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【前編】ネッキ・カンピリオ邸(Necchi Campiglio):ミラノが誇るアール・デコ建築の邸宅美術館

ミラノには大小様々な美術館や博物館が存在しており、筆者がお気に入りの施設はいくつもある。

その中でも邸宅美術館、つまり個人のコレクションや不動産をもとに作られた美術館が、最近特に気になっている。

というのもこのような邸宅美術館には、そのコレクションを集めた個人のストーリーやセンス、およびその建物が建てられた時代背景が反映されており、調べれば調べるほど興味深いからである。

今回のnoteでは、そんなミラノの邸宅美術館の中でも、イタリア合理主義とアール・デコを融合した建築家ピエロ・ポルタルッピ(Piero Portaluppi)による傑作として名高いネッキ・カンピリオ(Necchi Campiglio)邸を紹介していきたい。




1. ネッキ・カンピリオ(Necchi Campiglio)邸の歴史とコレクション

絵画、彫刻、家具など貴重な品々を所有するネッキ・カンピリオ邸を知る上で、この邸宅を所有していたネッキ姉妹について語るべきであろう。

1930年、ネッダ・ネッキ(Nedda Necchi)とジジーナ(Gigina Necchi)の姉妹は、 ジジーナの夫アンジェロ・カンピリオ(Angelo Campiglio)とともにミラノに土地を購入し、有名な建築家ピエロ・ポルタルッピに新しい家の設計を依頼した。

1932年から1935年にかけて建設されたこのネッキ・カンピリオ邸は、当時としてはプライベートプールや体育館、映写室、インターホン、そしてエレベーターなどかなりモダンな要素を取り入れていた。

ただこの邸宅は、エレガントなだけではなく快適に住むことができる住まいとして設計されたものであった。

1993年にネッダが、2001年にジジーナが亡くなると、ネッキ姉妹の遺言により、イタリア環境基金(通称FAI;Fondo Ambiente Italiano)がネッキ・カ
ンピリオ邸を相続し、建築家ピエロ・カステッリーニ(Piero Castellini)による丹念な修復作業を経て、2008年より一般公開された。

かつてネッキ姉妹は、ジャン・アルプ(Jean Arp)、ルチオ・フォンタナ(Lucio Fontana)、ルネ・マグリット(René Magritte)の作品を所有していたが、残念ながらジュゼッペ・アミサニ(Giuseppe Amisani)が描いた「リシュリュー枢機卿」(Il Cardinale Richelieu)を除き、それらのコレクションは失われてしまった。

しかしネッキ・カンピリオ邸には、ウンベルト・ボッチョーニ(Umberto Boccioni)やジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio De Chirico)など20世紀初頭の芸術家たちの作品を含むクラウディア・ジャン・フェラーリ・コレクション(Collezione di Claudia Gian Ferrari)や、18世紀の傑作130点(絵画、フランスの家具、陶磁器、中国磁器、細密画など)からなるアリギエロ&エミリエッタ・デ・ミケリ・コレクション(Collezione Alighiero ed Emilietta de’ Micheli)などが所蔵されている。

その上に2017年には、グイド・スフォルニ・コレクションもネッキ・カンピリオ邸のコレクションに加わり、まさに小さいながらも驚くほど充実した内容の美術館がここに完成したのであった。

個々の部屋の説明に入る前に簡単にネッキ・カンピリオ邸の全体の構造を説明しておくことにしよう。

邸宅は、立派なベランダのある応接スペースとして使われる1階(piano rialzato)、寝室がある2階(primo piano)、使用人専用の屋根裏部屋、娯楽スペースがある地下室で構成されている。

内部装飾はアールデコの要素で構成されているが、1938年に部屋の改装を依頼された建築家トマソ・ブッツィ(Tomaso Buzzi)が、18世紀にインスパイアされたスタイルを取り入れたために、一部、18世紀のフランスのシャトーのような内装の部屋もある。

前置きが長くなったが、実際に部屋の中を見ていくこととしよう。



2. 図書館(Biblioteca)

