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川崎フロンターレのサポーターです。

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最近の記事

引退までの話

高校時代のサッカー生活について書いてもそんなに面白くないと思うので簡単に書きますが、東京都高校サッカー選手権大会は優勝と準優勝が1回ずつと準決勝敗退だったかな… 東京都1部リーグでは優勝2回と準優勝が1回だったか、結局3連覇したんだったか…遠い昔すぎるのと、勝つのが当たり前、負けるとしたら2強のうちのもう1校以外は許されないみたいな感じだったので、その学校以外のことは成績も含め正直あまり心に残っていなかったりします。 ちなみに東京都選手権で優勝しても全国大会に出られるわけで

    • サッカーとの出会い【後編】

      つづき。 中学生になってますますサッカー熱が高まっていったのですが、女子サッカー部は無かったし、パワーの差を考えると危険ということでサッカー部への入部は認めてもらえませんでした。 でもどうしても諦めきれず、3年生になって先輩がいなくなったことを機に、再びサッカー部の顧問の先生に直談判。 『女子サッカー部がある高校に入るために、基礎だけでも教えてください』とお願いすると、数日後に ・あくまでも所属しているバドミントン部が優先 ・バドミントン部の活動が無い日だけサッカー部の

      • サッカーとの出会い【前編】

        あなたがサッカーと出会ったのはいつですか? 私は覚えていません。 物心ついた時にはアディダスのサッカーボールが家にあって(ちなみに男兄弟はいません)、テレビやスタジアムでサッカーを観ていました。 おそらく父方の従叔父がサッカー選手(現役時代は某J1クラブの前身チームに所属、今はS級ライセンスを活かして指導者をしています)だったことが多分に影響していたのだろうけど、子供の頃はそんな事は意識していなかったし、スタジアムに観に行っても客席はガラガラだったのでその試合が日本最高

        • 熱く闘え、田中碧。

          田中碧選手のフォルトゥナ・デュッセルドルフへの移籍が正式に発表された。 ここでは友人と話している時のように碧くん、と呼ばせてもらおうと思う。 思えば今まで1人の選手を熱烈に応援するということが無かった。 自分がサッカーをやっていたせいもあるかもしれないけど、どの選手の素晴らしい面も目について、いわゆる『推し』と言えるほど飛び抜けて応援する選手がいなかったのだ。 そんな私に初めて毎年ユニフォームを買って応援したいと思える選手が現れた。それが碧くんだ。 2005年から川崎フ

        引退までの話

          私が武蔵小杉に通う理由

          私は川崎市に住んだことがない。 川崎市内に通学したこともなければ通勤したこともない。 それでも川崎フロンターレを応援する理由は。 川崎フロンターレを応援し始めて17シーズン目が開幕した。 初めて『川崎フロンターレの試合を観に行く』という目的で等々力に向かったのは2005年。 川崎フロンターレが2度目のJ1昇格を果たした年だ。 当時の川崎フロンターレには、失礼ながらサッカーを熱心に観ている人以外にまで顔と名前が知られているような選手はいなかった。 贔屓のチームや選手がいな

          私が武蔵小杉に通う理由