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あなたの顔が見えたなら(1話)

あらすじ

 高校生の早苗、母親の雛子、義母の吉江と、女性ばかり三代が住む一軒家。潔癖症の雛子は、少々口うるさかったが、特に仲が悪いわけでもなく過ごしていた。
 そんなある日、就寝中の早苗の元に見知らぬ女が現れる。女からは黴臭いようなにおいがしていた。
 そんな出来事をきっかけに、片付けたものが散らかっていたり、床が汚れたりと家の中で異変が起こり始める。
潔癖ともいえる雛子は、汚しているのが義母の吉江ではないかと疑い、口論が増えていた。
 そんな矢先、吉江が死んだ。首を吊っての自殺だった。吉江の通夜の席をきっかけに、これまで家に潜んでいた「何者」かからの攻撃が始まった。

 ああ、ここにおったんや。こんにちは。ここは気持ちのええ場所やねえ。ここがあなたのお気に入りの場所なん? そうなんや。

 ああ、私? 私はあなたのお母さんの知り合いなんよ。ねえ、少しおしゃべりしてもいい? そう、ありがとう。

 あなた身内の人が誰もおらんのやって? あ、ごめんなあ、突然こんなこと言うて。いやね、私も孤独なんよ。あなた高校生やろ? 

 あなたくらいの子どもが私にもおったんやけど、もう・・・・・・。あ、ごめんやで、こんな話して。せやからついついあなたのことが気になってもうてん。

 そうそう、おばあちゃんのこと残念やったなあ。いいおばあちゃんやったんやろ?

 そう、厳しかったんや。なんか礼儀的なことにうるさそうなイメージがあるわ。

 え、なんで知っとるかって? 確か・・・・・・お母さんから聞いたんやなかったかな。それに訪ねたこともあるしなあ。

 でも好きやったんやろ? お母さんとも仲が良かったって聞いたけど。

 基本的には仲良かったけど、おかあさんとおばあちゃんが大喧嘩しとったことがあったって? でもそんなことようあることちゃう? 嫁と姑ってやつ? 違うって? ああそうか、特別仲がええわけでもないけど、喧嘩するほど仲が悪くもないって感じやったかしら? そうよね。

 で、なんで大喧嘩しとったん? 片づけのこと? それどういうことなん? 

 ああ、あなたのお母さん綺麗好きやったもんね。うんうん、へえーそんなに! 色んなもんの置く位置まで決まっとったん? じゃあ、たくさんあるコップも、赤色のんがこの棚の右端にとかって決まってた? そうなんや。几帳面やったんやね。

 え、お母さん、あなたのためやって言うてたん? ・・・・・・ああそうか、そうやんな。確かにそうしとったほうがあなたも助かるもんなあ。

 じゃあもしかして大喧嘩の原因って、おばあちゃんが片づけしてはらへんかったからなん? こんなこと言うたらなんやけど、そんなことで大喧嘩になるもんなんかなあ? ああ、おばあちゃんが知らんって言うたからなんやね。だからお母さんヒートアップしてもうたんや。

 おばあちゃんが言うてたことってほんまなんちゃう。でもほかにおらんって? まあそうやんね。あなたでもないんやろ? で、結局誰がやったんかは分からんかったんやね。ああ、お母さんはおばあちゃんがやったと思てたんや。

 ふーん、まあ誰かがうっかり忘れてただけかもせんな。

               ※※※                  

 おばあちゃんで思い出したことがある? なんかあったん?

 夜、部屋で寝てたときに不思議なことがあって目が覚めたって? いつもとおんなじ自分の部屋が、そうやないかもって感じなんかな。そう、あってるんやね。それでおかしいなって思って、神経を集中させたんや。そしたら?

 におい? においがしたん? どんなにおい?

 黴臭いような乾いたにおい・・・・・・腐敗臭のようなにおいやて? 長い間ほったらかしにされとったもんのにおいみたいなやつ? 

 自分からしてるんかと思たけど、どうやら自分の寝とる上辺りから匂いがするなあって思たんや。

 ふふふ。

 ごめんなさい。わろてもうたわ。そうね、あなたええにおいしとるもんな。いくらムシムシしてて汗かいた晩やいうても、あなたからにおうわけないやんね。

 それで、においの場所が特定できた途端に気配を感じたんや。自分の上に馬乗りになっているナニものかがおるって。それってほんまなん? 

