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【後編】1997 ファッションビッグバン(1997 Fashion Big Bang):パリ・ガリエラ美術館にて開催、ファッション史上の分岐点を辿る展示

【前編】に引き続き、【後編】でも1997年の軌跡を辿るFashion Big Bang展を紹介していきたい。


1. Les défilés haute couture automne-hiver 1997-1998

続いて展示は、1997-1998年秋冬のオートクチュールに移る。


1997年、クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix;1951-)はメゾン設立10周年を迎えていた。

1990年代初頭、彼女の作品はミニマリズムに落ち着く傾向があったが、この1997年のオートクチュールでは、彼女がメゾン創設当初から見せていた華やかさを存分にアピールするものとなった。

(Christian Lacroix, Haute couture Automne-hiver 1997-1998, Passage n 49, corselet et jupe/ Christian Lacroix, Haute couture Automne-hiver 1997-1998, Passage n 49, robe butrier et étole)

豊かな色彩センスを持つクリスチャン・ラクロワは、ナポリのサントン人形(クリスマスの置物)に着想を得て、キュートでボリュームのあるビスチェやスカート、リボンで留められたアシンメトリーなドレープなどを取り入れた作品を、演劇と音楽、ダンスと歌を融合させたスペイン伝統的な小歌劇サルスエラ(Zarzuela)のような雰囲気の中で発表した。





アレキサンダー・マックイーンは、最初のコレクションの酷評から学び、メゾン・ジバンシィの過去に背を向け、自身が敬愛する職人やお針子へのオマージュを捧げ、次のコレクション「エクレクト・ディセクト」を完成させた。

ここでは、19世紀を彷彿とさせる衣装に、猛禽類の角や爪、頭蓋骨などエキゾチックかつグロテスクなモチーフが組み合わせられている。

( Givenchy par Alezander Mcqueen, Haute couture, Automne-hiver 1997-1998, Passage n 38, robe, collerette, bijoux d'épaules et paire de gants à crispin/ Nicolas Jurnjack pour Givenchy, Haute couture Automne-hiver 1997-1998, perruque/ Givenchy par Alexander Macqueen, Haute couture Automne-hiver 1997-1998, passage n18, manteau, bibi et collier)

メアリー・シェリーの小説『フランケンシュタイン』(Frankenstein;1818)や、ロバート・ヴィーネの映画『カリガリ博士』(Das Cabinet des Doktor Caligari;1920)の世界観に着想を得たこのデザイナーは次のようなストーリーをコレクションに添えた:

「世界中を旅した狂気の外科医は、体のパーツとひらめきを持ち帰り、フランケンシュタインのようにそれらを組み合わせる実験を始めた。

これらの「実験」に命が吹き込まれ、ファッションショーが始まった。」

まるで組み立て方を間違えた人体模型のように、自然界の法則ではあり得ないような構造、まるで驚異の部屋の中身をひっくり返したかのようなユニークな服が並んでいたのであった。


アイスランド出身の歌手ビョーク(Björk)の最も有名なアルバムのひとつである『Homogenic』

アルバムのジャケットデザインのために、この歌手は、雑誌『Visionnaire』に掲載されたアレキサンダー・マックイーンの作品写真を見て、アレキサンダー・マックイーンに連絡を取った。

(Alexander Macqueen, 1997, Kimono et ceinture portés par Björk)

彼女は「唯一の武器として愛を持つ戦士」(warrior with love as her only weapon)として登場したいという希望をクリエイターに伝えた。

ビョークは、90年代後半の多文化主義に忠実であったことから、日本の着物をモチーフにしたドレスを身にまとい、ンデベレ族(Ndebele;南アフリカ)やビルマ族が身につけるようなネックレスをつけ、ネイティブ・アメリカンのホピ族やテワ族を彷彿とさせる丁寧に彫られたヘアスタイルで登場した。

日本人から見ると肩が大きくあいた着物は奇異に写るかもしれないが、まずは日本の文化に好意的に興味を持ってくれる海外のアーティストがいることに感謝したいところ。

このビョークによる文化的ミックスは、このアルバムのジャケット作成の2ヶ月前にアレキサンダー・マックイーンが古今東西様々なものを取り入れつつジバンシィのために発表した「エクレクト・ディセクト」コレクションと共通するところが多いものである。





