
ミレイは、1848年の政治的状況を目の当たりにして、聖家族を労働者として表現した。
それは、キリストの日常的な子供時代をこれまでになかったパターンで描こうとするものである。
2. 詩人画家(Pittori Poeti)
ラファエル前派のメンバーの多くは、作家でもあった。
彼らは、絵画が、彼らが崇拝する文学に匹敵するほど高められることを望み、絵画と詩を結びつけようとしていたのであった。
また彼らは、チョーサー、ダンテ、シェークスピア、ロマン派の詩人などの作品を絵画の主題として選んだ。
このような彼らの作品のモデルになったのは、詩人であり画家でもあったエリザベス・シダル(Elizabeth Eleanor Siddal; 1829-1862)であった。
フレデリック・ジョージ・ステファンズ『侯爵とグリセルダ』(Frederic George Stephens; 1828-1907, La proposta (Il marchese e Griselda); c. 1850)。
本作は、ステファンズの唯一の完成した作品であるとされており、チョーサーの『カンタベリー物語』の一場面を描いている。
左側のグリセルダのモデルとなったのは、ラファエル前派のミューズ、シダル。
背後の開かれたドアと窓は、彼女が父親を置いて出ていくことを暗示している。
ラファエル前派のメンバーは、細部を綿密に描くことによって物語をドラマチックに表現した。
ウォルター・デヴェレル『「12夜」の研究』(Walter Howell Deverelli(1827-1854), Studio per "La dodicesima notte"; c. 1850)。
デヴェレルは、ロゼットとともにラファエル前派設立の中心的なメンバーとして活躍したが、27歳ので夭折した。
この絵は、シェークスピアの「12夜」(Twelfth Night)を一場面を描いている。
ウィリアム・ホルマン・ハント『クラウディオとイザベッラ』(William Holman Hunt(1827-1910), Claudio e Isabella; 1850)。
シェークスピアの戯曲『尺には尺を』(Measure for Measure)を題材とした本作。
婚前の女性を妊娠させた咎でウィーン公爵アンジェロによって死刑を宣告されるクラウディオ。
クラウディオは、妹の修道女イザベッラに対して、公爵に命乞いをしてくれるように頼む。
(実際にイザベッラに会いに行ったのは、クラウディオの友人ルーシオであるとされる)
クラウディオの困惑した表情と足枷は、忍び寄る死を暗示している。
またクラウディオの胸に手を添えたイザベッラは、兄の死という運命に争うべく、クラウディオの懇願を反芻し、ひしと熟考している。
ジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』(Sir John Everett Millais(1829-1896), Ofelia; 1851-52)。
本展の見どころの一つと言える本作。
シェイクスピアの『ハムレット』(Hamlet)の一場面、オフィーリアの死がモチーフとなっている。
王子ハムレットへの失恋と父の死に絶望し、狂い、溺死したオフィーリア。
オフィーリアの孤独を表現するために、葉っぱなど、植物を一つ一つ丁寧に描いたミレイ。
彼は実際に、これらの植物を描くために、ホグスミル川で何ヶ月にも渡ってスケッチを行ったという。
モデルとなったシダルは、この作品のために、ウエディングドレスを着て風呂場に浮かびポーズをとった。
3. 世俗的信仰(Una Fede Laica)
『聖書』は、文学的な主題として昇華した。
ラファエル前派のメンバーは、宗教的主題を、現代(19世紀半ば)の問題を関連するものとして考えた。
その生活に密着した信仰という表現は、当時、センセーショナルなものであった。
ウィリアム・ホルマン・ハント『フレデリック・ジョージ・ステファンズ』(William Holman Hunt(1827-1910), Frederic George Stephens; 1847)。
フォード・マドックス・ブラウン『弟子ペトロの足を洗うキリスト』(Ford Madox Brown (1821-1893), Schizzo per "Gesù lava i piedi di Pietro"; 1852)。
こちらは、油絵を描くためのスケッチ。
ここでは、『聖書』のエピソードをもとにしながらも、サンダルを脱ぎながら不穏な表情を浮かべるユダ(向かって左端)が書き加えられている。
フォード・マドックス・ブラウン『弟子ペトロの足を洗うキリスト』(Ford Madox Brown (1821-1893), Schizzo per "Gesù lava i piedi di Pietro"; 1852-1856)。
先ほどのスケッチをもとにした完成作がこちら。
最後の晩餐の場面において弟子ペトロの足を洗うキリスト。
本作は、この晩餐に参加する者の視点から描かれている。
頭に手を添える人物はラファエル前派のメンバーであるハント、またブロンドの髪の男はメンバーのロゼッティがモデルとなっている。
足を洗うキリストの仕草は、労働の尊さを表す。
ジョン・ロッダム・スペンサー・スタンホープ『葡萄踏み』(John Roddam Spencer Stanhope (1829-1908), Il torchio; 1864)。
スタンホープは、ウィリアム・モリス(William Morris; 1834-1896)とともに、オクスフォード大学の学生としてラファエル前派の第二世代をになった芸術家である。
ワインを作る過程を描いた『葡萄踏み』は、同時代のイギリスの芸術家サー・エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ(Sir Edward Coley Burne-Jones; 1833-1898)の『慈悲深い王』(Merciful King)の影響を受けている。
なお、ジョーンズの作品は、スタンホープの家で作成され、保存されている。
スタンホープによる本作は、暗い色と金といった中世やビザンツ式の絵画の特徴が見られるものの、木の道具や葡萄などは、現物に忠実に描かれている。
フランク・カドゥガン・クーパー『天より「輝く白い衣」を受け取る囚われの身の聖アガタ』(Frank Cadogan Cowper(1877-1958), Sant'Agnese in prigione riceve dal cielo la "Bianca veste splendente"; 1905)。
クーパーは、ラファエル前派のスタイルや主題を踏襲した。
本作は、ウィリアム・キャクストン(William Caxton;c. 1415/22-c. 1492)の『黄金伝説』(The Golden Legend)の一場面を描いている。
1809年から1914年までの年表。
-----------------------------------
ここまで読んだだけでも、本展がいかに見どころが多い展示か分かるであろう。
続いて《後編》でも、作品について綴っていきたい。
参考:
・「ラファエル前派の軌跡展/ 三菱一号館美術館」『美術手帖』
・「Artwords(アートワード):ラファエル前派」『art scape』
「ラファエル前派」Preraffaelliti:Amore e Desiderio
会期:2019年6月19日から10月6日まで
会場:ミラノ王宮
住所:P.za del Duomo, 12, 20122 Milano, Italy
開館時間:14:30-19:30(月曜)、9:30-19:30(火曜、水曜、金曜、日曜)、9:30 - 22:30(木曜、土曜)
※最終入場は閉館1時間前。
料金:14ユーロ(一般)、12ユーロ(割引)
公式ホームページ:palazzorealemilano.it
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?