 ああ、ごめんなさい。疑っとるわけちゃうねん。でも実際に見たわけやないやろ。ああ、気配を感じたんやね。そう、確かにナニかの気配を感じることってあるもんね。

 え、そうそう。そんなんしょっちゅうあんで。なんや部屋のドアとか襖とか隙間開いとったら怖くない? その隙間をすっとなんかが通り過ぎたような気配っちゅうか、黒い影みたいなもんが視界の端に映ったような・・・・・・、

 あ、ごめんなさい。あなたにそれはないやんね。

 でも、あなたが言うてるんは、そんなぼやけた話ちゃうんやろ? もっとこうなんて言うん? はっきりとした重み? みたいなもんを感じたんやろ?

 あなたみたいな人って、特にそういうのんに敏感そうやわ。

 で、そのナニものかが、自分を覗き込んどるような視線を感じたんや。あ、それってお母さんってことない? よく寝顔を覗き込みにくるってことあるやん。私もそんなんしてたし。そうやないって? それってなんでそう思ったん?

 髪の毛?

 ああ、髪の長さがちゃうかったんや。ああそうか。あなたのお母さんは、あれはなんていうんやっけ? そうそう、ボブ、ボブ。ボブやったもんね。で、そのナニものかは髪の毛が長かったん? なんで長いって分かったん? え、自分の頬に触れた。

 空中からだらりと垂れ下がってるような感じ? 

 でもそんなん気持ち悪いわ。自分の頬に知らん人の髪がさらさらって触れるって。しかもあるはずのないとこから垂れ下がってたんやろ? ああ、ぞっとするわ! 払いのけようとか思わんかったん? 

 なんか心地よかったって? その髪が? 

 そうなんや。ふふふ、良かったわ。

 ほんで、その人、女の人ぽかったって? 髪が長かったから? でも今どき髪の長い男の人もおるやん。え? なんとなく? そんな雰囲気がしたんや。

 でも、それ間違ってへん気がするわ。

 え、なんでかって? さあ、私も何となくやな。ふふふ。

 お母さんやなかった理由がまだあるって?

 雰囲気が違った? 具体的には言えんけど、もっとふんわりした感じがしとったんや。ふんわりなあ・・・・・・ええねえ、その表現。

 私、好きやわ。

 それで、その女になんかされたん? されてない。そう、ただじっと見つめられとった気がするだけなんや。なんか伝えたいことでもあったんかなあ。

 怖い感じはせえへんかったって? ああそう。じゃあ、やっぱりなんかあったんやわ。

 自分の真上におる女の吐く息がにおっとったんや。女が息するたんびに、生温かくて乾いた腐敗臭みたいなにおいが自分の顔にかかっとったんやね。それはきついなあ。

 その女、もしかして腐っとったんかな。

 話を聞いてたら、その女ってこの世のもんやない感じやん。もう死んどる人なんかやったら、顔なんかどろどろに皮膚が溶けとったり、眼球が抉れて空洞になっとったりしててもおかしないやん。せやったら、肉も腐っとるやろうしな。

 せやから腐敗臭がしとったんやない? ああ、内臓なんかも腐ってたかもよ。ほんで、吐く息がくさかったんかもせんな。

 ・・・・・・あなた、なんか顔色悪いで。

 ああ、そうか。私が気持ち悪いこと言うたからやんね。ごめんやで。私、気が利かへんなあってよう言われんねん。

 そう、髪はさらさらしとったから、そんなに酷いことにはなっとらんて。でもそうとは言い切れへん・・・・・・あ、また余計なことを。ごめんやで。

 で、その女は暫くしておらんようになったん? なんやにおいがせんようになったなあって思てたら、気配も消えとったんや。

 ああ、ほんでここからおばあちゃんが出てくるんや。どこでおばあちゃんの話になるんかと思てたわ。

 次の日の朝、おばあちゃんに言われたん? くさいって? あなたの体から嫌なにおいがするって言うてたんや。

 そんなにくさいってことあらへんやろ。私は嫌いちゃうけど。え、ああ、そのときの話やったね。

 でも、流石ね。・・・・・・え、あ、いや、豊富な経験から可愛い孫の異変を感じとったんかなあって思ったんよ。

 朝、おばあちゃんが仏壇の前でお経を唱えとるときにくさいって言われたん? それで、線香のにおいは穢れを浄化するから浴びていきなさいって? それであなた言う通りにしたんや?

 そう。え、でもなに? 線香くさいって、年寄りくさいって友達に言われへんかって思って嫌やったのね。ふふふ。そういう年頃やもんね。

 私もあのにおいあんまり好きちゃうわ。

 そう言えば、あなた好きな子おるん? え、おらんって。そう。あなた可愛いのに。もったいないわ。

 そういやおばあちゃん、毎朝線香たいとったやろ? なんか理由があったんやろか? いえね、人が亡くなった直後とかやったら分かるんやけど、そうでもないやろ? あなたのお父さんが亡くなったんが直近のこと・・・・・・と言うても何年も前やし。

 聞いてないって? でも、おばあちゃんが入院したときに聞いたかも? なんて?

