もうすぐ20年。でも、まだ大声は怖い
最近の、あれ、あの話。炎上の。やっぱりどうしても心がザワザワしてしまって仕方ないので、すこーしだけ書いておこうかな。と思った次第で。
わたしが恋人から暴力を受けていた頃、あ、暴力というのは身体的にも、精神的にも、いろいろなものが入り混じっていたんですが。まだDVという言葉は生まれたてくらいの認知度で、モラハラっていうのは聞かなかった。
それくらいのものだったから、周りの理解も今より全然なかった。「彼氏もひどいかもだけど、あなたにも問題があるでしょ」って思われることがほとんどだった。
ああそうか。誰にもわかってもらえないんだ。
まだギリギリ10代だったわたしは、そこで心がポッキリと折れて、いろんなものを諦めたのだ。助けを願うことも、うまくできなかった。やっぱりどこかに、「わたしにも問題があるのかもしれない」という思いがあったのかもしれない。助けてと言うことは、なぜだか憚られた。
けれど今は、変わってきたのだと思っていた。パートナーからの暴力を明確に示す言葉が生まれ、たくさんの人に周知され、それによる犯罪もニュースになる。もちろん暴力自体がなくなるのが理想だしそうあってほしいけれど、まずは知られることが大事だと。
家族からすらもきちんと理解されず、いろんなものに板挟みにされたようで、居場所がなくて、どうしたらいいのかわからなかったから。せめて知られることで、世間の理解が進むことで、苦しい思いをする人が少しずつ減るんじゃないかって。
けれども、わたしが思っていたよりも理解されていなかったのかな、と思い知らされた。口ではわかったふうなことを言う人が増えただけで、内面はさほど変わっていなくて、やっぱりまだ多くの人が「あなたにも問題があるでしょ」と思っている。それどころか、「あなたが大げさに騒いでるだけでしょ」と思われているのかもしれないのだ。
もしかしたら、当時わたしの周りにいた人たちもそう思っていたのかな。「そんなこと言って、大げさなんじゃない? てゆーか嘘っぽいよね」と。
あれから20年近く経つけれど、わたしはいまだに男の人の大声が怖い。不機嫌な空気すらも怖い。絶対の絶対にわたしを殴ることなどないであろう夫が、ちょっと機嫌の悪い様子を見せただけでソワソワと落ち着かなくなる。大げさでなく。
もうたぶん、これはなくならないだろう。あんなに殴られて、蔑まれて、どうにかなりそうな毎日。明日に何の光も見いだせない毎日。あの記憶が、何かのはずみで消え失せでもしない限り、わたしはずっとずっと、心のどこかで男の人を怖がり続けるのだ。圧倒的な力の差に、体格の差に、ただただ自分の無力を突きつけられることの怖さを、知っているから。
という記憶をずっと飼っているので、あの炎上の話はちょっとなんていうかアレだったよねやはり。
周知するためにいろんな人を取材して、なんかにまとめたいなあってずーと思ってるんだけど、さっぱり着手できない。完全にやるやる詐欺。折を見て…頑張りたいです、はい。(自信ない)
※少し前にわーっと書いて、下書きに入りっぱなしになっていたものです。
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