見出し画像

【前編】ダル・クオーレ・アル・マーニ(Dal cuore al mani, Dolce&Gabbana):ミラノにて開催、ドルチェ&ガッバーナの精神と手仕事を考察する特別展

シチリア出身のドメニコ・ドルチェ(Domenico Dolce;1958-)とミラノ出身のステファノ・ガッバーナ(Stefano Gabbana;1962-)が1985年に立ち上げたブランド、ドルチェ&ガッバーナ(Dolce&Gabbana)

ミラノのレアーレ宮では、現在、このドルチェ&ガッバーナの煌びやかなアルタ・モーダの世界観を元にした特別展ダル・クオーレ・アル・マーニ(Dal cuore al mani, Dolce&Gabbana)が行われている。

今回のnoteからは、そんなドルガバの特別展を全3回に分けてレポートしていきたい。



1. 「イタリア発の」オートクチュール

まごうことなきオートクチュールの本場であるパリ。

そんなパリのオートクチュールのスケジュールを尻目に、ドルチェ&ガッバーナは、2012年より、独自のオートクチュールとしてレディース向けにアルタ・モーダ、メンズ向けにアルタ・サルトリアコレクションを発表し続けている。

ミラノのポルタ・ヴェネツィアにあるメトロポルにて、メンズとレディース合わせて年に2回発表されるプレタポルテコレクションとは別に、ドルガバのアルタ・モーダおよびアルタ・サルトリアは、世界中の顧客一人一人の人生を彩るドレスやスーツを提供するセクションである。

それはただのファッションショーではない。

ドルガバのアルタ・モーダとアルタ・サルトリアでは、毎回、そのテーマに合ったイタリア各地の歴史的建造物や遺跡が会場に設定される。

そこにはドルガバの作品を愛し、注文する顧客が世界中から招待され、ショーの後には顧客をもてなすための豪華な晩餐会が行われ、まさにそれは数日がかりの祭典なのである。

この二人のイタリア人デザイナーは、過去に人種差別や右寄りの政治思想が見える言動で問題になったこともあるが、クチュリエやテーラーとしての腕やセンスを称賛する人は多い。

ダル・クオーレ・アル・マーニ(Dal cuore al mani)、すなわち「心から手仕事へ」と題された本展では、この2人のデザイナーのアイディアの源を、高度な技術を持つ職人によって一つ一つ作られた選りすぐりの作品から振り返るものである。



本展のキュレーションを務めたのは、フローレンス・ミュラー(Florence Müller)である。

このフローレンス・ミュラーは、パリの装飾美術館(2017年)や日本の東京都現代美術館(2022年)にて行われた「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ」展のキュレーションも担った人物である(もっとも、日本での展示では、そのチケットが高額転売されていたニュースも記憶に新しい)。


フローレンス・ミュラーは、本展のキュレーターを務めるにあたり、まずドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナが製作を行う場であるアトリエを訪れたという。

様々な色の生地や素材を使って、まるで魔法のように作られていく服飾品。

デザイナーのアイディアや思想を形にするのは、一人一人の職人の手仕事、揺るがない技術である。

フローレンス・ミュラーは、ドメニコとステファノのアイディアが生まれる過程や思考プロセスを浮き彫りにするために、注意深くアトリエを観察した。

ドルガバのアルタ・モーダとアルタ・サルトリアは、毎回イタリアの文化や歴史的モチーフがテーマとされているために、コレクションではドルガバが解釈したイタリアの文化と歴史が再現されている。

本展では、このようなドルガバの過去のコレクションを元にして、展示ブース一つ一つもイタリアの文化や歴史へのオマージュとなっている。

この展示を通じてイタリアの文化的豊かさを語るフローレンス・ミュラーによると、イタリアの文化的豊かさを語り、過去は死なない、過去はアルタ・モーダを通して再び生きることができるとのこと。

筆者の個人的な研究の話になるが、実は2021年に筆者は、ドルチェ&ガッバーナのコレクションを考察対象として「なぜイタリアのファッションブランドは、歴史的モチーフを繰り返ししようするのか」ということを論じた論文を刊行している。

参考:

増永菜生「「『イタリアらしさ』が生まれるとき―2010年代後半のドルチェ&ガッバーナのショーを例に」『vanitas』No. 007、アダチプレス、2021年。

フローレンス・ミュラーは、イタリアの歴史・文化遺産は素晴らしいと単に言い切っているだけのような印象を受けるのだが、拙稿では「ではなぜ、そのイタリアの遺産を外に向けて発信する必要があるのか。それが持つ影響とは」ということについて掘り下げて論じているので興味のある方は参照していただきたい。