 よう聞きとれんかった? 「あうな」? 「をあな」? なんやそれ? 確かになに言うてるか分からんね。でも「せんこう」だけは聞きとれたんや。

 そうなんや。 

 おばあちゃん、心臓の病気とか元々持病でもあったんやろか? なんか聞いてないん? 聞いてないんや? そんな話聞いたことないんやな。お医者さんの話やと、なんらかのストレスがかかる出来事があったんちゃうかって? 

 なんか心当たりあるん?

 ないんか。もしかしたらなんかが見えたんかもしれんね。ふふふ。

 え、どういうことかって? あなたが感じたナニものかよ。あなたは気配だけやったけど、おばあちゃんは見てしまったんよ。

 見えてないあなたは助かって、見えてもうたおばあちゃんはあんなことに・・・・・・。

 そうかもしれない? そう思うん? なにかに怯えてる風やったんや。仏間から出てこおへんし、食事も取らんようになったんやね。そういえば、かなり痩せ細ってもうた印象やったわ。

 それに、今までよりも線香をたくようになっとったって? 家中、濃厚なにおいで包まれとる感じやったんや。

 確かにあのにおいには閉口したわ・・・・・・。

 え、ああ、伺ったことあるのよ。

 なんか分からへんけど、やっぱりなんかを見てもうて、浄化しようとしとったんかねえ? そう聞くとなんか・・・・・・

 やっぱりおばあちゃん、それで首吊ってもうたんかもせんね。

1-1

 吉江は目を覚ました。いつもはトイレに行きたくて起きるのだが、今日はなぜ起きたのか分からなかった。

 仰向けに寝転んだまま天井を見つめていると次第に目が慣れ、周囲の様子がうっすらと分かってきた。じっと見ていると、仏間の天井の木目がゆらゆら揺れているように思えた。節が人間の目のようにも見えてくる。

「はぁ・・・・・・」

 軽くため息をついて目を閉じたが、暫くしてまた目を開いた。

 目が覚めた原因がはっきりと分かった。いつもにはないにおいがしている。長い間、締め切ったままの家の黴臭いにおい。

 それは吉江の記憶を呼び覚ました――。

 吉江と同年代の知人男性の家を訪ねたときのこと。家のドアを開けた瞬間、家の中の澱んだ空気が一気に解放され、吉江の鼻腔を突き刺した。

 それは饐えたような黴臭いにおい。

 出迎えた男性の姿を見た吉江はショックを受けた。ヨレヨレの着たきりの恰好、何日も着替えていないのか、男性からはアンモニア臭がしていた。

 以前はいつも身だしなみに気を使った清潔で素敵な男性であったが、それは彼の奥さんの努力の結果だったということが、今の男性の姿からよく分かった。

 元来は身だしなみに無頓着なほうだったのだろう。奥さんを亡くした今、本来の自分が姿を現したのだ。

 その後、男性が自宅で死んでいるのが発見された。発見されたときには既に腐敗が始まっていたという話を人づてに聞いた吉江は、訪問したときの彼や彼の家の中のにおいは、時が止まった人のにおいだと思った。

