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〈2度の転職、3度目の休職を経て、ようやく気付いたこと〉

こんばんは(=゚ω゚)ノ

愛着障害、社交不安障害当事者で、2度の転職と現在3度目の休職をしている謳歌(おうか)と申します!

今日は、勢いで書いていきます(=゚ω゚)ノ

※この記事には、暴力的な表現や、辛い過去を思い返すことを促すような表現があります。苦手な方は、読むのをお控えください。


僕には、学生時代から回避性の愛着障害と、社交不安障害があります。

障害があるので、生きるのが辛いな、と感じることが少なくありません。

疲れた…こんなんだったらもういっそ…と考えてしまうことも、
正直なところ、あります。

そんな日々の中で、楽しいこともやりたいことも、時に無くなってしまいます。

そして、追い詰められた時。

僕の心は、自分の幼少期の苦しみに帰っていきます。

「あの時、もっと周りの人がまともだったら!」

怒りや悲しみ、やるせなさが、僕を襲います。

「人生が苦しい。みんなもそうであってよ!」

周りの人への嫉妬心が暴れだします。

ずっとそんな日々でした。


〈僕を苦しめ続ける問い〉

僕は今、福祉の仕事をしています。

人を助ける仕事がしたくて、大手商社から転職しました。

人を助ける仕事。
それが僕の中では、福祉という選択でした。

確かに、"自分で選んだ"はずの仕事です。

でもずっと、自分の中で繰り返される問いがありました。

「誰に頼まれて、こんな苦しいことをやっているの?」

その問いに対して、今までの自分の返答はこれでした。

「幼少期、身の回りの大人がろくでもなかった。そんな社会を少しでも良い方向に変えたいから、やっている。」

でもこの解には、大きな矛盾がありました。

「じゃあ、なんで過去のろくでもなかった人達の為にやるの?自分を殴ってきた人たちを助けるの?なぜ?」

「両親や社会への憎しみで働くなんて、そんな哀しい人生で良いの?」

これらの問いに対する答えを、僕は持っていませんでした。

そして、ずっと堂々巡りをしていました。

自分で福祉の仕事を選んでいた、つもりでした。

でも。

「過去の環境に選ばされているだけでしょ?」

「ずっと過去に囚われているだけじゃないか!」

そんな自分の声が、苦しめてきます。

そして、反論もできませんでした。


〈2度の転職、3度目の休職を経て、ようやく見つけた答え〉

「誰に頼まれて、そんな苦しいことやっているの?」

僕を苦しめ続けていた問いです。

僕は答えが分からなかった。

分からなくて、だんだんどうでも良くなってきていました。

自分で福祉を選んだはずなのに。

やりたいことを、やっているはずなのに。

なんでこんなに辛いんだろう。


そして、ようやく、ようやくです。

1つ答えが出ました。

「”過去の自分”に頼まれてやっている。」

という解です。

僕はこれで、ようやく腹落ちしました。

僕はずっと、過去に対する憎しみや周りの人への嫉妬の感情に溺れ続けていましたが、

ようやく思い出すことができました。

環境に振り回されて、理不尽に扱われて、道具にされて、怖くて寂しくて、両親を、社会を怖がっていた”過去の自分”のことを。

僕は、その”過去の自分”に対して、胸を張って生きたい。

今の周りの人たちに、胸を張って生きたいのではないんです。

だから、お金や地位や名誉に興味が無い。

過去の自分に対して、

「今、社会と向き合っているよ。苦しい人々を、助けているよ。」と言いたい。

だから、福祉の仕事は、"自分の為"にやっているんです。

正しくは「過去の自分に頼まれているから」やっています。

見方一つで、仕事への考え方が180度変わりました。

こんなに輝きのある仕事だったとは。

福祉の仕事を通じて、改めて気づいたことがあります。

この社会はやはり簡単ではない。

そして人間も、やはり必ずしも綺麗じゃない。

福祉ですべての人を助けることはできない。

でも、福祉で助けられる人は確実にいる、という事実。

この世界に希望を失くした人や、困難を抱える人に対して、できることがある。

だったら僕はやりたい。できる範囲で、やりたい。

「なんでそんな辛いことをやっているの?」

「理不尽な社会を怖がっていた過去の自分に、胸を張って生きたいから。過去の自分が納得するまで、付き合いたいんだよ。」

と、僕は自分に対してようやく、言うことができそうです。

苦しくとも、自分の為にやっています。

ふいに愛着障害や社交不安障害が現れて邪魔しようとしてきますが、

それは”過去の自分が見てきた社会”が産み出している”虚像”です。

過去の自分に対して、

「大丈夫。君の為に僕は生きているから。」

そう声をかけることが、ようやくできそうです。

人から笑われても、さげすまれても、関係ありません。

僕にとっての価値とは、

過去の自分が今の自分を見て、「うんうん」と納得してくれること、です。

それ以上にうれしいことはありません。

だからがんばります。

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