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だけど「産んでくれてありがとう」はまだ言えない

先日誕生日でした

午前中に仕事仲間から「誕生日おめでとう!」とLINEが。
その後はグループホームのスタッフさんからLINE。
お二人のお言葉だけでも有難い。

40歳超えると増やしたくは無い、年齢と疲労。
積み重なって行くだけ衰えを実感して厄介。

一応接客業をしているので見た目としては何とか、最低限見られる部分だけはキレイにしておかないと…と思うんだけれども、制服と帽子があるのでむしろ助かっている。
何日もお風呂入っていないけど…ごめんなさい。

ダメダメな40代

こんな40代になるとは予想もしてなかった。むしろ想像すら出来なかった。
何となく感覚は30代後半の延長戦のような。

最近バイトに入る日数も時間も増えて、任される事も増えてきたのでとにかくしんどい。疲れて帰ったら風呂に入ろう!なんて気は全く起こらない。
歯磨きと、コットンシートにクレンジングウォーターベチャベチャ含ませて丁寧に拭き取るぐらい(下地や日焼け止めしか塗っていない)
体はボディーシートで拭く。髪はどうしても面倒臭い。

現状が30代後半の頃から殆ど変わっていないからだと思う。今年から一人暮らしは始めたけれども、帰る場所が違うくらいでやっている事は何ら変わらない。
今の職場は30代中頃から働いていた職場なのもあるのかも知れないけれど、感覚が当時とあまり変わらない。

今の問題としては猫の手入れがなかなか出来ないという事ぐらい。

母が私の生きる「希望」だった

母と私は所謂「共依存」だったのかもしれない。
子離れ出来ない母、親離れ出来ない子というものなのか。同意義なのかよくわからないが。
母が笑ってくれたり喜んでくれるなら、私は何でもした。
家がずっと貧乏だったから、働いている時は給料の半分ぐらいは生活費に、と母にコッソリ渡していた。
(父が知るとお金に余裕があると勘違いするから)
夕食を食べながらTVを見て色々と話をするのが大好きだった。
私の好きなアーティストや音楽にも理解を示してくれた。
それは多分母自身が若い頃、タカラヅカが好きだったからかも知れない。

遊びも好きだった。母は専らパチンコをするのが好きで。
それに付き合ったり、隣のカフェで500円のケーキセットを食べながら色んな話をしたりして。

母はずっと専業主婦をしていたので、私は家に入れる生活費とは別に母にお小遣いを毎月渡していた。少しずつ貯めて服を買ったり、パチンコに行く為に。

ある日、私が仕事から帰ったらしょんぼりしている母。
どうしたのか聞くと「今日パチンコ負けてん。しばらく行かれへんわ」と。
私は仕事ばかりであまりお金を使わなかったので、追加でお小遣いを渡す事も多々あった。すると、みるみる笑顔になって機嫌が良くなるのだ。まるで子供のような人だと思った。

可愛い人。幾つになっても外見に気を使ったり、最低限のお化粧をして、百均で自分に合うネイルを探したり。
ファッションもずっとパンツスタイルだったけれど、服の色合わせ等、さり気なく気をつけて自分が好きなものを着ていた。
「天真爛漫」「太陽のような人」
言葉で表現するとそんな感じ。
感覚がいつまでも若いなぁ、と思った。
好きな事は歌う事、美味しいご飯を食べる事、楽しくお喋りをする事。パチンコは現実逃避。

苦労は絶えなかった。父の収入だけでは三人で生活するのはとても苦しかったと思う。それでも、スーパーのチラシを見ては「今日は鶏肉が安い」とか言いつつ栄養面のバランスを考えてちゃんと食事を作ってくれていた。これはもう感謝しかない。

その上ズボラな父と私の面倒を見て、家事の全てをこなしてくれていた。これには本当に感謝してもしきれない。
どんなにしんどくても、辛くても、父の愚痴は散々言っていたけれど、とても前向きで明るい人だった。
人望も厚く、頼れる存在だった。
私にとって最高の母親。

母が亡くなってから

私は「希望」と「愛情」を失った。
私という存在理由すら消えたように感じた。
それぐらい私の中の母の存在は大きく、母にさえ認められていればそれで良いと思っていたし、母はそれに応えるように愛情を注いでくれた。

