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一ヶ月振りの通院と母の思い出。

やっと行けました。

先週の木曜日。予約の予定は先月末でした(笑)

久し振りに採血してもらいました。
点滴も採血も慣れているので「あ、この血管がオススメですよ」と先生に一番太い血管から抜いて貰いました。どんな患者だ(笑)

実は以前から甲状腺の値が低くて、橋本病かも?と言われていた時期があって。それも今の心療内科で調べて貰って解った事なんですけどね。
それが病院を転院して、乳がんになって、とか色々あってスッカリ忘れていたのもあります。
という事で久々の甲状腺の値を知る事となるのです。

一応薬は21日分、来れたら血液検査の結果が出る一週間後に行く、という事で。多分一週間後には行かないんだろうなと思いながら一応聞いてみた。

その後、買い物に行き晩御飯のお弁当を買って、スーパーに寄って買い物して、そんなにウロウロはしていないのに、晩御飯食べ終わったらソッコー寝てた。
体力が足りないのか、気力が足りないのか、それとも消耗が激しいのか…。
昨日も夜中にお風呂掃除を徹底的に行い、次の日の朝は起きれたのに、二度寝していつもの時間に起きたって言うね…。

早起き出来ない呪いにでも掛かっているのか?


赤子の頃からなかなか夜寝なかったって母がずっと言ってたからなぁ。そういうDNAなんだろうなって思うことにしている。

そもそも両親が昔から水商売をやっていたのもあるし、中学生の頃は不登校で夜型になっていたから、夜間の高校を選んだし。

母の昔からの友人のおばさんと電話でそんな内容の話をしていたんだけれども
「それはお母さんの育て方が悪かったね」
って言われて、なんだかムッとしてしまった。
その後も色々と言われ、いつも冷静な人なのに何かが溜まっていたのか、口が悪かった。いつもは穏やかな人なんだけれども…。
まぁ、毎晩飲んでる方だから、酔っていたのかな?とも思っていたんだけれども、それからちょっと距離を置いている。

そもそも、この歳にもなって出来ない事は「親の育て方が悪い」ではなくて「自分が悪い」で良いんじゃないの?
だって、悪いと思った所は人に言われなくても自分で直す年齢じゃない。40近くになって「親の育て方云々」言われてもなぁ、ってのもある。

そもそも物心付く前から自我が強いタイプだったらしいから、あまり親の言うこととか、そういう事細かなルール?のようなものは殆ど無かったし。

親の言う事をきかない子供だった

そうだ、ルールというか「こうしなさい、ああしなさい」が一切と言ってもいい程無かった。

「早く起きなさい!」

ぐらいだ(笑)

幼稚園の頃に言われた事を覚えている。
「やりたい事があったら、何でもやっていいけれど、自分で選んだんだから辞めるとかすぐに言わない事。責任を持ちなさい。」
と。それから自分が欲しいもの、やりたい事(習い事)等は全て自分で決めてきた。
母に言わせると「そんなの、お母さんが言ったってきかない子だったからね」との事…。
そんな小さな頃から自我が強かったのには母親も驚いたらしい。
近所に一つ年上の女の子が居たから、その子と比べると自我の強さが幼い頃からわかったんだと思う。

「母親」とはなんぞや

以前も多分書いたと思うけれど(下書きかも知れない)
母には父しか居なかったので"母親"という存在というか、どんな事を言えば、行動すれば"母親らしい"と思われるのか、凄く気にしていた。

それが晩年になってもあった。口癖は
「お母さんって”お母さん”らしいかな?」
と。まぁ、母の人生を振り返るととてつもなく波乱万丈だったし、そもそも戦後のベビーブーム世代で片親っていう引け目もずっとあっただろう。

私が子供の頃、よくお友達の家に行ったら、帰って母にいつもそのお家の事を喋りまくっていた。家の家具からトイレに置いてあるものが家と同じだったとか、お友達のお母さんが作ってくれたおやつとか、出してくれた飲み物だとか…。観察をするのが好きな子供だったんだな、きっと。

そこで母も色々と考えていたんだと思う。

他所のお母さんは本当のお母さんだと思っていたんじゃないか、と。
ちゃんと両親に育てられ、母親を見て育ってきた人がちゃんとした母親だと思っていたのかも知れない。

私はいつも母の疑問に
「お母さんはお母さんだから、他の人は知らないよ。私のお母さんはお母さんしか居ないからね。」

今でも私にとって母は一人であり、他の誰でも無い。
いつも明るく、毎日家事をこなして、凄い人だとずっと思っていた。
我が家にとっての「太陽」だった。

何があっても動じない、お金が無ければ必死に色々と切り詰めて、でも食事にはこだわって、子供にはひもじい思いをさせまいと必死だったと思う。

私が言うのも何だけれども、本当に頑張った。最後まで我慢させてしまって本当に申し訳ないと思った。
母が幸せな人生だったと思えたのかどうか、それだけがいまでも知りたい。

こんな奴にでも小銭を投げつけていただければ幸いです。 頂いたお金は全て愛猫のご飯代、トイレの砂代になります。何卒宜しくお願い致します。