邸宅に入って右手に進むと、重厚な図書館に圧倒される。


この図書館では、邸宅を設計したピエロ・ポルタルッピ(Piero Portaluppi)のこだわりを随所に垣間見ることができる。

天井の装飾は菱形の幾何学的形状となっており、ポタルッピは、このモチーフを家の様々な部屋で使用している。


またこの図書館の一角には、建築家グリエルモ・ウルリッヒ(Guglielmo Ulrich)がデザインした、天板が緑のベルベット、脚がブロンズ箔で覆われたゲームテーブルがある。

ネッキ・カンピリオ家の人々が暮らしていた当時、しばしば友人を招いてトランプでのゲームが行われており、ゲームのマニュアルも作成されていた。




暖炉もポタルッピの設計によるもので、木製のパネルにはめ込まれ、一枚の壁のようになっている。


この写真の中央を見ても分かるように、ポタルッピは、図書館の一角にガラス張りの窓を設けることで、隣接するサロンが見えるようにした。

図書館の暖炉の前でお茶を飲みながら、同時に、サロンの窓の外に広がる庭の眺めを楽しむことができるのである。



壁一面に並ぶ蔵書は、小説(主にフランス語)、美術書(主にイタリア語)、旅行記などとそのジャンルも様々である。

この家には、スペインのフアン・カルロス(Juan Carols)、ブルガリアのシメオン(Simeone)とその妻マルガリータ(Margarita)、サヴォイア家の人々(従姉妹のサヴォイア家のマリア・ガブリエラとハインリヒ・フォン・ヘッセンは、この家でゲストルームを与えられていた)などが、ネッキ・カンピリオ家の友人として訪れた。

またこの部屋には、ネッキ・カンピリオ家所蔵の調度品とともに、ゼニア家(Zegna)から寄贈された18世紀の陶磁器なども展示されている。



3. 緑のベランダ(Veranda)

ガラス張りの壁とセージグリーンの壁紙、S字型ソファ、床のロハグリーンの大理石… この目にも鮮やかなベランダは、ネッキ・カンピリオ邸の見どころの一つである。

筆者が訪れた時、最初は曇っていたのだが、徐々に晴れてきて、柔らかな冬の光が差し込んできた。

幾何学的な形状で構成されるベランダの中では、ガラス越しに見える植物、室内装飾や調度品などより様々なグリーンを見ることができる。

1935年には建築家フランコ・アルビーニ(Franco Albini;1905-1977)とジャンカルロ・パランティ(Giancarlo Palanti;1906-1977)が設計した1930年代の貴重なキャビネットが置かれていたが、残念ながらそれは失われてしまった。

今では、その代わりに18世紀の漆塗りの家具や18-19世紀の中国の壺が置かれており、ネッキ・カンピリオ家の東洋の文化に対するへの情熱を伺うことができる。

またこのベランダにはジャン・フェラーリ・コレクション(Collezione Gian Gerrari)のアドルフォ・ヴィルト(Adolfo Wildt;1868-1931)の1930年の彫刻作品『純粋なる狂人』(Il puro folle)やファウスト・ピランデッロ(Fausto Pirandello;1899-1975)の『髪をとかす女性たち』(Donne che si pettinano;1937年頃)が展示されている。

(左 A. Savinio, Idylle marine, 1931)

この広いガラス張りの部屋にニッケルシルバー(ニッケル、亜鉛、銅からなる非常に耐性のある金属合金)の折れ戸を導入することで、このガラス張りの部屋のセキュリティ対策がなされた。

ポルタルッピは、窓とドアに並々ならぬこだわりを見せており、実用性と装飾的価値の両立をこのベランダで実現用しようとした。

実際、彼は次のような言葉を残している。

「現代の家にとって、窓とドアがすべてである。それぞれの施錠装置を完璧なものにするためのカルト、注意深さ、精密さによって、家は、貴重な箱になるのである」(La casa moderna è tutto un serramento; il culto, la cura e la precisione nel perfezionare ogni ordigno di chiusura, hanno fatto della casa una scatola preziosa)



4. サロン(Salone)

図書館の隣にあるこちらのサロンは、1946年から1957年にかけて建築家トマソ・ブッツィ(Tomaso Buzzi;1900-1981)が改築した箇所である。

またこの部屋の中には、クラウディア・ジャン・フェラーリ・コレクションより、ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico;1888-1978)の絵画2点やジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi; 1890-1964)の絵画が飾られている。

(右奥に映るのはGiorgio Morandi, Natura Morta, 1938)
(奥にあるのはG. de Chirico, Ritratto di Alfredo Casella (1924))

