引退までの話

高校時代のサッカー生活について書いてもそんなに面白くないと思うので簡単に書きますが、東京都高校サッカー選手権大会は優勝と準優勝が1回ずつと準決勝敗退だったかな…
東京都1部リーグでは優勝2回と準優勝が1回だったか、結局3連覇したんだったか…遠い昔すぎるのと、勝つのが当たり前、負けるとしたら2強のうちのもう1校以外は許されないみたいな感じだったので、その学校以外のことは成績も含め正直あまり心に残っていなかったりします。

ちなみに東京都選手権で優勝しても全国大会に出られるわけではなく、当時は関東大会で上位4校(現在は7?8?くらいのはず)に入らないと全国大会には出られませんでした。
私たちの頃は埼玉県がずば抜けて強く、関東大会上位3校がそのまま全国大会上位3校とか、1校だけ別の地域の高校(啓明、常磐木、神村学園あたりが強かった)が入るという時代だったので、全国大会に出たことは一度もありませんでした。
インターハイは正式種目ではなかったので大会自体が無く、高校の公式戦は選手権とリーグ戦のみ。
その他選抜大会(妻沼や草津、苗場等)に呼ばれればその大会に出場するという感じでした。

その他に全日本選手権の予選と、Lリーグ(今でいうWEリーグ、なでしこリーグ)・クラブチーム・大学・高校の強いところが招待されて別カテゴリーのチームと試合ができる招待サッカー大会(草津)があって、招待サッカーでは最終日の前日にホテルの宴会場でレセプションがあるくらいのかなり大きい規模で、かなり勉強になる大会でした。
同期にひとりLリーグのチームから入って来た子がいたので、憧れの選手に声をかけてもらってお話しさせてもらったりできたのが良い思い出です。

また、初めて出た全日本選手権の予選でASエルフェン狭山(現 ちふれASエルフェン埼玉)に手も足も出ずボロ負けした事がいちばん強い衝撃として記憶に残っています。
軽くいなされたベレーザやメニーナとの試合などよりも、その衝撃のほうが強く心に残っています。

個人としては東京都トレセンには行きましたが都選抜には入れず。
高校卒業後は現在WEリーグに参入しているチームの練習生にはなりましたが、次第に学業との両立が難しくなった事と、高校の時に負った怪我が再発し、状態がかなり悪くなったので選手の道は断念。
その後は母校(高校)でコーチのアルバイトをして、就職活動開始とともにサッカーから離れたという経緯で引退しました。

サッカー一色(恋愛も相手がサッカーをやっている人だったので結局サッカー色強め笑)の学生生活を送り、結局『サッカー選手』と言える人にはなれず、何が残ったのかと言われたら人から見れば何も残らなかったのかもしれません。
でもサッカーを通じて得た経験や人間関係、精神面の成長などを思えば後悔はありません。

もちろん、友達と放課後に遊びたかったとか、アルバイトしたかった、彼氏と制服デートしてみたかった(デートは数少ない休日にしかできなかった)、修学旅行に行きたかった(関東大会とぶつかって行けなかった)とか、美白になりたかった( )とか、そういう思いはあるけど、サッカーで得たものと天秤にかけたら、やはりサッカーをやって良かったなと思います。

何より、サッカーをやっていた事がその後の人生に大きく影響し、自分は幸せだと今思えているので、やはりサッカーで得たものはかけがえのない宝物だと思っています。

その後の人生については…書くと面白い内容になるとは思うのですが…身バレや外に出していいかどうか微妙なところもあるので、内容を吟味して小出しで書けることがあれば書いていこうと思います。

興味津々の方がいたら…飲みにでも誘ってもらって、意気投合できたら面白い話を披露できる…かも、しれません笑

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