母が亡くなってから今年で4年になるのだけれど、まだまだ母を思うだけで涙が溢れる。
この涙は私が母を愛している証であると思っている。

私はきっと、母以上に「大切にしたい人」は二度と現れないと思っている。
今は身近に居る人に、自分が出来る事はしているような感じ。それも母から受け継いだ「無償の愛」。
母は自分の身近な人には自分が出来る範囲で何でもしてあげたくなる人だったから。

この世に二人しかいないような感覚

父の存在が薄いのは、会話が噛み合わないからであって、家に居てもTVを見ているのか見ていないのかわからないぐらい、寝転がっていた。
多分、母と私の会話にはついていけなかったんだろう。

父には「慮る」という感覚が皆無だ。
それは最近になって気付いた事であって、母の言っていた愚痴も今になってやっとわかったし、何も変わらない父には腹立たしさしかない。
自分の事が良ければそれでいい人。

一人暮らしを決めた理由

母が居なければどんどんと汚くなってしまう家。

母が寝たきりになってしまった一年ぐらいの期間は、今の職場に通いつつ、母が40年近くしてくれていた家事を同じように自分がこなしていた。
流石にバイトが夜遅いので、そんな日はコンビニ弁当や作りおきのもので勘弁してもらっていたが。

そんな期間もあっという間で。
母が亡くなってからもバイトだけは続けていた。気晴らしになった。
母の居ない家に居たくなかった。
父は落ち込んでいたけれどまだ仕事はしていた。
それでも耐えきれず、猫を飼う事にした。

母が居ない寂しさは埋まる事は無いが、猫は私にとっての娘のような存在だし、父にとっては孫のような存在。

多分、猫を譲り受けていなければ、私がどうにかなっていたか、何とかして家を出ていたかもしれない。
もし後者なら絶対に実家になんて帰りもしなかっただろう。
もしくは小さなアパートを借りて父を追い出していたかもしれない。

今でも父の行動・言動にストレスを受けてしまうが自宅に帰るのは、猫が居るから、それだけだ。
定期的に掃除をしておかないと猫の体に良くないし。
この距離感が一番良いのかな、と今は思っている。

母が亡くなった時

「亡くなる直前まで耳は聞こえている」と良く聞いていたから、病院で母の意識が無くなった時に、感謝をいっぱい伝えた。日頃から伝えてはいたが、伝え足りないと思った。

「お母さん、産んでくれてありがとうね」
「お母さんの子供に生まれてこれてよかった、ありがとう」

そう言った。確かに言った。母にはそう伝えたかった。
母の人生の終わりにはきちんと伝えたかった。

母は父子家庭で育ったので「お母さんらしさ」を追求していた。そんな母の口癖は「お母さんはお母さんらしいかな?」だった。
私はいつも「私はお母さんしか知らないからなぁ。でも私のお母さんは最高だよ」といつも伝えていた。
そんな心配事をあの世に持って行って欲しくなかった。

でも心の底では「産んでくれてありがとう」とはまだ思えていない。それは自分がダメだからだ。

後は自分の問題

今はまだ苦しい状態が続いている。
これから突然幸せが舞い降りてくる…なんて思っちゃいない。そんなの漫画かドラマでしかない。

自分の体力の許す限り働いている。幸い今の職場にストレスは殆ど無い。忙しいから悩んだりする余裕も無い。逆にそれが良いのかも。

休みの日には何もしない事が多くて急に
「働きもしないで実家があるのに一人暮らしなんて贅沢な事していていいんだろうか?」
という謎の焦燥感に駆られる。アホなんだろうか。

働かない=一人暮らし終了

だと思っているので、何故か焦りが酷い。
今は休日を上手に楽しめていない。

多分、今の収支を計算していないから安心出来ないんだと思う。バイトもまだ収入が毎月これぐらい、と決まっているわけでもないので余計に不安になるのかも知れない。

なるべくお金を使わないように、と思っていて、自分に使うものは本当に吟味して、悩んで購入している。日用品で1000円超えようものなら買わなくなった。

特に何もない誕生日に母を思い、また涙する。
母が居てくれたからこその私であって、今の私はどう生きれば良いのかまだ模索している。

とにかく、動ける間は我武者羅に働くしかない。

生きている限り、何とか生きようと思います。それだけ。
でもたまに「生きるの面倒臭い、死にたい」と思うのは鬱だからです。と、割り切って。



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