身バレと炎上の恐怖

今でこそインターネットなくしては成り立たない生活を送っているわたしだけれど、はて、最初にインターネットを知ったのはいつだっただろうか。

周りの人に比べて、少し遅かったと記憶している。中学生から両親がおらず、祖父母に育てられたことから、家にはパソコンなんて最新の機器は置いていなかったし、知らなかったからこそあまり興味を持つこともなかった。

しばらくは「インターネット」と「インターネットエクスプローラー」と「ヤフー」と「にちゃんねる」の違いを理解するのも難しかったほどだ。

そんなわたしがインターネットに親しむようになったのは、北海道網走市に住んでいた頃。ハタチくらいだったかな。当時まだガラケーで、パケットし放題みたいなプランも浸透しておらず「パケ死」なんて言葉が普通に使われている頃だ。

網走にはさほどお店もなかったから、「携帯で買い物ができる」と知ってめちゃくちゃページをめくった記憶がある。画像をたくさん読み込むとそれだけ通信料が高くなる、なんて考えにも至らず、あの時ばかりは本当に「パケ死」しかけたものだった。


ある日、勤務先のパチンコ屋で、同僚の女の子が「なおちゃん、掲示板でモテモテだね」と声をかけてきた。え、なにそれどういうこと。ってか、掲示板ってなんです?

そんな調子だったわたしに彼女はニコニコと、なんとかという名前の掲示板があって、そこの地方版スレでわたしの名前が挙がっているのだと教えてくれた。…のだけれど、何を言われているのかまったくわからない。とりあえず家に帰ってから、教えてもらった掲示板の名前で検索をかけてみた。

すると、たしかに。そこには網走のスレッドがあって、市内で数軒しかないパチンコ屋に勤務している個人名がバリバリで晒されていて、そこにわたしの名前もあったのだ。内容は、「かわいい」とか好意的なものだった。数も1つか2つで、「え、びっくりしたけど、まあ悪い気はしないかな?」という程度のものだったのだ。

けれどその後、どんどんエスカレートしていった。掲示板にわたしの名前が書き込まれる日が増えていき、内容も、「すれ違ったら、いいにおいがした」「触ってみたい」などと気味の悪いものへと変化してきたのだ。

もう一つ気味の悪いエピソードが、大量の投票事件だ。勤め先のパチンコ屋にはスタッフへの投票箱が置いてあって、だいたい月に数票入ればいいだけのものだったのだけれど、そこにわたし宛の大量の票が投入されたのだ。そのおかげで、わたしは数ヶ月にわたってNO1スタッフに輝き続けたのだけれど、正直ちっとも嬉しくないし、薄ら寒さしか感じなかった。

さらに恐ろしいことに、掲示板にわたしに対するコメントが増えるにつれ、「そんなにかわいい?ブスじゃない?」的な書き込みも出てくるようになった。これでいよいよ精神的に参ってしまった。

ブスと言われるのが気に障ったわけではなく、見知らぬ人たちが、わたしが気づかないときに、好奇の目を向けているのだろうことがすごく怖かった。「今日話したけど、感じいい子だね」なんて言葉にも、どのお客さんだったんだろう、あの人か、それともあの人?なんて考えがぐるぐる巡り、ちょっとしたノイローゼみたいになっていた。

まだSNSなんてない時代だったから、悩みに対する理解者も少なかったし、適切な対応策を示してくれる人もいなかった。「褒められてるんだし、いいじゃん」と言われるか、良くて「大変だね、落ち着くのを待つしかない」と慰められる程度。

結局わたしは自力でスレッドの消し方を探し出し、運営にメールを送り、そのスレを消し去ることに成功した。それ以降、新しいスレが立つことはなく、わたしへの大量の投票もだんだんと落ち着いていったのだ。

あれは狭い掲示板の中だけの出来事だったけれど、今の時代ならもっと簡単に広い世界に拡散してしまって、もしかしたら写真まで撮られたりして、家を特定されて…なんてことも十分にありえるだろう。

あれがきっかけでインターネットが怖くなった…なんてことはなかったけれど、付き合い方によってはすごく怖いものだし、またこちらにまったく落ち度がなくてもびっくりするような事態に陥ったりもする。それは今でも心に留めておかねばならないと思っています。

#はじめてのインターネット

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