ちょっと脇道に逸れてしまったが、次の章から、本展の展示の内容を実際に見ていくこととしよう。




2. 手仕事(Fatto a Mano)

ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナにとって、刺繍、皮、ビーズなど様々な分野のイタリアの職人たちの技術、「fatto a mano」(ファット・ア・マーノ、手仕事、ハンドメイド)はなくてはならないものである。

このイタリアの職人たちの技術は、イタリア半島の北から南までそれぞれの地方において長い年月をかけて培われてきたものである。

また会場入ってすぐのこの部屋は、18世紀にヨーロッパ貴族の若者たちがイタリア文化や芸術を堪能するために行った旅、グランドツアーをモチーフにしており、職人たちの技術によってその旅の様子が再現されている。

それぞれの服の中には、アルベロベッロのトゥルッリ、フィレンツェのヴェッキオ宮殿や大聖堂、ヴェネツィアのサン・マルコ広場とカーニバルなど様々なイタリアの風景が刺繍やアップリケ、レース、ビーズなどで再現されている。

これらの洋服は単に装飾が華やかなだけではなく、カッティングやドレープなどの技術も見事である。


この部屋の壁に飾られる絵を描いたのは、アーティストであり女優でもあるアン・デュオン(Anh Duong;1960-)である。

1988年にニューヨークでアーティストとしてのキャリアをスタートさせたデュオンは、幻想的な世界観の自画像を描く一方で、自身の日常的な生活を通して自画像を描くなど、自画像のあらゆる側面を探求した。

2012年から2024年にかけて制作された彼女の自画像シリーズでは、彼女自身が、ドルチェ&ガッバーナのアルタ・モーダコレクションを身に纏った姿が描かれている。

海外の中で、タオルミーナ、ミラノ、ヴェネツィア、カプリ島、ポルトフィーノ、ナポリ、パレルモ、コモ湖、アグリジェント、フィレンツェなどといったイタリア各地を背景に煌びやかな洋服を着たアン・デュオン。

その姿は、まるで18世紀のグランドツアーに出かけた貴族の肖像画のようである。

18世紀当時、貴族の若者たちの間では、グランドツアーに出かけた先でポーズを取り、それを肖像画に描かせることが流行していたのである




3. ガラスの芸術とクラフトマンシップ(L'arte e la maestria del vetro)

ヴェネツィアングラスといえば日本でも有名かもしれないが、ヴェネツィアのガラス工芸もドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナが注目するイタリアの技術の一つ。

(よくイタリアの邸宅美術館の中にあるヴェネツィアングラスのシャンデリア、かわいい)

ここに展示される服は、まるで鏡のような質感のファブリックやメタリックなフラワーのビジューがついた服などどれも煌めいている。

このブースの装飾やドレスに使われるガラスを担当したのは、その起源はなんと1295年に遡るとされているヴェネツィアで老舗のガラス工房を営むバルビエ&トーゾ(Barovier&Toso)である。

トレヴィーゾ出身のバルビエ家は、17世紀にはヴェルサイユ宮殿の鏡の回廊の装飾にも関わったとされている。

一族は唯一無二のデザインと確かな技術で着実なものづくりを続けてきたが、1936年、バルビエ・アートガラス工房(Vetreria Artistica Barovier)は、フェッロ・トーゾ(Ferro Toso)と合併、その後、1942年に社名をバルビエ&トーゾ(Barovier & Toso)に変更し、今に至っている。

現在この会社を守るヴィンチェンツォ・バルビーニ(Vincenzo Barbini)とジョヴァンニ・バルビーニ(Giovanni Barbini)は、700年以上続く一族の技術と創造性を受け継ぎ、日々、ガラスを作り続けている。

ガラスといえば、室内装飾や食器として使われるのが常であるが、ドルガバの手にかかればそれは身につける装飾品になる。

ドルガバのアトリエで働く職人が、この一つ一つのガラスを手で縫い付ける。

気が遠くなるような作業であるが、理想の美を具現化するためにはどんな手間も費用も惜しまないドルガバの精神がここに見えるのである。



4. 山猫(Il Gattopardo)