もともとこのサロンにあった1930年代の家具は、ミラノの上流社会の人々の間で戦後に流行した18世紀風の、よりアンティークなスタイルに一新された。

デザイナー、装飾家、修復家、庭園設計家として活動したトマソ・ブッツィは、1932年から1934年にかけてヴェニーニ(Venini)ではアート・ディレクターとして、またミラノ工科大学ではライフ・ドローイングの教授を務めた。

この写真の左側に映る大きな鏡と金箔を施した木枠もブッツィが手がけたものであり、その奥には図書館が見える仕様となっている。

邸宅をアンティーク風にしていく過程で、ブッツィはサロンのドアと窓にフリンジと襞と花の刺繍が施された大きなドレープカーテンを取り付けた。

さらにブッツィは、ポータルッピがこの部屋のためにデザインした3つの傘のランプを、ルイ15世様式のシャンデリアに取り替えた。

部屋ごとに全く違ったスタイルを持つのもこの邸宅の面白いポイントである。



5. 書斎(Studio)

これまで見てきた図書館やサロンとは、エントランスを挟んで同じ地上界の反対側にある書斎。

この部屋は、ジジーナ・ネッキ(Gigina Necchi)の夫アンジェロ・カンピリオ(Angelo Campiglio)の書斎である。

もともと婦人科と腫瘍学を専門とする医師出会ったアンジェロ・カンピリオは、医師の職を辞し、義父の後を継いで家族経営の鋳物工場NECAを経営を行うようになった。

アンジェロは、早朝から仕事を始め、生産拠点であるパヴィアや、建築家であり友人でもあるアルド・ポッツィ(Aldo Pozzi)が設計したミラノのコルソ・マッテオッティにあるオフィスに通った。

ネネという愛称で呼ばれていたアンジェロは「カリスマ性があり、工場でも人望が厚く、知的で、賢明な助言と良識を備えた人物」だったともっぱら評判の人物で合った。

また1939年にアンジェロは、ヴァレーゼ地方のバラッソにあるコッレ・サン・マルティーノに建築家トマソ・ブッツィ(Tomaso Buzzi)に依頼して一家の別荘を建てている。

FAIは、修復工事の際に、1930年代当初にポルタルッピがこの邸宅を建設した当時の姿を取り戻すことを第一とした。

FAIはまた、ジョヴァンニ・ソッチの有名なトスカーナの工房で製作された、帝政後期のマホガニー製机も修復した。

さらにネッキ姉妹からFAIに邸宅が寄贈された時に残されていた書類や個人の品々は、FAIによって目録にまとめられ、保存された。

部屋の壁をすっぽりと覆うローズウッドの羽目板の裏には、金庫、アンジェロの専門的なアーカイブ用のキャビネット、そして彼の眼鏡や様々な私物が保管されている引き出しが隠されている。


6. オフィス(Office)

書斎を出て右手に進むと、この邸宅を支える使用人たちが働く仕事部屋に行き着く。

これらの仕事部屋から各フロアにつながる階段によって、使用人たちは効率的に仕事をこなすことができるだけではなく、ポルタルッピはフェイクの大理石をこの階段に使うなどして、使用人用の階段ですらエレガントに仕上げた。

それにしても食器の数が多く、頻繁に来客があったことを伺うことができる。

またポルタルッピは、使用人たちが使いやすように、機能性に優れた棚や仕切りを作ることに努めた。

さらに各部屋にはベルがついており、それは速やかにこの仕事部屋に届くようになっていた。

この邸宅が建てられた1930年代、チーズのフリット、鳩の甘酢漬け、ウサギのフライパン焼き、デザートの栗のキャラメル煮など、乳製品や肉をふんだんに作った料理が作られていた。

しかし、第二次世界大戦中、油とバターの使用はどんどん制限されていき、生菓子、クリーム、パネトーネの製造は禁止されてしまった。

邸宅美術館にはこのような使用人が働いていたブースが必ずある。

邸宅の主人たちが使う瀟洒な部屋と、使用人が使う簡素で機能的な部屋の対比もまた興味深い。



7. 昼餐の間(Sala da pranzo)