 ――そのときと同じにおいが今している。

 吉江はにおいの正体を探ろうと上体を起こした。それまで吉江に貼りつくようにして静かにしていた空気が、吉江の動きに合わせてもわっと動き出した。

 そのせいだろうか、吉江が感じていたにおいもゆらりと動き、自身の首元からにおっているような気がした。

 なんだかんだ言って自分ももう歳なのよね。

 加齢からくるにおいなのかも? そう思って自分の首元に伸ばした吉江の腕をナニものかがいきなり掴んだ。

「ひぃっ!」

 恐る恐る掴まれた腕を見たがなにも見えない。気のせいだったのか、掴まれているという感覚も無くなっていた。

 片方の手で掴まれていた部分を触ってみたが、自分の腕に触るだけだった。

 きっと、寝ぼけていたのね・・・・・・。

 もう一度、眠りにつこうとしたが、自分の首筋に生温かい風が当たっているのを感じ、吉江の動きが止まった。

 さわっと首筋を撫でられているように一定の感覚で。どこかから風が吹きこんでいるのならば、こんなピンポイントであるはずがない。

 これはもしかして・・・・・・。

 風が当たっている右側の首辺りを確認しようと首を捻った吉江の眼前に顔があった。

「・・・・・・!」

 今度は驚きのあまり声が出なかった。

 暗闇の中、白く浮かび上がった顔は吉江の背後から突き出し、ありえない角度で曲っている。

 背後から吉江の顔を覗き込んでいるのは女のようだった。黒髪の長い若い女。少し吊り上がった目、鼻や口などのパーツは小ぶりの女の顔は、どこか幸の薄そうな感じがした。

 長い黒髪が風に揺れている。

 一切瞬きをしないその表情は、本来であれば不気味なのだが、なぜか引き込まれるような美しさがあった。

 吉江の鼻先に女の息が一定のリズムで当たっている。この女の吐く息から時の止まったにおいがしていた。

「ふふふ・・・」

 女の表情や口に変化はなく、どこか遠くから聞こえたようだったが、吉江には女の声であるように思えた。

 吉江の背後から絡みつくようにしていた女の手が、吉江の首をじりじりと絞め始めた。

「ぐぅ・・・や、やめて・・・」

 だが、女の手が緩まることはなかった。

 徐々に薄れていく意識の中で、女の声がした。

「め・・・めが・・・・・・」

               ※※※

 吉江は仏間の布団に横になっていた。

 ガバッと上体を起こした吉江は自分の首元を触った。触った首から、べっとりとした汗が手についた。

 夢だったのだろうか? だが吉江の鼻は夢ではないことを知っていた。まだ微かにあのにおいがしている。

 吉江は急いで仏壇にある線香に火をつけた。ぶるぶる震えながら両手を合わせる。いつもなら線香の香に癒されるのに、今はいつまでたってもあの嫌なにおいが鼻腔から出て行かなかった。

 カーテンの隙間から微かに明りが差し込んでいる。とっくに夜は明けていた。

 ところで、あなたが死んでたおばあちゃんを見つけたんやろ? 

 あなたびっくりしたやろ? そんなもんが目の前にぶらぶらしとったら。それに首吊りの死体って、酷い見た目になるんやろ? あらゆる穴という穴から液体が垂れ流されるとか。

 あれ? ちゃうかったかいなあ。それってガセやったか? ほんまはそんな酷い状況にならへんのやったかいな。実際どうやった?

 え、・・・・・・ああ、そうか、ごめんごめん。あなたは見とらんのよね。それは不幸中の幸いってやつかもしれんわね。

 えっ? またにおいがしたって? どんなにおい? 垂れ流されとったおしっことか血のにおいやないん? ちゃうのん? 

 え、楽しそうって? 楽しそうに聞こえるって? 私が? そんなことないて。

 ほんで、ああそう、例の黴臭い腐敗臭みたいなやつがしてたんや。

 でもそれっておかしない? だっておばあちゃん死んだばっかりやろ? 新鮮な死体やったわけやん? なのに腐敗臭って。

 ふふふ。・・・あ、ごめんなさい、わろてもうて。新鮮な死体ってのがツボにはまってもうたんよ。自分で言うといてなんやけど。

 でもその日、蒸し暑かったんやろ? 汗もべたべたしてたし。もしかしたらそこら辺のなにかやったかもせんしね。でも・・・・・・、

 あの馬乗り女とおんなじにおいやったんやろ? ということは、やっぱりナニものかがやったんちゃうの! ナニものかがおばあちゃんを殺したんやわ!

 ああ、ごめんなさい。つい興奮してもうた。ふふふ、あかんなあ。

               ※※※

 私、お通夜のときにお邪魔させてもろたんやけど、ご親戚の方いてはらへんかったやん。お付き合いは全くないん?

 そう。でもあなたのお父さんの葬式までは大勢いてはったような気がするんやけど。

 そうか、あなたのお父さん、明るくて人付き合いの上手な人やったもんね。親戚の方との繋ぎの役目をしてたんかもしれんわね。

 え、お父さんのことも知ってるんかって?

 ええ、よう知ってるわ。お父さんのことだけやのうておじいちゃんのこととかもね。

 ああ、気分が良くないって? 私のせいなんかなあ? あなたの部屋まで送りましょか? ええって? 自分で戻れるからって? 分かったわ、気をつけてな。

 またしゃべりに来てもええ? そう、ありがとう。

               ※※※

 あら、またここにおったんかいな。

 あなたよほどここが好きなんやね。私もここ気持ちいい場所で好きやわあ。

 今日はお母さんのお話をしようかと思てん。だって私たち共通の故人やろ? 供養の意味も込めてな。

 あんまり話たくない? なんで、あなたたち仲良かったんちゃうの? そうやけど、おばあちゃんが亡くなってから、お母さんの様子おかしくなった? そうよね、そう言われたらちょっとおかしかったやんね。なんかあったん?

 お母さんも部屋に引きこもりがちになってもうたんやんね。そらそうか。おばあちゃんがぶらぶら揺れとるとこ見てもうたんやろ? 私やったらトラウマになってるとこやわ。

 あなたほんまにラッキーやったわね。



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