ルキーノ・ヴィスコンティ監督の代表作でもある、19世紀半のイタリア統一運動の頃のシチリアの貴族社会とその没落を描いた映画『山猫』(Il Gattopardo;1963年)。

ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナはこの映画の大ファンであるとのこと。

このブースはそんなヴィスコンティの世界観で作り上げられている。


この映画は、1860年代から1870年代にかけてイタリア統一運動が激しさを増し、イタリアの社会が急速に変わっていく中で、13世紀から続くシチリア貴族のファブリツィオが、消えかける蝋燭の炎のように、貴族としての自分の美学と矜持を貫く話である。

これまでシチリアを統治していたブルボン王朝がイタリア統一運動の影響を受けて撤退したことを機に富と力を蓄えたドン・カロージェロ・セダーラや、シチリアにやってきたガリバルディの軍に加わったファブリツィオの甥タンクレディ(役アラン・ドロン)は、貴族社会へのノスタルジーの中に生きるファブリツィオとは対照的な存在である。

このブースは、そのように新しい時代に生きることを選んだセダーラの娘アンジェリカとタンクレディの結婚を祝福する舞踏会のシーンをドルガバ風に解釈して作られている。

その舞踏会のシーンは、パレルモのガンギ宮殿(Palazzo Gangi)で撮影されており、このブースも宮殿風の作りとなっている。



会場に流れる音楽も舞踏会のシーンのものであり、タンクレディとアンジェリカの二人をイメージしたドレスが堂々と展示される。


力強くもどこか可憐なこのドレスは、気高く美しいアンジェリカの人間性を表しているようであった。



5. 献身(La Devozione)

ドルチェ&ガッバーナの多くの作品において、聖なるハートのモチーフは、衣服やハンドバッグ、そして香水ボトルなどあらゆるところに使われている。

この生命と愛のシンボルであるハートは、ドルガバにとって、芸術に自分自身を完全に捧げることなく創造性は生まれることはない、つまり芸術への「献身」を意味するものである。

黒と金の厳かだが、どこか芝居がかった何体ものドレスで取り囲まれた金のハート、まるで「手仕事」の神を祀る祭壇のようである。



6. サルトリア、装飾品とボリューム(La Sartoria. Ornamenti e Volumi)

黒と金のブースから一転、ここはドルチェ&ガッバーナのアトリエを再現したブースである

ここでは働き者の職人たちを元気付けるかのようにルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti)の『Buongiorno a te』の歌が流されていた。

ちなみにこの曲は過去にヌテラを使った朝食シーンのCMに使われるなど、イタリアの1日の始まりとして想起される曲である。


思い返せば、パリのアズディン・アライア財団やイヴ・サンローラン美術館、そしてギャラリー・ディオールにもこのようなデザイナーたちのアトリエを再現したブースがあった。

ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナのアイデアとデザインが、熟練した職人たちによって形となるアトリエ、現在120人もの職人が働いているという。

職人たちは、刺繍、レース、ビーズ細工などそれぞれが高度な技術を持って、一枚一枚の服を顧客のために仕上げている。

本展のこのブースのために、アトリエの一部がここに移され、実際の制作過程の一端を鑑賞できる仕様になっているとのこと。

またここで制作されているのは黒いドレスである。

労働者階級の女性が着る少し色褪せた黒、ヴェネツィアの高貴な生まれの女性がかぶるヴェールの黒、そしてイタリア映画の中のシチリアの未亡人が着る黒など、イタリアの黒といえば様々なシチュエーションが思い浮かぶ。

ドメニコ・ドルチェとステファノ・ガッバーナにとっての黒は本質を表す色、それゆえに混じり気のない純粋な色であり、それを身につける女性が、自分自身の個性を肯定することを可能にする色なのである。



ここまででも盛りだくさんの内容で紹介を進めてきたが、まだ【中編】【後編】と続くのでお楽しみに。



Dal cuore al mani, Dolce&Gabbana

会場:レアーレ宮(Palazzo Reale)

住所:P.za del Duomo, 12, 20122 Milano, Italy

会期:2024年4月7日から7月31日まで

開館時間:10:00-19:30(木曜のみ22:30まで、月曜休館)

入場料:15ユーロ(一般)、13ユーロ(割引)

公式ホームページ:milano.dolcegabbanaexhibition.it


参考:「【インタビュー】モードを復活させたクチュリエ、クリスチャン・ディオールという伝説」(2022年12月27日付記事)『Fashionsnap.com』(フローレンス・ミュラーのインタビュー)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?