2.ジャンニ・ヴェルサーチ暗殺事件、最期のコレクション

1997-1998年秋冬のオートクチュールウィークの幕開けを華々しく飾ったのは、当時絶頂期にあったジャンニ・ヴェルサーチ(Gianni Versace)だった。

ジャンニ・ヴェルサーチは、ガリエラ宮で開催された特別展「ジャパニズムとファッション」(Japonisme et mode;1996年)と、ニューヨークのメトロポリタン美術館で開催された特別展「ビザンツの栄光」(The Glory of Byzantium;1997年)といった二つの展示に影響を受け、神秘的かつ宗教的なコレクションを作り上げた。

( Atelier Versace, Haute couture Automne-hiver 1997-1998, robe)

カラブリア出身のジャンニ・ヴェルサーチは、1978年にミラノでプレタポルテ・ブランドを立ち上げ、ミラノの一等地スピガ通りに店を構えた。

未だイタリアの経済やトレンドを兼任するのは、ローマを除けばミラノやトリノであった1980年代において、ジャンニ・ヴェルサーチは、「南イタリアの」デザイナーとして大きな成功を収めた。

このコレクションでは、刺繍をあしらったプリントや挑発的なドレス、アシンメトリーやグラフィックがふんだんに使われた煌びやかなドレスが発表された。


(Versace, Haute couture, Automne-hiver 1997-1998, Extrait du final de la vidéo du défilé)


ところがこのオートクチュールのランウェイショーの9日後の1997年7月15日、ジャンニ・ヴェルサーチはマイアミの別荘の外で、狂信的な信望者であったアンドリュー・クナナンに暗殺された。

ヴェルサーチファミリーのブティックはすべて閉じられ、数々のファッションイベントがキャンセルされた。

そのあまりにも悲劇的で理不尽な天才の死は、ジョン・レノンのような大物セレブリティのそれと重なり、2018年にはテレビシリーズ『アメリカン・クライム・ストーリー』の題材となった。

参考:

このドラマシリーズは、ヴェルサーチ暗殺という事件をもとにアメリカ社会に根付く人種差別と性的マイノリティーに対する差別が巧妙に描いていると同意に、現在のヴェルサーチを率いるドナテッラ・ヴェルサーチの苦悩もひしひしと伝わってくる作品となっている。


こちらの映像は、ミラノの大聖堂にて行われたジャンニ・ヴェルサーチの葬儀の様子。

この葬儀にはダイアナ元妃など、世界中の著名人たちが出席し、ジャンニ・ヴェルサーチの死を悼んだ。


こちらはジョルジョ・アルマーニがヴェルサーチに捧げたファッションイラスト。



ところがプリンセス・ダイアナもそのわずか1ヶ月後の1997年8月31日、パリで発生した交通事故で命を落とすことになる。

ダイアナの死については、幼かった筆者も流石に鮮明に覚えている。

夏休み最後の日、筆者の母親の付き添いで行った病院の待合室にて、繰り返しダイアナが巻き込まれた事故、およびその死に慟哭する英国人たちの姿がテレビのブラウン管から繰り返し流れてきていた。

それから間も無くして、小学生向けの歴史漫画でダイアナが取り上げられるなど、急に「今」が「歴史」になった瞬間を幼いながらに感じたのであった。



3. Les défilés prêt-à-porter printemps-été 1998

そして最後のブースにあたる1998年の春夏コレクションを扱った部屋へ。



ジェレミー・スコット(Jeremy Scott;1975-)は、1998年春夏シーズンにて、「リッチ・ホワイト・ウーマン」というタイトルのコレクションで自身の名前を冠したブランドをデビューさせた。

( Jeremy Scott, Prêt-à-porter Printemps-été 1998, collections 《Rich White Women》, Robe bustier à gants ailés/ Combination-pantalon et étole)

アメリカ生まれのジェレミー・スコットは、この時、ジャンポール・ゴルチエのもとでインターンを終えたばかり、わずか22歳の若さでコレクションデビューを果たしたわけだが、いかに早熟なデザイナーであったことかが分かる。

アメリカのファッションの過剰なマーケティングから逃れたい彼は、ベルギー、日本、イギリスのデザイナーのスタイルに魅了されつつ、エキセントリックな表現を経て徐々に軽快なスタイルへと自身のデザインを進化させていった。



ビートルズのポール・マッカートニー(Paul McCartney)の娘であるステラ・マッカートニー(Stella McCartney)は、25歳の若さでカール・ラガーフェルドの後任としてクロエのトップに就任した。

