終わってしまった夏
夏の午後8時、
南欧の空は、嘘のようにまだ明るい。
底抜けに澄んだ青空と、昼間より少し柔らかくなった太陽。
空気だけは、少しずつ夜の気配を纏いはじめ、優しく私の肌を包む。
午後のエスプレッソだけのつもりで待ち合わせした彼が、まだ隣にいる。
好きな音楽から仕事のことまで、お互い知らなかった部分を埋めるには、エスプレッソ1杯では到底足りなかったようだ。
ふと会話が途切れた時、はっとした私たちは、次の言葉を手繰り寄せながら時計に目をやる。
さぁ、これからどうしようか。
そんな私たちにぴったりなよいアペリティーボの場所はあっただろうかとふと思案した。
ミラノのアペリティーボは、10ユーロほどのドリンクを頼むと簡単につまめるものや、店によっては十分な食事がついてくる。
これからどのような方向性で関係を深めるかお互い探り合いの相手、ディナーとまでいってしまうと、なんとなくヘビーだ。
そこに来てアペリティーボはと言えば、20時に席について2時間喋り通したとしてもまだ22時。
帰ろうと思えば帰れるし、もうちょっと一緒にいたければその時に考えれば良い。
「カフェに行こう」よりちょっと相手を深く知りたいときに使いたい「アペリティーボしない?」という誘い文句。
なるほど、アペリティーボという習慣はまことに便利である。
ディナーまではまだ一緒に行く勇気がなくても、宵の時間をゆったり過ごせるのである。
永遠に続くかに思われた陽気な夏の日は、少しずつ幕を下ろそうとしていた。
ふと寂しさが込み上げるのは、子供の頃に過ごした日本の夏の終わりを思い出すからであろうか。
夢中になって野や山で遊んだ子供時代、ふと気づくとひぐらしの声が鳴り響いていた。
「帰れなくなる前に帰れらなくては」と、夕闇の中、両親の待つ家に急いだ。
その時の幸福な子供は、もういない。
今ここにいるのは、異国で生きる一人の女である。
寂しい、その言葉を隣にいる人に、まだ言ってはいけない気がして飲み込んだ。
私たちの美しい時間が永遠に続きますように。
長い夜、ちょっと苦いアペロールを口に含みつつ、今この時をできるだけ長く味わいたい。
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