こちらの煌びやかなテーブルセットがある部屋は昼餐の間である。

また部屋の大きな窓からは、庭のスイミングプールを眺めることができる。

(昼餐の間から眺めた庭のプール)

1930年代当時、田舎の邸宅ではプールが普及し始め、都会では養魚池や子供の遊び場としてプールが作られるようになっていた。

プールの他にもこの邸宅にはテニスコートもあり、テニスは1920年代から上流中産階級の間で広まったこのスポーツでもあった。

ネッキ姉妹は、サヴォイア王家の大臣であったルチフェロ・ファルコーネ(Falcone Lucifero)の助言を元に、有名な実業家やロンバルディアの貴族、さらにはヨーロッパの王族などを晩餐会や様々な行事に招いた。

提供するメニュー、利用するサービス、ゲストに割り当てる席次などについて、ネッキ姉妹は使用人たちに細かに指示を出した。


この部屋の家具は、モンツァの建築家ミケーレ・マレッリ(Michele Marelli)によるもので、クリストファー・コロンブス(Cristoforo Colombo)の冒険譚をモチーフにした装飾が施されていた。

この昼餐の間と隣の喫煙室(Fumoir)の天井は、動物、エキゾチックな植物、星座、星、ガレオン船など漆喰の浮き彫りで装飾され、遠い場所や時代を思い起こさせるものである。

さらにFAIは修復作業中に1930年代の建設当時のオリジナルの天井の色を発見した。

というのも、もともとポタルッピは部屋ごとにアイボリー、黄土色、セージグリーンなどを天井の色として選んでいたが、長い年月を経て、すべての部屋の天井は、白に統一されていったのである。

後にこの邸宅の改築に携わったブッツィは、この部屋をより伝統的な外観にするため、もともとあったブライヤーウッドの家具の代わりに、アラバスターの花と錬鉄でできた2つの棚を自らデザインし、そのスケッチが残されている。


8. 喫煙室(Fumoir)

『ダウントン・アビー』や『ザ・クラウン』などの上流階級が登場するドラマを見ていると、このような喫煙室で人々が寛ぐ場面を目にすることができるのではないだろうか。


もともとこの喫煙室には、鋭角的なコーヒーテーブル、アール・デコ調のコックピット型アームチェア、円形が重なり合う躍動的なシャンデリアがあったが、ブッツィによる改築を経て、背もたれが湾曲したソファ、18世紀風のコンソール、ネオ・ルネサンス様式の暖炉が導入され、よりアンティークな雰囲気に仕上がった。

(よく見ると奥の小さなミシンにもNecchiの文字が入っている)

今はこの部屋にはないアール・デコ調の家具をデザインしたのはポルタルッピの弟子グリエルモ・ウルリッヒ(Guglielmo Ulrich;1904-1977)であった。

ミラノ工科大学で建築を学んだグリエルモ・ウルリッヒは、希少な皮や木材(洋ナシ、杉、ゼブラーノ、ヤシ)、新素材(雲母、プリスタル、キサンタル、アンチコロダール)を多用して様々な家具を製作していた。

ポタルッピは、1930年代の邸宅建設当時のブルジョワジーの快適さと現代性の要求を満たすために、いくつかの革新的な解決策を採用した。

それは三重のスライドと隠しロックシステムを備えたドアと窓枠、そして窓の敷居に収められた近代的な暖房用コンベクターである。

部屋の中を暖かくすることができるのに見た目はスッキリしているというこのシステムは、当時の雑誌で「見えない暖房システムという現代建築の問題」に対する独創的な解決策と評された。

またネッキ姉妹は、毎日18時になるとこの部屋に訪れ、訪問客と、または姉妹だけでコーヒーを飲んだことが記録されていた。

ネッキ姉妹の日課は、午前中は買い物をし、午後は庭を散歩することだった。



以上、特に鮮やかな緑が印象的なネッキ・カンピリオ邸を紹介してきたが、写真が盛りだくさんになってしまった。

続く後半でも、まだまだ魅力的な部屋を紹介していきたい。


ネッキ・カンピリオ邸(Villa Necchi Campiglio)

住所:Via Mozart, 14, 20122 Milano, Italy

開館時間:10:00-18:00(月曜火曜休館)

公式ホームページ:https://fondoambiente.it/luoghi/villa-necchi-campiglio

※それぞれの部屋の詳しい公式の解説はこちら→

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