先程のジェレミー・スコットといい、1997年は若き才能が華々しく開花した年でもあった。

(Chloé par Stella Maccartney, Prêt-à-porter Printemps-été 1998, Robe lingerie courte/ Robe corsetée courte)

ステラ・マッカートニーは、1990年代にはやや軽視されていたコットンとリネンにこだわり、クロエでのデビューコレクションを完成させた。

ベジタリアンである彼女は、クロエのすべてのコレクションからレザーと毛皮を追放した。



アメリカのダンサー・振付師マース・カニンガム( Mercier "Merce" Philip Cunningham;1919-2009)は、しばしば偶然性を取り込み、ランダムな動きに従って振付を決定させた。

彼は、この「予期せぬこと」という概念を表現するために、ダンサーたちには作品の期間だけを知らせ、振り付けや衣装、セットなどについては自由に提案させた。

このようにユニークな表現活動を行うマース・カニンガムは、川久保玲の1997年春夏コレクションの歪んだシルエットに魅了され、新作バレエの衣装とセットの制作を依頼した。

こうして生まれた『シナリオ』は、ファッションとコンテンポラリーダンスの結びつきを示すものであり、川久保玲は、マルセル・デュシャンやアンディ・ウォーホル、ジョン・ケージなど、マース・カニングハムとコラボレーションしたアーティストに並ぶことになった。

(Merce Cunningham, Scenario, 1997, reprise en 2019 par le Ballet de l'Opéra de Lyon, Costumes et scénographie de Rei Kawakubo, musique de Takehisa Kosugi, Wave Code A-Z, 1997)


参考:

「カニングハムの『ファブリケーションズ」を再構築、洗練された動きで美しいラインを描いた」『Chacott』(2016年9月12日付記事)



1997年、バレンシアガはジョセフス・ティミスター(Josephus Thimister; 1962-2019) の後任となるディレクターを探していた。

ヘルムート・ラング(Helmut Lang)やヨウジヤマモトも候補に上がったが、最終的に6ヶ月の試用期間のチャンスを得たのは、ニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquière;1971-)であった。

(右二つ Balenciaga par Nicolas Ghesquière, Prêt-à-porter Printemps-été, 1998, Robe cape sur l'aant et robe/ Balenciaga par Nicolas Ghesquière, Prêt-à-porter, Printemps-été 1998, Robe courte et paire de sandales à talons Chistian Louboutin/ 左奥に映るのがJosephus Thimisterの作品)

成功を収めたこのコレクションは、ニコラ・ジェスキエールのバレンシアガ
での16年間のキャリアの幕開けとなった。

またちょうどこれらのドレスの隣にありながらも、ちょうど見切れてしまい残念なのだが、ニコラ・ジェスキエールは、1998年1月18日のグローブ賞授賞式の際にマドンナのために特別にドレスを作成している。

マドンナは有名デザイナーのドレスではなく、この若きデザイナーのドレスを「中世的でゴシックでありながらも新しいルック」(new medieval and Gothic look)として評価した。

この世界観は、マドンナ自身が砂漠で黒衣をまとった魔女として登場する曲『Frosen』(1998年2月)のビデオの美学に対応していた。

参考:「Fashion: The man who turned Madonna into a Goth」『Independent』(1998年5月5日付記事)


以上、【前編】【後編】にわたってガリエラ宮で開催されたファッション史上に爪痕を残した1997年についての特別展を特集した。

1997年と言う時代は、それぞれの人によってその距離感も様々な年であるだろう。

ものすごく昔というわけではないが、明らかに、通信機器から価値観までありとあらゆるものが2023年の今とは異なる時代である。

そこには1997年だからこそ成立した偶然もあると同時に、その時代を生きた天才同士の出会いと別れもあった。

この展示は、1997年を古き良き時代として懐かしむだけのものではない。

1997年とは明らかに別の段階に移った今のファッションの世界の課題(ジェンダー、人種、多様性、環境など)を、1997年というレンズを通して考える必要があるのではないか、と思ったのであった。



1997 Fashion Big Bang

会場:ガリエラ宮(Palais Galliera)

住所:10 Av. Pierre 1er de Serbie, 75116 Paris, France

開催期間:2023年3月7日から2023年7月16日まで

公式ホームページ:plaisgalliera.paris.fr

チケット料金:15ユーロ(一般)、13ユーロ(割引)



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